kenpi20の灰色マインドマップ日記

にわか作家志望(某メーカー研究職、新入社員)による、現状把握・思考整理

【小説感想その1】『Self-Reference ENGINE』(円城塔) ――自己言及による存在の危うさを,SF的ガジェットとウィットたっぷりに描く

 

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 

 

【公開年】2007年
【読了時】2015年
【レビュー執筆時】2015年

 


■この本を読んだ理由
友人に薦められたため。
その話を別の友人Bに話したところ、後日、友人Bがプレゼントしてくれた。*1

ちなみに僕はSF初心者である。
国内SFをほとんど読んだことがなく、円城塔も名前だけ知っている存在だった。
そういう意味でも、読みたかった。

 

 

■あらすじ
とある"イベント"が起きた後の世界。
"イベント"により時間の進み方が壊れ、霧散している。要するに過去と未来の進行方向が壊れ、因果が壊れ、演算と結果の関係も壊れている。
そんな世界における大小様々なエピソードを,ウィットたっぷりに描くSF短編集。

 


■感想
僕はこの小説が凄く好きだ。だが深読みしないと楽しめない小説かもしれない、とも思う。

 

まず表層を読むと、SF要素やSF設定(要するにガジェット)のみが乱暴に並べられた短編集である。
小説が成立する上で最低限必要な要素が揃っていない。例えば主人公や、各エピソードの繋がりはあまりにも希薄だ。単なるおバカなSFとして読まれるかもしれない。実際、そういう読み方もアリだろう。

 

しかしこの小説はそれだけではない。
テーマは『自己言及』である。

 

まず、各エピソードも(実は)そのテーマに添っている。
例えば「自己消失を研究した研究者」の話。彼女は素晴らしい功績を残したが、あまりにも素晴らしく自己消去できてしまったため、存在を忘れられている。しかしそれを語り手が語っている矛盾。
また例えば、「処理速度を求めた人工知能が、計算結果である自然現象と一体化する」話。目的と結果が逆転してしまった訳だが、しかし、どちらが目的として正しいかなんて誰にも分からない。

 要するに、自己言及と、それによる存在の危うさを描いている、と(少々乱暴に)捉えることが出来る。

 

ここで、一歩だけメタな(巨視的な)視点で見てみよう。
この『Self-Reference ENGINE』という小説は、終始こんな調子で、繋がりがあるような無いような微妙な短編が描かれている。ラストも決定的なものではない。
こうした「本質を描かず、ガジェットに終始する」という手法は、「SF小説の本質はガジェットに宿る」という主張であるようにも読める。もしそうだとすれば、SF小説における『全体』と『要素』が逆転していることになる。
そう、つまりこの小説の『流れ』自体が、SF小説に言及している。自己言及である。
しかし待てよ、それはおかしい。「要素が本質であることを、『流れ』によって述べる」? 明らかな矛盾だ。
そういう訳で、この小説の流れ自体も、自己言及と、それによる存在の危うさを描いている。

 

さらにもう一歩、メタな視点で見てみよう。
この作品は小説である。文字で描かれている。小説の存在意義は、読まれることで発生する。一方、価値が無い小説は読まれない。読まれることで価値が生まれ、価値があるから読まれる? なんと危うい存在か。しかもこの小説に書かれているのは「自己言及」。またもや自己言及と存在の構図が見えてくる。

 

さらにメタな視点へ。
この小説の作者は円城塔である。本書の中で、ごくたまに語り手の正体が明かされていない章がある。普通に考えれば、そこの語り手は円城塔自身。語り手は語る。
『私の名はSelf-Reference ENGINE
自己言及である。語り手は、読まれることによって存在する。

 


以上のように、本書は、あまりに多重的な意味で「自己言及」している。
この構造自体が非常に面白かった。
メタフィクションとして、これ以上のものが存在するのか? と思えるほどに完成された一冊だった。

 

 

■感想(文体について)

本書について賛否両論あるとすれば、ウィットに富みすぎた文体だろうか。
小難しいということはない。難しい単語もあるが意味が分からなくても読み進められる。*2
ただ、小粋なジョークが非常に多く散りばめられている。それがツボにはまるかどうかはおそらく人を選ぶ。
僕は「結構好き」くらいの立ち位置である。*3

 

■感想(物語論なんてクソくらえ) 

本書は、物語において必要とされる要素(プロットや魅力的なキャラクター)が排除されているくせに、面白い。

要するにプロットやキャラクターなんてものは、新規性を生み出せない側の人間が使う、汎用性の高い武器なのだ、と思った。それ故に分かりやすいから大衆受けもする。

しかし、それらの物語的要素は必須ではない。円城塔が証明した。やはり小説は、工業製品ではなく、芸術作品となり得る。それが僕には、嬉しくもあり、嫉妬せざるを得ない。

 

 

■蛇足の感想(自己言及について)
プログラミングを勉強しはじめ、ループ構文を始めて知った時、自己言及によるエラーを吐いた経験は誰しもあるだろう。
自己言及は一瞬にして無限に発散する。
一方で、自己言及は元の定義をおそろかにする。
(この関係は、タイム・パラドックスにも近い)

エラーを吐いたプログラムを見て「すごいものを作ってしまったなあ」と笑ってしまう訳だが、おそらく円城塔はそこで終わらなかった。
自己言及の持つ力を知った時、その感慨を、形にしようと思ったのではないだろうか。

 

本書は円城塔の処女作である。
処女作でこれだけの物を書くのだから、もう化物としか言いようがない。

 

 

 

 

 

*1:こんな幸福なことが他にあるだろうか!

*2:ハードSF読者にはよくあることだ。

*3:ただ、靴下の話やフロイトの話はちょっと滑っているようにも感じるが。