kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 ブログの書き手には「理解されるために書く」という行為から開放される権利がある


得体の知れない焦燥感を覚えている。

 

原因は分からない。
ただ、「こんなはずではなかったのでは」という"嫌な予感"に苛まれている。
心がぐらぐらする。

 

今日は、心の向くままに文章を書いていく。
まず、直近の問題から考えていこう。


このブログの、僕の中での立ち位置がよく分からなくなってきた。
端的にいうと、僕が望んでいたような状況ではない。

 

もちろん前提として、こんなブログが誰かに読まれているとは思っていない。
そういう話ではなく、あくまで僕の中で――僕は現状に満足していない。

 

第一に、いちいち文章が長過ぎる。これは時間のない最近の日々とか噛み合わないし、求めていたものとは違う気がする。

 

しかし、何かを書こうとすれば、ある程度の長さがないと誤解も生じるしうまく書けない気もする。
単に僕にまとめる能力がないのかもしれない。おそらくそうだろう。

 

何だかんだ言いつつ、結局はコンテンツ性(=エンタメ性=他人の目を気にする態度)を持った文章を目指してしまう、ということが大きな問題としてあると思う。
記事をパッケージ化して、オチをつけて、意味のあるもの、メッセージ性のあるものにしなくてはならない。

そんな責任感。

 

げろげろだ。

そういうことをしたくでブログを始めたわけではない。

そういうことから解放されたくてブログを始めたのだ。

匿名で、アクセス数も気にせず文章を書くということのメリットはそこにある。そこにしか無いと言っていい。

 

無責任感。

 

それこそが僕が追い求めているものだ。ものだったはずだ。

 

自由に。無思慮に。無責任に。

 

いつからそういうことが苦手になってしまったのだろう?

そういう訳で、明日からまた、「僕にとって」逃げ場所となるようなブログを目指す。

 

具体的な目標は、

「オチを決めずに(用意せずに)書き始める」

ということだろうか。

 

この記事も、もはや他人から見れば、何を言っているのか、何を苦しんでいるのか意味が分からないだろう。

それでいい。「理解されるために書く」という行為から開放されるために此処はある。

 

ネットの片隅にそういう場所を作ることくらい許してもらえるだろう。

と、また誰かに許しを請うている自分に、やはりうんざりする。