kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 小説を新人賞に投稿した。

 

印刷した自作小説をポストに投函してきたので、その報告。

厚みのある文書を投函するなんて初めてで、ちゃんと届くか心配だ。

でもまあ駄目なら帰ってくるだろう。どきどきする。

 


書き終わったのは結構前(数カ月前)なのだけど、
誤字脱字チェックはもちろん、友人の皆様に読んで頂きコメントを基に修正したり*1

一人暮らしのため部屋を探したり車を買ったり、新居でプリンタや紙を買ったりで遅くなってしまった。

でもまあ自分なりに早くできたし良いだろう。

 


引っ越してから19日経つのだが、家では小説執筆しかしていない。
ブログを書いていないのも時間がもったいないからだし、趣味の映画も観ていない。
田舎すぎて他にやることがない、というのもあるかもしれない。まあ結果が良ければいい。

 


今後の人生については少し迷っている。

僕はこのままだと、仕事に熱中できず、家庭も築かず、ずっと孤独に趣味の小説を書いて過ごし、孤独に死ぬ。

それが自分にとって良いのか悪いのかよく分からない。

 

かといって、仕事に精を出したり、転職をしたりすると、生活が向上する可能性はあるが、小説を書く時間が減る。

それが自分にとって良いのか悪いのかよく分からない。

 


ふわふわしていて、よく分からないままだ。多分寂しいのだと思う。

だが、ただ流されていると事態はどんどん悪化する、ということも学んだ。

 

とりあえず今は、次の小説を書き始めたのでそれをさっさと終わらせようと思っている。
転職するのであれば早めに動かなければならないのだが……。

 

まあいい。憂鬱な気持ちがいつか消えればいいな、と思う。

 

*1:本当にありがとうございました。僕は幸せものです。

【家庭】 過干渉な親の下を離れた,1年目の正月帰省の報告

 

明けましておめでとうございます。

過干渉な親(毒親?)の家庭を4月に出た者が、正月に帰省して、どうだったかを書こうと思います。


※我が家の状況については、過去の記事を参照ください。

 

 

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まず、母は元気そうだった。
僕が出て行った当初は寂しがっていたそうだが、しばらくして諸事情で姉が家に帰ってきており、
そのお陰で寂しさが紛れたらしい。

「パートがつらい」とか「面白いことがない」とかそういう愚痴は言っていたが、まあ、普通の会話の範疇だったと思う。

そういう態度に対して、僕も特に思うところはなかった。気分を害することもなく聴けた。


今後の僕の転勤とか、転職とか、「いつ実家に帰ってくるのか」とか、そういう話はしなかった。あえて避けているようにも思えた。おそらく、僕が嫌がるのが分かっているのだ。
細かい胸の内は分からないが、とにかく直接的な話はしなかった。


帰宅後4~5日目(家を出る頃)には、少し際どい話もされた。
僕が数年前にあげた誕生日プレゼントがとても嬉しかったと話しながら泣き出したり、「お前が私のためを思って嫌々居間にきて話をしてくれているのは分かってる」と言われたりはした。

だが僕は別にどうも思わなかった。
同居している時だったら、こういうことで神経をすり減らしていたかもしれない。しかし今の僕は、母が割と簡単に「そういう状態」になることを知っているし、心を傷めることもなかった。理屈だけでなく、心の底からそう思えた。


こうした事からも、やはり「離れて暮らす」ということは非常に有用だと思う。
自分の考え方も好転したし、親側の状況も好転した(結果論だが)



だからやはり、親との関係に悩んでいる人には、一度家を出ることをお勧めする。

もちろん誰でも実践できる訳ではない。お金だって要るし、生活を変える覚悟だって必要だ。
だから「絶対しろ!」なんて無責任なことは言わない。

 

でも一つの(有力な)手法として、離れて暮らすということも考えておいてほしいと思う。

そうすることで、自分も親も変わる可能性がある。

 

 

【日記】 「工場研修」の実態と、研修を通して感じたこと

 

さて、久しぶりにブログを更新しようと思う。
現状報告だ。


今日の記事では、僕が行ってきた会社の「工場研修」の体験を、ひとつのモデルケースとして書き残しておこうと思う。

別に統計的な意味はないけれど、似た境遇の人や、似た境遇を歩むかもしれない人の助けになればと思う。

 

 

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まず最初に、工場研修をするに至った僕の人生を簡単に述べておく。

ここは初見の人向けに書くので、それ以外の人は無視してくれて良い。

 

 

■理系大学院生として(4月までの人生まとめ)

まず僕は26歳の男性である。某メーカー勤務の一年目。理工系出身で、研究職として採用された。

学歴は、某私立大学院卒。一浪して入ったので、現在26歳ということだ。

学生の間、つまり去年までは東京で実家暮らしだった。

その間、親(主に母親)との関係が精神的にうまくいかず、体調を崩したりした。
しかし休学などの措置は取らず、親とも大きなトラブルは起こさず*1、ストレートで卒業した。

就活は、まあ真面目にやったが、やりたい仕事がある訳でもなかったので強い希望は無かった。
理工系なのでメーカーを選び、とりあえず潰れない大企業を選んだ。

家庭の問題の影響で、東京から離れて一人暮らししたいな、とは思っていた。

 

 

■大手メーカー研究職一年目(4月~今日の人生まとめ)

入社後一ヶ月くらいは、本社研修(ビジネスマナーや電話対応などを型どおりに学ぶ)を受けた。
これはどこの会社も同じだろう。

 

その後は数ヶ月、会社の「工場実習」というものに従事した。
これはつまり、工場(現場)で働くことのない社員(研究職・営業・事務員など)が、工場の空気や仕事を知るために数ヶ月間研修に出るというものだ。

あえてはっきり言うのであれば、大卒以上の内勤の人間が、高卒で地元就職した人々の工場労働を体験する、というものである。

 

業務というよりは研修なので、「工場の利益に貢献する」という事よりも、「本社への報告」(現場を理解できたというアピール)が主要なアウトプットといえる。

この「工場研修」という風習はメーカー(製造業)では一般的なものらしい。
この工場実習の長さ・業務内容は会社によって違うし、事業部によっても違う。
とりあえず僕の場合は、半年間、とある中国地方の工場の新人として業務に当たった。

 

で、今日をもってその工場研修が終了した。
明日からは本社の研究所(もとの配属先)に勤務することになる。

住むところも変わる。
中国地方に住むのは今日までで、明日からは北陸地方に住む。

 

 

■大手メーカー研究職二年目以降(今後の見通し)

明日からは北陸地方で、研究職で勤務する。

研究職の勤務地は、当然、研究所だ。

研究所は本社にある場合もあるし、別の場所にある場合もある。

弊社は後者で、複数の研究所がある。そのひとつが北陸地方にある。

 

具体的な業務内容はまだよく分からないが、大雑把に言えば、工場で駆動している機械(広義のロボット)に関する研究だ。
まぁ仕事に期待していないので、内容は別にいい。

 

また、この勤務地(勤務部署)は永続的なものではなく、過去の例から言うとせいぜい2~4年程度らしい。

その後どこに行くのかは分からない。

 

転勤先の予測は、はっきり言って不可能と言える。
研究所内の異動(確率的には最も高い)であれば、ほぼ確実に関東になる。

事業部(ざっくり言えば、研究所よりも商品に近い仕事をする部署)に異動になる可能性も大いにある。
この場合、全国に事業部があるため、北海道から九州までどこに行くか分からない。
(海外事業部に行くことは、ほとんど無いらしい)

またその転勤先も永住の地である保障は全く無い。
要するに転勤族「になる可能性」は常に存在する、と言える。

※こうした事情は、大手メーカー*2の理系人にとってはほぼ共通であると言える。

 


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以上が客観的な僕の立ち位置だ。

 

次に、工場研修を体験してどう感じたか、主観的なことを赤裸々に書こうと思う。

 


■工場実習は大変か?

前述のとおり、実習先によって大きく異なる、ということを念頭において読んで欲しい。

 

僕の場合、まず、肉体的に大変しんどかった。
基本的に立ちっぱなしの作業で、物を運んだり、素早く動いて機械を操作することが求められた。
拘束時間も極端に長く、そのためすぐに足が筋肉痛になった。
少しでも楽になるように、毎朝ビタミン剤を飲んだりもした。

 

また、勤務体系もきつかった。昼勤と夜勤が交互に組まれていたため、睡眠時間の調整が過酷だった。

この肉体的辛さは、今までの人生で最上のものだった。
受験生の時や、院生の時もほぼ無理をしたことはあったが、それを遥かに凌ぐ辛さだった。

特に夜勤は、疲労と眠気でよく分からなくなった。
朝に帰るときは、疲れからお米が喉を通らず、うどんなどしか受けつけない時もあった。
約半年間この勤務体系をこなしたが、別に慣れるということもなかった。

 

また、危険な作業も、実際のところ存在した。
有害そうな薬品であったり、重量物や刃物の近くで作業することもあった。
もちろん安全対策はなされているが、指を切断するなどという事故も過去に起きていた。


※他の実習先に行った人の場合。
しつこいようだが、こうした事情は実習先によって違う。
ひとつ前の工程に勤務しただけでも大きく変わる。
具体的には、座ってする仕事だったり、そもそも夜勤がない場合もあるらしい。

 

※さらに、僕のような「肉体的にしんどい実習」は、女性社員はしない。
 単純に体力の差もあるし、前述のような危険な環境に女性を置くのは、社会的によろしくないのだろう。*3

 


■工場実習の賃金

ただしその分、賃金は高かった。
というのは、残業代・深夜手当て・土日出勤手当が出るからだ。
(もちろん条件を満たさない部署ならば出ない)

具体的には、家賃や水道光熱費を天引きされた状態で、手取り27万円ほどだった。
これは現場従業員と同じ給料だ。つまり彼らは高校を出た時点でこの給料を手にすることになる。*4
そして工場内で出世すれば増えていくことになる。

 

これは、本社研究職一年目の給料より遥かに高い。
しかし一般に、生涯賃金では本社研究職のほうが上らしい。
僕としては信じられない話なのだが、世間一般としては常識らしい。

 


■現場の労働者について

僕は、現場の労働者(地元の高校を出て工場で働いている人)にほぼ初めて触れた。
中学から私立だったし、東京在住だったので、そういう人に会うことはなかった。

 

結果、僕の知っている人々とは少し違った。
まず結婚年齢が若い。あと外見が砕けている人が多く、敬語をあまり使わなかった。
性格は明るい人が多かったように思う。一方、もちろん陰湿な人も居た。
スポーツの話題が最も多く、あとはギャンブル・風俗の話題も多かった。

 

悪い人間が多かったという話ではない。

親切な人も居た。二人で飲みに行った人もいた。

良い人も悪い人もいる、というのは、すべての集団に言えることだと思う。


ただ、僕は元々上記のような話題に明るいわけではなく、割と現場の人と距離があった。
その距離は半年では埋まらなかった。

僕は彼らと距離を作るつもりはなかったが、まあ、元々性格が合わなかったのだと思う。
あまり気にしなかった。

 


■人生の選択について(高卒で現場労働か、大卒以上で内勤か)

別に人生は「高卒で現場労働」「大卒以上で内勤」の二種類だけではないのだが、
今回ふれたのがこの2つだけだったので、これらを比較したい。

 

まず僕の気持ちとして、この二つに貴賎の差は感じなかった。
中には「院まで出て工場で働くなんて屈辱」なんて言う人も居るようだが、
僕はそうは思わなかった。
工場で這いつくばって雑巾がけしても、別に惨めだとは思わなかった。
現場の人に怒鳴られても、別に屈辱だとかは思わなかった。

 

ただ、どちらの仕事が楽かと言えば、圧倒的に「大卒以上で内勤」だと思う。
僕は肉体的疲労の辛さを知った。これは根源的な辛さ故か、耐え難いものだった。

この半年ほど、内勤を選んで良かったと思った時はない。
座って仕事ができるということが、少なくとも僕にとっては重要だと気付かされた。
しかも「大卒以上で内勤」の方が生涯賃金が高いというのだから信じられない。
はっきり言って不平等だと思う。


---


僕は工場研修を通して、今まで以上に保守的な人間になったと思う。
つまり、失敗することが怖くなった。

肉体労働がこんなに辛いと思わなかった。
「仕事なんて何でもいいや」「何かを目指して、失敗してもいいや」なんていう考えは、もう持てなくなった。
世の中には本当に過酷な労働環境があるということを知った。
しかしこれでも、噂に聞く「ワーキングプア」などよりは良い境遇らしい。ぞっとする。
誤解を恐れず素直に言うが、内勤になれて本当に良かったと思った。

 

繰り返すが貴賎の問題ではない。

単純に、世の中には労働条件の格差があることを知った、という話だ。

 

ここ(この国? この時代?)は、本当に恐ろしい場所だと思う。
出来ることなら、僕がこんな現状を何とかしたいが、申し訳ないのだけど力不足でそれは出来ない。

僕はただ震えながら生きることしかできない。

これを読んでいる貴方も何とか無事に生き延びて欲しいと思う。

 

 

 

*1:体調不良も隠した

*2:つまり全国に工場を持っている企業

*3:別に良いとか悪いとか言っている訳ではない

*4:もちろん弊社内での話

【小説感想その2】 『虐殺器官』(伊藤計劃)――贖罪は自分勝手にしかなりえない

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

  

■あらすじ
近未来、テロ対策として厳格なID認証制度を採用したアメリカ。
ピザの注文にすら個人認証が必要という不自由さと引き換えに、国内でのテロ行為は激減。
しかし一方で、途上国ではテロや独裁者の暴政が増加するという皮肉な結果を生んでいた。

主人公はアメリカ政府の暗殺部隊の一員。
高度な情報・武器を携え途上国の独裁者・子供兵士を殺害するその仕事は、命の危険は低かったが、精神的な葛藤からは免れられない日々を強要していた。
そんな中、自分たちの作戦から何度も逃げおおせている謎の男の存在に気づく。
男の名はジョン・ポール。彼が訪れた先では、何故か大規模な内乱、および虐殺が生じている。
ジョン・ポールとは誰なのか。彼は何を行っているのか。そして『虐殺器官』の正体とは。

 

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【日記】 ここに映画等の感想かくのやめます

 

ここに映画の感想をかくのはやめにします。

ここは「匿名で書く」ことが目的のブログなので、

感想は、他のもっとオープンなブログで書くことにしました。

 

今までの感想記事もおそらく消していくと思います。

スター等を付けてくれた方々、すみません。

 

このブログでは引き続き、匿名でしか書けないこと(家庭問題や恥ずかしいことなど)を書いていく予定です。

 

 

わがままばっかり言ってすみません。宜しくお願いします。

 

【小説以外感想その3】『家出のすすめ』(寺山修司)―― エネルギッシュでポエティックでセンシティブな若者啓蒙書。

 

家出のすすめ 角川文庫

家出のすすめ 角川文庫

 

 

 

【ジャンル】 随筆(エッセイ)


【初版発行】1972年
【読了時】2015年
【レビュー執筆時】2015年


■この本を読んだ理由

本屋さんで見かけて。

最近観た、寺山修司原作の演劇が面白かったので。


■概要

戯曲家、寺山修司が若者を啓蒙する内容の随筆(エッセイ)。

親を捨てて家を出なさい。公序良俗に反する行為を行いなさい。その他、色々なすすめ。

 


■感想

凄まじい熱量を持ったエッセイだった。

最初の提言が

『Beat, Beat, Beat!  他人の母親を盗みなさい。』

である。

脳みそがとろけそうだ。

 

その後もこうした常識からかけ離れたメッセージが散見するが、それらの意見の根拠は、たいがいが詩である。
要するに論理的な根拠なんて無い。しかし奇妙なのが、作者はそのことを誤魔化していないし、恥じてもいない。「論理的ではない。それがどうした?」とでも言いたげな、圧倒的な勢い。男らしい。

 

大筋としては、「家を、親を捨てろ。まず捨ててから人生の目的を考えろ」「反俗的になれ。常識を捨てろ」といった所だろうか。

こうした力強いメッセージを表しておきながら、それに関する作者の自伝的部分は非常にセンシティブだ。まさに詩人なのである。

よく巷では「詩」や「ポエム」を、「よく分からない難解で痛々しいもの」という偏見で見ることがあるが、寺山修司に限って言えばその偏見は間違っていない。そして彼の提言はそんな世間の(阿呆どもの)意見など突っぱねるだけの強さがある。

要は、それが重要なのではないか。親や周囲、世間の目など気にするな。好きな様に生きろ。そういうことを伝えるために、わざわざ内容というよりも文脈(および文体)という形で強さを見せているのではないか。

 

何にせよ、この脳みそが破壊されるような感覚は、寺山修司以外の文章ではちょっと味わえない。

読んでみてほしい。俗世に依存しな感性というものがどういう物か、分かるはずだ。


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最後にこっそり、ほんの少しだけ、本音も書いておこう。
凄い本だと思う。でも、今の僕にはまだ少し難しかったです。本音おわり。

 

 

【漫画感想その3】 『四丁目の夕日』(山野一)――リアリティもメッセージ性も寓意性も何もない陰鬱な漫画

 

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)

 

 

【公開年】1985-1986年(全1巻)
【初読時】2015年
【レビュー執筆時】2015年

 

■この漫画を読んだ理由
友人から面白いと聞いて。
ねこぢるの漫画が好きなので。

 

■あらすじ
貧しい町工場の長男である主人公は、貧困から抜け出すために大学受験に向け猛勉強中。
しかしある日、母が事故で全身を焼き入院する。
父は膨れた借金を返すために昼夜問わず働くが、機械に巻き込まれ「ぐっちゃんぐっちゃん」になって死亡する。
主人公は工場と妹達を守るため、大学を諦め工場で働き出す。しかし度重なる不幸の連鎖は止まらない。

 


■感想

ひどい漫画だった。ひたすら陰鬱な漫画。

この漫画から得るものは一つもないと思う。

しかし質の悪いことに、漫画として読みやすい。絵柄も馴染みやすくテンポも良い。それが"被害者"(最後まで読み通す読者)を増やしている。

 


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この漫画が、なぜこんなにも辛いのか。

家族が死に、大学を諦め、劣悪な労働環境に精神が歪み、周囲に馬鹿にされ、執拗に執拗に虐められ、貧困に押し潰される主人公。

この作者が最も残酷な点は、主人公を死なせない点だ。

この主人公の人生は、明らかに死よりも辛い。
こんな人生は生きているだけ無駄だ。

 

しかし人間はそう簡単に死ねない。

当初、主人公には妹と弟が居て、死ぬより辛い状況で働くしかなかった。
彼らが死んでからも、狂人として生き続けざるを得なかった。
そして精神病院を出ても彼は死ねない。ラストシーンでは「かけがいのない第二の人生のはじまり」が描かれる。

これこそが地獄である。

 

彼が救われる最も簡単な方法は、妹たちと首を吊ることだっただろう。そうとしか思えない。

この世界には、それほどの地獄が存在する。

 


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「それほどの地獄が存在する」と書いたが、果たしてこの物語にリアリティはあるか?

全体を通してみれば、無い。


確かに、個々のエピソードは現実的だ。

例えば、印刷機に引きずり込まれてぐちゃぐちゃになって死ぬ事故。

葬式に現れて死体を蹴る借金取り。

人に見放され借金だけを残し倒産する会社。

真冬の大雨の中、カッパも貸してもらえずにバイクで走らされる労働環境。

死んだ父親に関して、「なあ、ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」と執拗に聞いてくる悪質な同僚。

金持ちになびく恋人。ひたすら庭に殺虫剤を撒く狂人。狭く汚い食堂。食事に事欠く程の貧困。

 

全て、実在する。

特にこれらは、一度人生を踏み外すと、意外とすぐに忍び寄る。

こうしたエピソードのリアリティは、人生で辛酸を嘗めたことがあればあるほど増すだろう。


しかし全体を通してみれば、この物語は非現実的と言える。

これほど不幸が畳み掛けることは珍しいからだ。

月並みなことを書くが、この世界には善人も存在する。これは願望ではなく事実だ。

この漫画は、その事実を敢えて伏せている。

 

借金は整理できる。未成年の主人公は保護を求めることが出来る。会社など畳めばいい。

主人公が幸福になれるかは別として、ここまでの不幸を描くことは非現実的だ。

 


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では、この作品にリアリティが無いとして、他に何かがあるのか?

それが、何もないのである。

この物語にメッセージ性はない。カタルシスもない。社会批判も寓意性もない。

ただ強烈に暗い。それだけだ。

 

作者の言いたいことは、特に無いだろう。

貧困の中で鬱々と人生をイメージしていて、それを紙の上に具現化しただけだ。

何かを主張している訳でも批判している訳でもない。

深く考えずに、表層を、つらい描写を素直に感じ取れば良いのだと思う。

 

 

■主観的な感想

最後に、非常に個人的な切り口で感想を書こう。

僕は今、新入社員として工場研修に来ている。

「現場を知る」という名目で、工場の作業員として半年間働きに来ているのだ。
昼勤と夜勤を繰り返し、現場の人たちに怒られながら機械を回している。

 

はっきり言って、かなりしんどい。

完全な肉体労働で、支給される弁当はまずく、職場に会話はない。

常に足が痛くて、機械はうるさく、忙しくて今が昼なのか夜なのかもよく分からない。

仕事おわりには疲れていて、米が喉を通らない。

 

そんな状態でこの漫画を読んだので、かなり心に来た。

現場の人々のことを思い出した。僕はあと数ヶ月でこの現場を去るが、高校を出てから定年までずっと工場で昼勤・夜勤を繰り返して過ごす人々は確かに居る。


僕は、いわゆる差別意識はないつもりだ。職業に貴賎はないと思っている。

しかし、工場の仕事はきつい。

騒音を鳴らす機械の操作はとても危険だ。有害な溶剤をよく肌に浴びる。外へ荷物を運ぶ時、雨が降っていたら濡れるしかない。

台風の中、ずぶ濡れで倉庫まで台車を押した時、僕は本当に辛く哀しい気持ちになった。自分がゴミのような存在だと思えた。

 

これは、貴賎とか平等とかそういう問題ではない。

工場の仕事は辛い。それは事実だ。

この漫画は、綺麗なタテマエの奥にある「嫌な方の事実」だけをまざまざと見せつけてくる。

 

もう見たくないと思った。

僕は読み終わった日、この漫画を捨てた。