kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【毒親】 そこまで過激でない毒親エピソード(歯ブラシの件)


本やネットで紹介されている毒親の話は、家庭内暴力をはじめとするかなり過激なものが多い。

そのせいで、「うちはそこまで酷くないから、やはり悪いのは親ではなく私だ」という試行に嵌ってしまう人も居るのではないかと思う。

そこで、今日は我が家の「そこまで過激ではない毒親エピソード」を書いておく。

 

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出来事の発端は歯ブラシである。

その頃には既に姉は一人暮らしを始めていて、
我が家は母と父と僕の三人暮らしだった。

三本の歯ブラシが常に洗面台に置かれており、それらはよくあるように色によって識別されていた。

僕はずっと青色を使っていた。
使い始めの頃の記憶などとうに無いが、とりあえず僕は青色を使うものだと思っていた。


しかし僕が二十歳を過ぎてから、父親が
「青色は俺の歯ブラシだ」
と言い出した。

要するに、いつ頃からか、僕と父は同じ歯ブラシを使っていたわけだ。

 

この件について、母と父は笑った。僕を愚か者と罵るように笑った。

しかし僕にとってこれは笑い飛ばせないほど不快なことだった。

誰が間違っていたのかはこの際どうでもいい。

何より、他人と同じ歯ブラシを使っていたということは生理的に気持ち悪かった。


同じ失敗を繰り返さないために、僕は、自分の歯ブラシを自分の部屋に置くことにした。

こうして僕がいつも自分の部屋から歯ブラシを持っていけば、「何色が誰だ」という取り決めなど無くても混乱は収まる。

 

このことを両親に言うと、母は豹変し、激怒した。

 

「そこまでする必要なんて無いはずだ。これからは色分けを厳守すればいいだけの話だ。それは過剰な反応だ」

 

こういうようなことを、激しい口調で数十分にわたり怒鳴られた。

しかし僕は意見を曲げず、

 

「絶対に同じ間違いを繰り返したくないので、自分の部屋に置く」

 

という主張を繰り返した。

すると途中から母は泣き落としの作戦に出た。

 

「せっかく"家族"なのに、歯ブラシが三本揃っていないなんて寂しい」

 

この期に及んで『家族』などと、母にだけは言われたくなかった。

それでも僕が意見を曲げないと、母は再び怒り出し、怒りの矛先を父に変えた。

 

「そもそもお前が歯ブラシを間違えたのが原因だ。お前が悪い。だから、お前が歯ブラシを部屋に持って帰れ」

 

父はかなり早い段階で『だんまりモード』に入っていたので、「分かった」と呟いた。

母はそれを確認すると、僕に向かって、

 

「ほら、もう問題はないでしょ。あなたは歯ブラシを洗面台に置きなさい」

 

と言った。

僕はもう何を言っていいか分からなかった。

 

何故、急に「父が悪い」ということになったのか。

何故、先ほどまで「せっかく"家族"なのに~」などと言っていたのに、父を除け者にしたのか。

そもそも何故、自分のものではない歯ブラシのことで母が激昂しているのか。


いい加減うんざりしていたし、母の訳の分からない言葉を聞くのもしんどくなっていたのだが、

僕はやはり歯ブラシの生理的嫌悪が耐え難かったので、主張は変えなかった。

 

すると今度は父が、僕の肩を叩いて

 

「○○、もう、いいから」

 

と言った。

訳が分からなかった。

 

僕は自分の意見が全く伝わっていないのだと思い、先ほどと同じ話をしたが、
何度言っても父は、

「いいから。いいからお前は歯ブラシを洗面台に置きなさい」

と繰り返すばかりであった。

 

そうしているうちに母親は涙を流し、

「なんでこれだけ言ってもワガママを通すんだ、お前は親不孝の最低の息子だ」

という恨みの言葉を唱えていた。

 


僕はもう何かを言うのを止めた。

母も父も、僕の言葉なんて一切聞いていないと分かったからだ。

母はいつまでもよく分からない論理で「歯ブラシを洗面台に置け」「そうしないお前は人間のクズだ」ということを延々と言っていた。

そして三時間ほど話を聞いた所で、両親の寝る時間となったらしく、そのままお開きとなった。

 


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結局、僕は歯ブラシを自分の部屋に置いている。

洗面台には母の歯ブラシだけが置いてある。

母はそれを未だに快く思っていないらしく、思い出したように

「自分の歯ブラシしか無いのが寂しい」

などと口にする。

 

一度、「じゃあ父の歯ブラシも置いたらどうか」と提案したのだが、

予想通り「なんでそんなこと言うの! お前は人間のクズだ!」

と泣きながら言われることとなったので、もう何も言わないことにしている。

 


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この話は一見すると笑い話である。

結局はたかが歯ブラシの話であり、よくある家族の揉め事のようにも見える。

 

しかし、母の歪んだ論理や、父の思考停止は、実はいわゆる『毒親』の問題に深く根付いていると思う。

 

この下らない話をネットに残しておくことで、誰かが楽になれば良いと思って書いた。

毒親の居る家庭の日常とは、こういうものである。

 

 

【毒親】 親との問題を、「親と子の問題」ではなく「人と人の問題」と考えてみる

 


毒親*1に関して論じるときに、

「その親が、親としていかに間違っているか(or正しいか)」

という趣旨で語られることが多い。

一見するとこれは当然のことのように思えるが、この時点で少し論点がずれているように思う。

 

ほとんどの毒親は、「親として」以前に、人格に問題がある。

極端な例を出せば、幼児に暴力をふるう母親は、「母親失格」である以前に、人間として大きな欠落がある。

それと同様に、家庭で大きな問題を起こす親は、そもそも人格や精神に大きな問題がある。

 

そうしたパーソナルな問題が、家庭内の問題として表面化しているに過ぎないのだ。

だから、家庭内の出来事であっても、問題の原因は家庭にはない。原因は親の人格にある。

 

この認識は、子供にとっては重要である。

 

「自分が悪いのかもしれない」

「相性が悪いのかもしれない」

「産んでもらってこんな事を考えるのは悪いことかもしれない」

 

こうした認識は誤りである。

なぜなら、子供が生まれる前から親はそうした人格の持ち主だからだ。

親を「単なる一人の人間」として認識し、それの言動を正確に判断することが重要である。

 


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ここまで読んで、「そんなの当たり前じゃないか」という人も多いだろう。

 

しかし、毒親育ちの人間にとって、これは当たり前ではないのだ。

何故なら、「私は親で、お前はその子供だ」という価値観の植え付けこそが、毒親の戦略のメインの1つだからだ。

 

「私とお前は、親子だ。親の言動に疑問を持つことは悪だ。だから平等ではない」

 

という価値観を植え付け、服従させることが毒親の基本戦略である。

だから、毒親育ちの子供は、親を「一人の人間」として見たり、評価することが絶望的に苦手だ。

 

(逆に言えば、家庭という場所が「私とお前は平等ではない」という意見を通すのに最適な場所だからこそ、家庭内で問題が生じる、とも言える)

 

 

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僕は専門家でも何でもないのだが、この考え方は毒親育ちの治療法としてかなり有用なのではないかと思っている。*2

 

客観視してみよう。親を客観視することは悪ではない。

そして客観視した結果、親の人格に問題があれば、距離を取ればいい。

 

「親と子」の問題ではなく、「人と人」との問題だと思うことで、見えてくるものがあると思う。

 

 

*1:子供を支配しようとしたり、あるいは過度に無関心であったりする親の総称

*2:思っているだけだが

【日記】 信じることができなければ、助けを求められない


今日はある知人に関する日記なので、プライバシーの観点から、かなりぼかした*1書き方となるので注意されたい。


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その知人は、僕と同じグループに所属している先輩なのだが、
加入時から体調不良により休みがちで、ほとんど顔を合わせたことがなかった。

僕は「体が弱いのかな」くらいに思っていたのだが、先日、そのグループの責任者(某学科の教授)から、彼女に関して連絡があった。


「彼女の体調不良は、精神的なものらしい。

最近はそれが悪化して、先日は下血*2が起きた。

それを機に、大きな病院で診察を受けるため、長期休暇をとることになった。

彼女の両親も心配しているし、私も心配している。健康のため、一度実家に帰ることも検討している」


とのことだった。

僕は彼女と話したことがないので、その現状の原因が何かなど検討もつかないが、
とにかく早く良くなると良いな、と思った。

 


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ここからは自分の話だが、
僕も今年に入ってから、親と会話した後に下血することが何度かある。

痛みの位置からして、腸がやぶけているらしい。

専門医の診断は受けていないが、おそらくストレスによるものだろう。

 

僕はこれを親や教授に相談していない。

親に相談しないのは、言わずもがなだが、「下血するなんてそんなに私達が悪いというのか」と怒り出して、
「そんなに嫌なら家を出てけ」「大学が悪いんだ、大学を辞めろ」などと言い出すのが目に見えているからだ。

 

教授に相談しないのは、
「もしかしたら、事態が悪くなるかもしれない」
と疑っているからだ。

 

教授は、その人柄から言って、怒り出すことはまずない。

だが、怒って僕の両親に直談判しに行くかもしれない。

その正義感ゆえに、大学本部に連絡などして、騒ぎが大きくなるかもしれない。

そうすると、僕はもう即座に家を出たり、休養をとらざるを得ない状況になるだろう。

 

そうなった場合、その後の人生すべてを教授が責任をとってくれるかどうかは、正直言って信じられない。

ここで半年でも休学したら、内定は取り消しだろう。

別にそれで人生が終わるわけではないが、大きな痛手となることは確かだ。

 

 

要するに僕は、誰かを「この人なら何とかしてくれる」と信じきることが出来ずにいるのだ。

親を信じられなかった経験が、未だに尾を引いているのだろう。


その影響で、教授も、友達も、恋人も、最後まで信じきれなかった。
だから助けを求めずに、一人で苦しむこととなった。

 

もしかしたら、人間としてはこれが当然のことなのかもしれないが。

 


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長期休養に入った彼女は、今ごろどこかで安静にしているのだろうか。

傍には誰かが居るのだろうか。

 

彼女の選択が正しかったのか、僕の選択が正しかったのかは分からない。

少なくとも、彼女には幸福になってほしいと思う。

 

*1:というか誤解を生む表現を盛り込んだ

*2:口腔または腸がやぶれて肛門から出血すること

【日記】 金銭問題に存在する、努力で何ともならない壁。

 
昼から下世話な話で申し訳ないのだが、なんともまあお金が足りない。
 
来年から一人暮らしを始める関係で、まとまったお金が必要なのだ。
 
始めた後は社会人だから特に問題はない(?)のだけど、初期投資はどうしても必要になる。
 
親の援助に関しては、親は気分で意見がころころ変わる人なので、とてもじゃないが信用できない。
 
 
で、今は院生をしながらバイトをして、切り詰めながら暮らしている訳だが、
 
なんというか、お金の問題というのはソリッド的というか、シビアというか、人情味がないな、と思う。
 
物理的に無理な壁というのがあるのだ。
 
 
卒業を控えた院生だから、これ以上働く(バイトを掛け持ちする)のはほぼ不可能だ。
節約も、食費以外は何も使っていないのだから、これ以上は難しい。
 
何というか、「努力で何とかなる限界」が見えている。
 
精神論ではどうにもならない世界。それがお金の問題だ。
 
 
お金は、人生の全てでは決してないけれど、幸福の必要条件ではある。
 
 
立川談志の落語『黄金餅』で、金を盗むために屍体を抱えて走る男がこう語っている。
 
「(死体から物を盗むってのが悪い事だとは分かっちゃいるが)俺だって死ぬまでに天ぷら蕎麦ってやつを食ってみてえし、芝居ってのがどんなものか見てみてえ」
 
最近、お金がないので演劇鑑賞を諦めた自分のことを思い出した。
 
健康状態も、精神状態も、金銭状態も、着々と死に向かっているように感じる。
 
 
僕も屍体を盗んでくれば幸せになれるのか?  
それとも、女の屍体の髪を抜いて、かつらでも作ればいいのだろうか。
 

【毒親】 「成長に伴い心変わりをする子供が悪い」という理屈の論理的矛盾

 

昨日の続き。

 

母の意見に矛盾があることを導き出す。

まず、昨日の母の意見はこうだ。

 

「子供というものは、幼い頃は強く親を求める。
親はそれに応え、そのために仕事や交友関係を失う。
しかし成長した子供は、思春期を境に、親との距離を取りたがる。
それは、親の気持ちなど一切考えない自己中心的なものだ。
親は、そんな自己中心的な子供のために、不幸になる」

 

この意見は、「心変わり」を悪とすることで理屈が通っているように見えるが、実は論理が破綻している。

 

論理破綻を導くためのポイントは、親の立場から見て子供の心変わりは実質2回あるということだ。

 

つまり、

①「生まれる前の何も求めない状態」から「赤ん坊の頃の、強く母を求める状態」への心変わり
②「赤ん坊の頃の、強く母を求める状態」から「思春期以降の、強く母を求めない状態」への心変わり

 

の2つがある。

細かく区切れば無数にあるだろうが、最も大きいのはこの2つだ。*1


そして事実として、母は①の心変わりに関しては何も文句を言わなかったのに、②の心変わりに関してのみ文句を言い、僕を責めている。

 

何故か。

それは、「心変わり」そのものに腹を立てていたのではなく、「強く母を求めない状態」に腹を立てていたからだ。

 

以上より、母の「心変わりは悪だから、お前が悪い」という論理は破綻した。

 

母は「心変わりは悪だから」僕を責めていたのではなく、「強く母を求めなくなったから」僕を責めているのだ。

そしてそれを隠すために「心変わりは悪」という思ってもいない論理を用いた。*2

 

そして、「強く母を求めなくなった=悪」という倫理観は、流石にありえない。自己中心的としか言いようがない。そんな倫理観を僕が支持するはずがない。

 

以上より、母の論理は詭弁であり、僕がそれに従う必要はない。

 


母は用いたこの策は、卑劣で巧妙な手だ。

しかし、僕を騙せるほどの手ではなかった。

 

僕の勝ちだ。

 

 

※昨日の記事

【毒親】 心変わりすることを「悪」と規定されると、子供に勝ち目はない - けんぴの灰色マインドマップ日記

 

 

 

*1:①は、「親の立場から見て」のみ成立する。少し苦しいかな?

*2:おそらく、無意識にだろう

【毒親】 心変わりすることを「悪」と規定されると、子供に勝ち目はない

 
割と修士研究のことで頭がいっぱいなのだけど、あえて家庭問題について話そう。
 
最近、ちょっと油断して母親と会話してしまった。
 
母は、話の途中で、「私なりに愛したつもりだったんだけどね……」と家庭について語り始めた。
 
 
彼女は、「子供というものは……」一般的な親子関係を語るふりをして、僕を責める。
 
その日の内容はこうだ。
 
「子供というものは、幼い頃は強く親を求める。
親はそれに応え、そのために仕事や交友関係を失う。
しかし成長した子供は、思春期を境に、親との距離を取りたがる。
それは、親の気持ちなど一切考えない自己中心的なものだ。
親は、そんな自己中心的な子供のために、不幸になる」
 
 
げんなりする。
つまり自分が不幸なのはお前が悪いと言いたいのだ。
 
僕が心変わりをしたのは、成長したからである。ある意味、当然の現象だ。
しかし母がその当然の現象が「悪」なのだと言われたら、成長そのものが悪なのだと規定されたら、もはや反論のしようがない。
 
つまり彼女にとって、僕は「特殊な子供」だから「悪」なのではなく、「普通の(心変わりする)子供」だから「悪」なのだ。
 
心変わりが悪なのだとされたら、もはやどうしようもない。
僕は悪だということを認めざるをえない。
 
 
次回(たぶん明日)に続きます。
次回は、上記の論の論理的矛盾を述べます。
 
 
※続きの記事

【日記】 悩むべき日まで考えない方がいいのかも


昨日の続き。
更なる選択肢として、

「地方の工場に勤務する」

というものも思いついた。

親との口論に負ける(実家に住む)ということはなくなる。
研究職につかないのは多少残念だが、「本当にそこまで研究職につきたいのか?」たも聞かれたら、微妙な気もする。

本質はそこで、「どの選択肢も別に選びたくない」ということが辛さの一番の要因だろう。


まあ、とりあえず会社に希望を出す1月までは、何も考えずに気楽に過ごすのがいいのかもしれない。


おわり。
今日は長い日記書く気分じゃないです。