■旅エッセイ「自己肯定感の話」を読んで勝手に落ち込んだ話
・ 今日は、奥さんに勧められた素敵なWEB旅エッセイ「自己肯定感の話」を読んで、一日落ち込んでいました。
※⑲まであります。
小説家・椹野道流先生のエッセイで、「若いころに、80代のお祖母ちゃんと一緒にロンドン旅行をした話」です。
お祖母ちゃんは「あれがしたい、これはイヤ」と我儘放題なのだけど、同じ時を過ごす中で、彼女の気品・哲学・自信の源が徐々に分かってきて、心を通わせることが出来る――といった内容。
文章も小気味良く、ネットでも賞賛されているようです。
が、僕は序盤の「お祖母ちゃんに我儘言われる」の段階で、以前やっていたクレーマー対応のことなどを思い出して、暗い気持ちになってしまいました。
中盤以降には、お祖母ちゃんがただ我儘なだけの人間ではないと分かるのですが、そうなると僕は「この人の一側面だけを見て、クレーマーと同じだと決めつけてしまった」という罪悪感でいっぱいになりました。
終盤、お祖母さんは語り手に「自信がないからといって卑屈になって何もしないのは駄目だ。自分を信じて努力した結果生まれるのが自信だ」といった内容の教えを説くのですが、それも僕には、無能で怠惰な自分を強く自覚して、落ち込んでしまいました。
・もっと言うと、お祖母さんや語り手の「旅行を最大限楽しもう」という気概や、「嫌な出来事ではなく楽しかった出来事に目を向けよう」という姿勢があまりにもキラキラと眩しすぎて、いつもネガティブで鬱々としている自分が(旅行先でも人の目に怯えてばかりの自分が)本当に嫌になりました。
・そして何より、世間の皆さんがこのエッセイで心を温めているのに、僕一人だけがこんな憂鬱な気持ちになっているのだ(心が歪んでいるのだ)という事実が辛かったです。
・あまりにもネガティブの波に飲まれてしまい、
「僕みたいな人間は人を不幸にするから、やはり結婚すべきでなかったし、子供も作るべきではなかったのではないか」
「こんな父親を持つなんて、娘はかわいそうだ。今は赤ん坊だから僕を求めてくるけど、思春期になったら僕に見切りをつけて幸せになってくれ」
とか訳の分からないネガティブな思考でいっぱいになって、一日を過ごしたのでした。
※誤解を避けるために書いておきますが、言うまでもなく、このエッセイは素晴らしいものであり、このエッセイを責めるつもりは、一切、全く、毛頭ありません。
僕が落ち込んだのは100%僕の認知の歪みによるものであり、僕に責任があります。エッセイそのものを貶める意図は全くありません。
・同時に感じたのは、僕にはこういう「皆がほっこりするような話」は書けないのだろうな、ということ。
そういう話にリアリティを感じることが出来ないから、書けない。
僕はそうではなく、心が歪んでいて生き辛さを感じている人に向けてこそ小説を(文章を)書くべきなのかもしれません。
■今日の出来事
・そんな訳の分からない理由でどんよりと過ごした一日。
奥さんからも「いちいち落ち込むなよ」と呆れられてしまいました。
・こんな日に限って色んな人から連絡が来ました。
まずは昨日の夜、元同僚のKさんから突然電話が。
同僚3人で飲む機会があるからどう? というお誘い。
最初は断ったけど(社交性が低すぎる)、奥さんが「行って良いよ」とのことなので了承。
Kさんの奥さんが妊娠したそうなので(本当におめでたいですね)、今後こういう機会が無いかもしれないですね。
・昼には古いフォロワーのMさんと通話。
何だかんだ元気そうで良かった。
以前彼から娘用のおもちゃを貰っていたので、娘がそれで遊んでいる写真を送ったら大層喜んでくれました。
・夜は文フリの相方さんと通話。
入稿・支払いはしたので、当日のレイアウトについて最終確認。まあ前回と同じ感じで……。
・離乳食。土曜日なので新しいものは食べないけれど、
久しぶりにトマトを与えたら、目をぎゅっと瞑って「すっぱい」という顔をしていました。かわいいですね。
・コーヒーアレルギー対策委員会。
まず味は苦味と酸味、雑味なんかが少しずつ混じっていて、まさにブレンドという感じの味。可もなく不可もない。
で、副作用の頭痛は(多分)起きなかった。もしかして強くなってる?
・最近の朝食マイブーム。
海苔の佃煮とチーズをかけたトースト。