kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 主観的な価値観というものが一個人の中に複数あり、それらは背反しうる

 

まず、昨日(9月8日)の記事と、9月5日の記事とで矛盾が生じている気がしてきたので、
その点を整理していきたい。


昨日は記事の中でこう書いている。

 

作業しない場合、(略) こっぴどく怒られる。これは由々しき事態である。

だから作業をしたほうが良い。

 

しかし9月5日の記事ではこう書いている。

 

そもそも生きている意味が判然としないのだから、「すべきこと」なんて無い


一方の記事では「作業をしたほうがいい」と書き、もう一方の記事では「すべきことなんて無い」と書いている。

これは明らかに矛盾している。

 

どこが間違っているのかを以下に考えていく。

 

まず、

 

そもそも生きている意味が判然としないのだから、「すべきこと」なんて無い

 

この論は正しい。究極的には、人生において客観的に「すべきこと」なんて無い。

そして、もう1つの論の以下の部分も正しい。

 

作業しない場合、(略) こっぴどく怒られる。これは由々しき事態である。

 

これは客観的事実である。作業しなければ由々しき事態が発生する。
問題があるのはその後だ。

 

これは由々しき事態である。
だから作業をしたほうが良い。


ここに論理的破綻がある。

厳密に言えば、「由々しき事態である」から「したほうが良い」というのは論理的ではない。

 

別に、「由々しき事態」になっても良い。

「由々しき事態」を避けなければならないというルールは無い。

 

そんなルールは無いが、僕は「由々しき事態を避けたい」と「思って」いる。

つまりこれは主観的な価値観なのだ。

 

だから正確には、

 

これは由々しき事態である。
だから作業をしたい。


と書くべきである。

これならば矛盾は生じない。

人生に「すべきこと」は無く、作業も「すべきこと」ではないが、僕は主観的に「したい」と想っている、ということだ。

論理としては破綻していない。

 

 

ここまで整理すれば、昨日の日記の何処がどう間違っているのか分かる。

例えば、以下の部分は明らかに間違っている。

 

僕はもう、自分の中の主観性というやつを捨て去りたい。
客観的な、社会的な善悪だけを心に留めて最適化を図りたい。


主観性は捨てることは出来ないし、「客観的な善悪」と想っているものも、僕の主観の1つである。

だから以下のように書き換えるのが正しい。

 

僕はもう、自分の中の「社会性に反する主観性」を捨て去りたい。
「"客観的な、社会的な善悪"に反しない主観性」だけを心に留めて最適化を図りたい。


お分かりだろうか。主観と客観(社会的価値観)の間で揺れ動いているつもりだったが、

実際には「社会性のない主観」と「社会性に則った主観」との間で苦しんでいたのだ。

 

以上の解釈で、2つの記事の矛盾は解消したものと思われる。

 

 

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では内容を一歩進めよう。

 

実際には「社会性のない主観」と「社会性に則った主観」との間で苦しんでいた、と書いた。

つまり

主観的価値観というものが一個人の中に複数あり、それらは背反しうる

ということだ。

これは今後の思考整理の上で大事なポイントとなると思うので、きちん覚えておきたい。おそらく今日の記事の肝だろう。

 

 

さて、今回の例で言えば、

「研究は楽しくないから行きたくない」という主観と、「怒られないために研究はすべき」という主観が背反していた。

 

この背反が生じた要因は、時制の不一致にあると思う。

つまり「楽しくない」のは今日だが、「怒られる」のは数週間後なため、2つの価値観の比重を量りかねたのだ。

逆に言えば、時制さえ一緒ならば、複数の価値観を比べることは割と容易な気がする。

 

問題なのは、時制の異なる複数の主観的価値観をどう折り合いを付けるか?
ということだ。


その点について、また後日考えていく(明日かどうかは不明だが……)。

 

 

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内容に関しては以上だが、最後に、今回起きた「ブログ記事が矛盾しているのでは」という状況について。

 

まず、問題の過去の記事は、あえて修正や削除はしない。

事実関係(ソース元など)に問題があった場合はもちろん修正するが、論理的破綻は、その時の思考の一部であるという考えのもとで残していこうと思う。

(※ただ、記事の最後に「追記」という形で反論記事へのリンクを貼ろうと思う)

 

そして、こういう記事間で矛盾が生じた事実は、僕としては非常に有用なことだと思う。

考えを変化・精査していくことが好きだし、本ブログの趣旨である「思考整理」に繋がると思うからだ。

 

思考整理がいつか価値観の構築に役立つと良い。今後も進めていきたい。

 

 

 

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