親との関係に進捗があったので報告。
タイトルにある"対決"とは、
「実は今までこんな不満があった」と、毒親と腹を割って話す行為である。
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久しぶりに親との事を書こうと思う。
以前の日記から日が空いたので、その間の動向を書こう。
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まず脱線というか言い訳から。
これまで長時間、親との件を書かなかった理由は、「①万が一にも知り合いに見られたくないから」「②思い出したくないから」である。
①は、今までは自暴自棄というか、別に人生なんてどうなっても良いと思っていたが、最近になって、そうでもなくなってきたからだ。今後はあまり具体的な話は書けないかもしれない。
②は、これも心境の変化であるが、親と別居している今、自分の平穏のために1番良いのは「思い出さないこと」なのだ。だから文字にすることも躊躇っていた。
では、それなのに何故書くのかというと、それは「ごく少数の毒親持ちの人が、このブログを見てくれているから」だ。*1
自分もそうだったが、毒親持ちで、似た境遇の人を探している人は多い。
そういう人の為にも、親と離れたあとどうなるか、モデルケースとして書いておきたい。
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さて本題。
まずは、久しぶりなので、僕と親の確執についてか過去記事とともに紹介しよう。
①2014年、就職活動に関して親と揉める
②2015年、一人暮らしをはじめる
ここから先は、初めて書く内容だ。
③2016年春、仕事の関係で地元に戻る機会があった。
土日と繋がっていたので、規制も兼ねて実家に寝泊まりした。
休日に昼間からテレビか何かを見ていたのだが、母親は虫の居所が悪かったらしく、僕につっかかってきた。
「お前はたまに帰ってくるが、お前が私のことを大嫌いなことくらい分かっているし、老後の面倒も見ないくせに、そんな人間にホテル代わりにされて不愉快だ」
といったことを言われた。
最初は軽く流そうと思っていたのだが、あまりしつこく言われたので流せなくなり、とても辛い気持ちになった。
僕は耐えきれず、
「貴女は僕の事が嫌いなのか」
と聞いた。
すると母は、興奮した様子で、
「息子の態度によっては、親だからといって、どんな子でも愛せる訳ではない」
というようなことを言った。
僕はそれを聞いて、涙を流し、荷物を持って家を出た。
後ろでは母が「お前はどうしていつもそうなんだ」と怒鳴っていた。
それからはまた仕事生活に戻った。
数日後にメールが来ていて、
「お前が何を怒っていたのか全く分からない。今まで通り、いつでも帰って来てほしい」
と言われた。
④そのまま時は過ぎて2017年春、
親から「親族の誰それが結婚した」との連絡がきて、ほぼ1年ぶりに連絡をとった。
ここではお互い無難な話しかしなかった。
⑤そして2017年8月(今月)、15ヶ月ぶりに帰省した。
最初は無難な話しかしなかったが、祖父母と会ったあたりから堰を切ったように僕を悪く言いだした。
久しぶりに会った祖父母に対して
「この子は私のことが大嫌いだから、年に一回も帰ってこないのだ。この子はそういう子なんだ」
と語気を強めて話したり、
僕の転職先*2を褒めてくれた祖父母に対して、
「あまり褒めるな。この子は権威とか、世間体とか、そういうのばかり気にして就職先を決めたのだ。大学受験の時だってそうだった。そういう底意地の悪い子なんだ」
と言い、僕の方を向いて、
「私は、お前が本当はどんな子か、よく知っていますからね。お前が思っている以上に、よく知っていますからね」
と言った。
また、祖父母が居ない時に、
「お前は、祖父母に会いたくて来たというより、自分自身の満足度のためだけに、祖父母に顔を見せに来たのだろう。お前はそういう冷たい人間だ」
ということも言った。
あと、これは細かく書けないけれど、僕の友人についても、その出自について悪く言った。
僕はこうした言動に対して、とても耐え難い気持ちになったけれど、祖父母の手前で事を荒げたくも無かったので、
何も言わずにじっと堪え、そのまま予定通りの時間に帰路に着いた。
その後も気分は晴れず、陰惨な気持ちで仕事をし、今に至る。
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それから数日間、気分は晴れなかった。何をしていても暗い気持ちが影をさす。
これはおそらく時間に解決してもらうしかないだろう。
大人しくしていようと思う。
今回分かったことは以下のとおり。
・時間が経っても親は変わらない。
・帰省するにしても、あまり長時間居ない方がいい
・やはり離れて暮らすべきだし、たまに会うにしても、言われた内容は早く忘れた方がいい。
以上。
今後どうするかについては、また今度考え、書こうと思う。
何にせよ、親と関わらず生きることは可能であり、場合によってはその方が随分楽に生きられる。
久しぶりの日記。
最近僕は、転職活動をしている。
今までとまったく違う職種で、住むところも違い、もう、完全に違う人生を歩もうかどうか、そういう選択の前に居る。
本格的に転職を検討しだしたのは14ヶ月ほど前で、色々と考えながらここまで来た。
それで結局、転職するべきかどうか、未だに全然分からないし、今後も死ぬまで分からないだろう、ということを書こうと思う。
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なぜ転職したいのか?
理由はもうごまんとある。適当に言っていいなら何万字でも書ける。
でも、そのひとつひとつが正しいのか分からないし、その重み付けも曖昧だ。
仕事は、拘束時間も長いし、住む場所や生活レベル、健康状態、人間関係にも深く関わってくる問題だから、
仕事の選択とは「どういう人生を生きたいか?」という選択だと言っても過言ではないだろう。
だから、自分の人生にとって何が大事なのか、ということをよく理解していないと、仕事は選べない。
(だから本当は、学生時代に答えを出しておくべき問題なのだ。人々がそれを出来ているかは別として)
だが実際問題として、「自分の人生にとって何が大事なのか」なんて、そう簡単に分かるものだろうか?
僕は今まで「これのために生きよう」と確固たるものを感じていた時期もあったが、今は「それも絶対のものではないかもしれない」と思っている。
そもそも、一つのことだけを考えて生きる(その他全てを犠牲にする)には、人生は長すぎると思っている。
僕は今までの人生で考え方が変わってきたし、今後も変わっていくだろう。知らないこともたくさんある。
だから、今現在は「転職したい」と思っていて、今見えている転職先も「現職より良いものだろう」と予測を立てているけれど、実際これが正しい選択かどうかなんて分からないし、「正しいかどうか」の捉え方も今後変わっていくだろうと思う。
そしてこれは死ぬまで続くだろうと予測している。
つまり、死ぬ瞬間まで「転職して良かったか」なんて分からないだろう。
僕らに出来ることは二つ。
選択する前に、足りない頭でよく考え、よく調べ、どれが最善かを吟味すること。
そして選択後は、決まったことは振り返らず、人生が良くなるようにできることをすることだ。
言いたいのは、
「結局最後まで分からない。分からないまま生きるしかない」
ということと、
「だからといって運まかせにするのではなく、よく学んで、ましな選択をするべきだ」
ということである。
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※この後に、僕の個人的な転職事情を書く予定だったが、
あまりに内容が下らないし、そんなことをインターネットで公開するのは(自分にとって)得がないな、と思ったので、書かないことにした。
僕は多分、強くなったのだと思う。
ちょっとお久しぶりです。
ここ数ヶ月ブログを書かなかったのは、落ち込んでいたからというよりも単に仕事で忙しかったからだ。
今までさんざん、陰鬱なことを書いてきたけど、
ここにきて幸福になれそうな道筋が見えてきた(詳細は今はまだ書けない)。
僕は今、「このままいけば死ぬまで幸福でいられるな」という線上に居て、
今度はその線を踏み外さないことに注力して生きていく。
線が見当たらなかった頃とは大違いだ。
だが、おそらく今の状態が、一般的な人生なのかもしれない。
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僕の状況がどうして好転したのかというと、やはりこれは、運としか言えないと思う。
「善行の見返り」だとか「努力は報われる」とか、そういう言葉は信じない。
僕が不幸だったことにも、幸福であることにも、特に意味はなく、何物とも因果関係はないと思う。
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状況はほぼ問題ないのだが、それでもたまに気分が落ち込む日がある。
それはもう、何の原因もないのだろうと感じている。
今まで陰鬱な気分に対して「寂しいから」「自信がないから」などと色々な原因を仮定してみた。
それらは、陰鬱な性格が発現した原因ではあるかもしれないが、"今、自分が陰鬱な気分であること"の理由ではない。
"今、自分が陰鬱な気分である"ことは、単純なホルモンバランスというか、単なる周期的なものだ。
それも治せる方法はあるのかもしれないが、とりあえず、日々の短期間内の気分の浮き沈みをわざわざ観察したり、考察する行為はやめようと思う。
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今後、また人生が暗転することもあるだろう。というか、そうなる可能性が高い。
その時にどうするかは考えられていない。
考えてどうにかなる問題でもないと思う。
また何か模索するかもしれないし、今度こそ死ぬかもしれない。
(要するに、今回状況が変わったことで、生き方そのものに対して新しい知見を得たわけではないということだ)
何にせよ、僕は元々大事なものを何一つ持っていなかったのだから、
今後どんな最悪な状況に堕ちても、
「なんで自分がこんな目に」とか「僕の人生がこんな不幸なはずがない」なんてことは思わないだろう。
その点では気楽である。
暖かい布団で寝たい。
休日はゆっくり美術館にでも行きたい。
平日も日付が変わる前には帰って寝たい。
栄養のあるものが食べたい。
これらは僕には叶わない。
僕は転勤族で、長期出張中で、関わっている案件が既に半年以上のスケジュール遅延を起こしている。
明日引っ越しを命じられるかもしれない。
次の休みがいつか分からない。
明日、昼勤なのか夜勤なのかも分からないので、気が休まらない。
会社にあてがわれた部屋は狭く、布団は薄い。
突然田舎に引っ越してきたので友人は居ない。映画館も美術館もない。
物はコンビニかイオンで買うしかないが、明日引っ越すかもしれない事を考えると、あまり荷物を増やす気にもなれない。
平日は日付が変わってから帰ってきて、急いでコンビニ弁当を食べて急いで入浴して睡眠時間を確保する。
給料は、決して高くはないが、まぁ家を買わなければ一人で生きてはいける額だ。お金に困っている訳ではない。
ただひたすらに自由がない。
いつまでこんな生活が続くのかを考えると、絶望的な気持ちになる。
まず、転勤族はやめられない。『明日引っ越しかもしれない』という状況はあと40年ほど続く。
会社の上司達は、4月に入ってから内示を受けて慌てて子供の保育園転入願いを出したりしていると聞く。
不規則な仕事のせいで子供のイベントには常に行けず、単身赴任がほとんど、たまに自分の建てた家に帰っても子供に怯えられるという。
誇張抜きで、幸福な人間が社内に一人も居ない。
じゃあ転職すればいいのかというと、そう簡単ではない。
転職自体は可能だろう。しかしまた大企業に勤めれば転勤族は避けられない。
中小企業に入ればそのリスクは減らせるかも知れないが、今度は貧困に喘いでいる大学の同期の声が聞こえてくる。
いっそのこと全く関係ない仕事を……と思うが、しかし僕の周りに幸福そうな人はあまり居ない。
顔なじみのタクシー運転手は一日16時間働いて、休みは月に2日だそうだ。
知り合いの助産婦は昨日も今日も明日も夜勤、血を見すぎて憂鬱だと話していた。
僕の知っている限り、幸福になっているのは二種類。
ひとつは、他人(親や配偶者)の金で生きている人間。
もうひとつは、自分は幸福だと無理に言い聞かせている人間だ。
僕はどちらにもなれそうにない。
もうどうしたらいいか全然分からない。
僕は前に小説家になりたいと書いたけれど、ちゃんと突き詰めて想像してみると、おそらく小説家になったって幸福にはなれない。
転職したって幸福にはなれない。
結婚したって幸福にはなれない。
幸福になる具体的なビジョンが見えない。
はっきりしているのは、明日からまた仕事が始まり、日付が変わるまで食事もとれずに働かされるという事だけだ。
「体壊す前に辞めれば」なんてことを言う人も居るが、じゃあ辞めたら幸福になれるのか?
貯金を崩しながら生活して再就職してまた体を壊すか?
実家に戻ってまた親と暮らして下血して精神も病むか?
もう手詰まりだ。生きられない。