今日は恋愛にまつわるエッセイです。
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話は数年前。
とある女友達がこんな話をし始めた。
「毎朝、通勤電車の中で、じっとこちらを見つめてくる男が居る。
もう何ヶ月も無視していたが、最近は私の肩を叩いてきたり、行動がエスカレートしてきた。
怖くなって電車の時間を変えても、数日後にはついてくる。
警察に相談したが、直接危害を与えられてないから動けないと言われた」
それを聞いて、僕は強く憤った。
必ず、かの邪智暴虐のストーカーを除かなければならぬと決意した。
そのためには、具体的に言うと、まず毎日彼女の通勤の送り迎えをする必要がある。
そしてそれでも怪しい男が近づいてきたのであれば、その男の胸ぐらをつかみ、罵声を浴びせる。
抵抗するようなら、暴力のひとつでもあげてしまうかもしれない。
そうして何としても相手を懲らしめ、彼女から遠ざけなくてはならぬ。
……と、そこまで考えて、はたと気付いた。
そこまでしたら、それはそれで彼女に迷惑だ。
毎日、恋人でもない男友達に送迎されるなんて、非常に気持ち悪い。
それこそストーカーのようなものだ。
僕には、そこまでする権利はない。
言い換えると、僕には、その女友達を護る権利はないのだ。
僕はそれに気づき、がっくりと肩を落とした。
つまるところ、これが「恋人」と「友達」の違いなのではないだろうか。
相手を護る権利。相手を想う権利。
それが、人と恋人関係になることの一番のメリットなのではないか。
恋人がいる人は、「自分が相手を護っていい」という喜びを、もっと噛み締めた方がいい。
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余談。その女友達のその後について。
結局その日は二人で知恵を絞り、防犯グッズを買ったりはしたが、僕はあまり直接は力になれず、悔しい想いをした。
だが後日、彼女に恋人が出来たという話を聞いた。
それ以降あまり会ってはいないが、どうやら元気でやっているそうである。
その彼女の恋人とやらに、期待するしかない。