■小説について今思う事
・色々とふらふら考えていて、今はこう感じています、という話……。
・「小説を発表する」というは、
「面白い話があるから聞いてくれませんか?」と言っているのと同じだと思う。
そう考えると、
「自分の悩みを文章に落とし込む」とか、
「とにかく書きたいことを書く。誰か分かってくれるはず」
というのは、僕は相手に申し訳なく思ってしまう。
※自分の悩み等について一方的に延々と喋っているのと同じ。それは家庭やカウンセリング室で行うべき。
であれば、人と会話をする時に気をつけるのと同じく、
「相手が興味ある話」
「相手にとって心地いい話」
を書くべきだと思う。
※脳内の反論についてメモ
(反論)芸術においては「俺は俺の描きたいことを描く」というスタンスの人も大勢いる。
→・各人の倫理観の問題だと思う。僕の倫理観では、読み手のことを慮らないと、罪悪感を覚えた。
他の人の活動には何も思わない。
・そのスタンスには「反応がなくても構わない。嫌われても良い」という強い意志が必要。
・上記のスタンスでいくならば、純文学ではなくエンタメを書くのが僕には向いてるのかな。
・『相手(想定する読者像)』とは何か?
誰に読まれたいか? ということにもなるが、
ここでは「本が好きで、純粋に読書を楽しんでいる人(面白い話を読みたい人)」を想定することが健全で楽しいと思う。
「穿った見方をする人(粗探しをする人)」の相手をしても、疲れるだけで何にもならない。
・言い換えると、僕は、自分が純粋に「面白そうだから読みたい」と思える話を書くべき なんだと思う。
(そうでないと相手に申し訳ない)
■今日の出来事
・今日は、昨日書いた暗記カードアプリ『word holic』をいじっていました。
ひとまず、会社の人の名前リスト200人と、仕事で使う地名のカード200枚を作りました。作りすぎでは?
「会社の人の名前リスト」というのは、あまりに名前が覚えられないので作ったリストなのですが、それを眺めているだけでは覚えられないので、今回カードにしたのです。
このアプリが本当に凄くて、色々細かい機能が、恐ろしくなるほど膨大にあるのです。
例えば僕が関心したものだけ挙げると……
・人間の忘却曲線に応じて、忘れた頃に復習すべきカードを一覧で教えてくれる機能。
(一般的には覚えてから1日後→3日後→7日後→14日後……)
・上記の「忘却曲線に応じた復習」において、日数の感覚を自由に変更できる。
・カードを順番に見ている途中、今見ているカードの文面を編集できる
(そして終わったら元の画面に戻るので、また続きのカードが見れる)
・カードを一括で編集することもできる(一括でラベルを貼る、削除するなど)
・カードをまとめたフォルダは、階層を作ることができる(サブフォルダを作れる)
・フォルダは丸ごと別の階層に移動できる。カード単位でも移動できる。
などなど。
ちょっと考えられないほど「かゆいところに手が届く」のです。これはすごい。
ちょっと使い続けてからまたお話します。
喫茶店のナポリタンの作り方、プロの味に近づけるための工夫をいくつか|樋口直哉(TravelingFoodLab.)|note
基本は上記に準じました。(妥協した点もあり。ケチャップ2種類は揃えられなかった 笑)
それなりに美味しく出来ました。
「茹でてから寝かせる」を初めてやったけど、よく言う「喫茶店風のコシのなさ」というのはこういう感じなのか、と納得。
確かに懐かしさがある。喫茶店のような給食のような、バイキングのナポリタンのような……。
ただ好みで言えば、やっぱり茹でたてのプリっとした方が好きかな。
あと、味付けがケチャップと黒コショウだけで、これも美味しいんだけど、やっぱり僕はコンソメとか塩とかでパンチを効かせた方が好きかも。
何ならニンニクとか唐辛子も入れたいな……。
・趣味などのやりたい事を、やっぱり色々やってみるべきなんだろうな、と思っています。
興味あるなら例えば絵を描いたり楽器をやったり、落語もお笑いもやるべきだと思う。
で、この「やる」というのは、twitterアカウントを作るとか、youtubeをひっそり始めるとかではなく、趣味のサークルに入ったり、コンテストに出たり、社会とつながる方向にやった方が面白いんじゃないか、という気がしています。
でも子供が小さいから、外に出歩くのは難しいかな。そうであればネットから出せるコンテストかなあ。