家族の生活音を聞きたくなさすぎて、自室で耳栓をしてこれを書いている。
まあそれ全く関係ないのだが、今日は子供時代に考えていた「大人たち」についてだ。
今日もつまらない話です。
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僕は子供の頃、「大人たちはすごい」と思っていた。
何故なら大人たちは、毎年夏休みの宿題をちゃんと出してきたからだ。
そして、教科書に載っていることを、ちゃんと学生のうちにマスターしてきたからだ。
それらの結果として、ニュースとかで話している、「政治」とか「金融の仕組み」といった難しい話もちゃんと理解しているのだ。
実生活でも、保険とか、銀行の手続きとか、国勢調査とか、そういう難しいものをちゃんと理解して使用しているのだ。
そういったとても難解な物事をきちんと理解しているなんて、大人は凄いと思った。
逆に言えば、大人になることはとても難しいことだと感じていた。
「普通の大人」になるためには、必死に勉強しなければならないし、塾の宿題ごとき
で音を上げているようでは人間失格であり、餓死するのだと思っていた。
しかし、それは違った。
別に、夏休みの宿題など出さないで大人になった人はたくさん居た。
政治や金融の仕組みなんて、知らない大人もたくさん居た。
うちの両親はいつもテレビを見ながら政治家を悪く言っていたが、その実、選挙に行ったことがなかった。*1
そもそも彼らは、中学校レベルの数学も使えないようだった。
保険制度も、銀行の制度も、明らかに理解していなかった。
そんなものが無くても大人になれるのだった。
僕はずっと騙されていたのだ。
「あなたを育てるのは大変だった」「私達はとても高尚な存在だ」という両親の嘘に騙されていた。
僕はその嘘に気付いた時、拍子抜けするとともに、とても悲しかった。
「騙されていたこと」そのものも悲しいし、今までずっと怯えて暮らしてきたことが無意味だと気付いて悲しかった。
世の中は、大部分のだらしない大人で構成されており、少数の苦労人がそれを尻拭いすることで成り立っているのだと思う。