「人と出かけるとき、しっかり下調べをしないと気が済まない」
という自分の気質に、ずっと悩まされてきた。
飲み会があるとなれば、(仲の良い同性の友達と会うだけでも)お店を調べて予約して、そこまでの道筋をストリートビューで調べないと気がすまなかった。
どこか娯楽施設に行くとなれば、所要時間はどれくらいで、時間が余ったら潰せる場所はあるのか、トイレは何階にあるのか、待ち時間が長くて退屈しないかなど、細かい点が気になってしょうがない。
僕はこういう自分の気質がすごく嫌いだ。疲れるし、楽しくない。
無理やり分析するのであれば、こういう気質は母親の影響だろう。
母は、理不尽な理由で急に怒り始めて、それを子供のせいにする人だった。
そういう環境で育った僕は、「他人とは、急に些細な事で怒り出すものだ」という思考に(今でも)囚えられていて、下調べをせずにはいられないのだろう。
最近はそんな自分にうんざりしてきたので、少しづつ改善していこうと、敢えてあまり調べないようにしている。
結果、あまり下調べをしなくても、大きな問題は生じていない。
というかむしろ、下調べをしてもその通りにいかない(そしてイライラする)可能性のほうが高いわけで、以前よりも楽しめていると思う。
僕は少しづつ自分を改善できている予感がする。
だが、そうは簡単でないシチュエーションが存在する。
デートやセックスだ。
これらは、「男性がエスコートをするべき。独りよがりになってはいけない」という社会通念上のルールが存在するように思える。
そういう事を言われると僕は参ってしまう。
自分が精一杯、なんとか頑張らなければならない、と力を入れすぎてしまう。
(おそらく、女性における子育ても同じようなところがあると思う)
しかし冷静に考えれば、交際というものは、お互いが楽しくないと意味が無い。
嫌々、自分を押し殺してまでエスコートするなんて、交際をする意味が無いし、相手にも失礼だ。
僕の中で、この二つの考えが揺れ動いて、どうしていいのか分からないことが多々ある。
矛盾に耐え切れずに全てを消してしまい時もある。
「相手に合わせる」と、「自分が楽しむことを優先する」、どちらが正解なのだろうか。
このように、二者択一で考えたり、正解とやらを求める思考自体が、既に間違っているのだろうな、という予感もする。
相手を楽しませて、自分も楽しめばいいのだ。
答えはとてもシンプルだが、そこに至る過程は僕にとってはとても難しい。
とりあえず最近の僕は、今までとは逆で、自分も楽しむという部分に比重をおいている。
この作戦が上手くいっている(=相手も楽しんでくれている)と良いのだが。
それはまさに、神のみぞ知る、だ。