kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【生き方】 人のかたち、自分のかたち


「人と出かけるとき、しっかり下調べをしないと気が済まない」
という自分の気質に、ずっと悩まされてきた。

飲み会があるとなれば、(仲の良い同性の友達と会うだけでも)お店を調べて予約して、そこまでの道筋をストリートビューで調べないと気がすまなかった。

どこか娯楽施設に行くとなれば、所要時間はどれくらいで、時間が余ったら潰せる場所はあるのか、トイレは何階にあるのか、待ち時間が長くて退屈しないかなど、細かい点が気になってしょうがない。


僕はこういう自分の気質がすごく嫌いだ。疲れるし、楽しくない。

無理やり分析するのであれば、こういう気質は母親の影響だろう。

母は、理不尽な理由で急に怒り始めて、それを子供のせいにする人だった。
そういう環境で育った僕は、「他人とは、急に些細な事で怒り出すものだ」という思考に(今でも)囚えられていて、下調べをせずにはいられないのだろう。


最近はそんな自分にうんざりしてきたので、少しづつ改善していこうと、敢えてあまり調べないようにしている。



結果、あまり下調べをしなくても、大きな問題は生じていない。
というかむしろ、下調べをしてもその通りにいかない(そしてイライラする)可能性のほうが高いわけで、以前よりも楽しめていると思う。

僕は少しづつ自分を改善できている予感がする。





だが、そうは簡単でないシチュエーションが存在する。
デートやセックスだ。

これらは、「男性がエスコートをするべき。独りよがりになってはいけない」という社会通念上のルールが存在するように思える。

そういう事を言われると僕は参ってしまう。
自分が精一杯、なんとか頑張らなければならない、と力を入れすぎてしまう。
(おそらく、女性における子育ても同じようなところがあると思う)

しかし冷静に考えれば、交際というものは、お互いが楽しくないと意味が無い。
嫌々、自分を押し殺してまでエスコートするなんて、交際をする意味が無いし、相手にも失礼だ。

僕の中で、この二つの考えが揺れ動いて、どうしていいのか分からないことが多々ある。
矛盾に耐え切れずに全てを消してしまい時もある。


「相手に合わせる」と、「自分が楽しむことを優先する」、どちらが正解なのだろうか。

このように、二者択一で考えたり、正解とやらを求める思考自体が、既に間違っているのだろうな、という予感もする。




相手を楽しませて、自分も楽しめばいいのだ。
答えはとてもシンプルだが、そこに至る過程は僕にとってはとても難しい。


とりあえず最近の僕は、今までとは逆で、自分も楽しむという部分に比重をおいている。

この作戦が上手くいっている(=相手も楽しんでくれている)と良いのだが。
それはまさに、神のみぞ知る、だ。