今日は忙しいので手短に。
①と書いたが別に続きは無い。
一昨日、「自分がなぜ死にたくなるか分からない」と書いたが、ほんの少しだけ見えてきた気がするので今のうちに書く。
僕が死にたくなる理由は、「価値観が定まっていない」からではないか。
ここで言う価値観とは、○○さんが好きだとか、旅行が好きだとか、カレーライスが好きだとか、クラシックを聞くと心が落ち着くとか、そういうことだ。
それがどうやら、定まっていない気がする。
昨日好きだったものが今日嫌いになったり、その逆もよくある。
価値観が続くのが、長くても3日くらいな気がする。
そのせいで、いっぺんにすべてが嫌い(そこまで好きでない)状態になったら死にたくなるし、
何かが好きでも、「どうせ数日後には嫌いになるのだ。僕は本当に好きだと言えるのか?」と不安になり、楽しめない。自分の価値観を信用できない。
自分の価値観が崩壊すると、もはや主観的に世界を見られなくなるから、人生がただの作業としか思えなくなり、終わりにしてしまいたくなるのだ。
これが、僕が死にたくなる理由ではないか。
僕がこうなった原因は、正直言って分からないが、やはりここで子供時代の教育に持っていくこともできる。
親の顔色を伺ってきたぼくにとって、価値観を確立する時間が無かったから、今でも心が不安定なままだ、という説。
もちろん仮説にすぎないが。
今のところ解決策などは思いついていないが、少なくとも今日のこの気付きは前進だと思う。
というのは、今まではその時々の気持ちに左右されて「今はあれが好きだ」とか「今は幸せだと思う」とかミクロな視点で人生を見てきたが、
今日はじめて、人生というマクロな視点において、その感情の昇降の速度(時間微分)を捉えることが出来たからだ。
※これは毎日日記をつけた(観測単位時間を短くした)ことに由来すると思う。
で、この事実をふまえて何をどうすべきかは……分からない。
今後の課題と言えるだろう。
今日はここまで。
タイトルに「①」と付けたが、明日続きを書くわけではない。この解決策なり何なりが思いついたら続きを書く。
ポイントは、
その時々の感情だけを観察するのではなく、
マクロな視点で感情の動向を観察すること。
そんな気がする。どうだろう? 分からないけど、僕は前を向いていたい。