今日あった少し悲しい話。
まず話の前提として、僕はいわゆる「芸術家」みたいな生き方に憧れている。
というのも、僕は「安定した生活」ばかりを目指して、安定した会社の正社員になるべく生きてきたからだ。
だから、「芸術」のような世界には、自分の知らないような楽しいこと、輝かしいことがあるのではないかと思っていた。
それを踏まえて、今日のバイト先での話。
僕のバイトは飲食店のキッチンで、いつも社員の人(30歳くらいの男性)と二人で料理や下ごしらえをしている。
その人は、とても悪い人ではないのだけど、辛辣な言い方をすれば「普通の人」で、僕にとって特に興味を惹かれる点は無かった。
しかし今日、その社員さんは雑談の中でぽつりと言った。
「俺、学生時代にちょっと演劇をやっていたんだけど」
僕は驚き、そして彼に興味を持った。
演劇は、僕の中の「よく知らないけれど夢見ているもの」の筆頭だったからだ。
聞いてみれば、その社員さんは、どこかの大学(専門学校?)の演劇科に通っていたらしい。
僕はほぼ初めて、その社員さんを興味の対象として見た。
「演劇って、すごく面白そうですね。いいなあ、僕、全然詳しくないんですが、興味はすごくあるんですよ」
そう言うと、社員さんは渋い顔をした。
「いやあ、別に良いもんじゃないよ、演劇なんて」
どういうことだろうと想い、話を聞いてみると、社員さんはつまらなそうな顔で、自分がなぜ演劇を辞めたのかを語りだした。
「僕は劇団の中で役者をやっていたんだけどね、演劇って、一時間とか二時間とかあるわけでしょ。まず、その台詞を覚えるのがしんどくして。それに、稽古がすっごく長いんだよ。一時間半の劇を通して二回やれば、三時間だからね。ずっと立ちっぱなしで。しんどくてさあ、俺は演劇をやめたよ」
それを聞いて、僕はなんだか夢から覚めるような気持ちになった。
冷静になって考えれば、当たり前の話だった。
僕の住んでいる世界のちょっと隣に、とても素晴らしい世界が待っているはずが無い。
演劇の世界だって、構成している人間の大多数は「稽古が長い」と文句を言うような人間なのだ。
脚本家だって、締切前に二日酔いの頭で適当に本を仕上げる人もいるのだろう。
舞台仲間とできちゃった婚して抜けて行く人もいるのだろう。
結局、どこに行って何をしても、世界が180度変わる訳ではないのだ。
そこから先、社員さんが何を話していたのか、覚えていない。
僕は皿を洗いながら、「僕も、世界も、この皿洗いの仕事と地続きなのだ」という当たり前の事実を感じて、少しだけ落ち込んだ。