割と修士研究のことで頭がいっぱいなのだけど、あえて家庭問題について話そう。
最近、ちょっと油断して母親と会話してしまった。
母は、話の途中で、「私なりに愛したつもりだったんだけどね……」と家庭について語り始めた。
彼女は、「子供というものは……」一般的な親子関係を語るふりをして、僕を責める。
その日の内容はこうだ。
「子供というものは、幼い頃は強く親を求める。
親はそれに応え、そのために仕事や交友関係を失う。
しかし成長した子供は、思春期を境に、親との距離を取りたがる。
それは、親の気持ちなど一切考えない自己中心的なものだ。
親は、そんな自己中心的な子供のために、不幸になる」
げんなりする。
つまり自分が不幸なのはお前が悪いと言いたいのだ。
僕が心変わりをしたのは、成長したからである。ある意味、当然の現象だ。
しかし母がその当然の現象が「悪」なのだと言われたら、成長そのものが悪なのだと規定されたら、もはや反論のしようがない。
つまり彼女にとって、僕は「特殊な子供」だから「悪」なのではなく、「普通の(心変わりする)子供」だから「悪」なのだ。
心変わりが悪なのだとされたら、もはやどうしようもない。
僕は悪だということを認めざるをえない。
次回(たぶん明日)に続きます。
次回は、上記の論の論理的矛盾を述べます。
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