kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【家庭問題】 婚約した ――自力で生きることと孤独に生きることは違う

 

 近況報告だが、表題の通り。

 

それに関連して、以下の2つのことを書こうと思う。

 

・家族と離れても、人は不自由なく生きていける。

・自立は必要だが、孤独である必要はない。

 

 

まず報告として、

とある女性と付き合っていて、プロポーズをした。
相手方の両親に挨拶もした。
僕の両親への挨拶はまだしていない。


知り合った経緯だとか、婚約に至るまでの経緯は、特に新規性がないので書かなくても良いだろう。普通に知り合って、婚約したと思っている。


このブログを読んでくれている人なら、僕の母親にかなり問題があることを知っているだろう(過去の記事参照)。
その母親に2度「挨拶に伺いたい」という話をしたが、うまくいっていない。

 

この旨は、相手も相手方の両親もそれなりに納得してくれているので、
もしこのままでも、挨拶せずに入籍しようと思う。

 

 

---


今回書きたいことは2つある。


1つは、「人生は親に左右されない」ということだ。

 

うちの親は色々な手で僕を束縛しようとしていた。

「お前を産んで育てたことで仕事等を犠牲にした」として僕に罪悪感を植え付けたり、
「大学に行かせてやったんだから老後の面倒を見ろ」等のした記憶のない約束を押し付けたり、数えだしたらきりがない。

今回、結婚の挨拶を拒んでいるのも束縛の一つだろう。*1

 


僕は、苦労もしたけれど、色々やった結果、実家から出ることに成功した。

基本的に、子供はお金さえあれば親から離れることができる。

 

そして、別に親が居なくても生きていける。

保証人が居なくても部屋は借りられるし、仕事も出来る。

親(家族)が居ないで困ることなんて、社会に出た後はほとんど無い。

 

更に言えば、親と仲が悪くても、人に咎められる機会は少ない。

別に言わなければ分からないし、言ったとしても、親と仲が悪いなんてよくあることだから、別に誰も驚かない。

 

たとえ誰かと結婚する事になったって、「親と仲が悪いから」なんて理由だけで完全拒絶されることはないだろう。

 

このことに、まず気づく必要がある。

人間は、親が居なくても生きていける。*2

 


---

 


2つ目は、「自力で生きることと孤独に生きることは違う」ということだ。


毒親関係の本などを読むと、「親と離れ、自力で生きなければならない」と書いてある。

これはその通りで、人は自力で生きていかなければならない。

親だけでなく、配偶者、子供などに依存する生き方は危険だ。*3

人間は、自分のために、一人で生きていけるようにあるべきだ。

 


しかしこれは、「孤独に生きるべきだ」という意味ではない。

一人で生きていける者同士が、一緒に生きていっても良い。

人間と人間の関係は、依存関係だけではない。

 

不健全な家庭で育った人間は、意外とこのことに気づけない。

「依存」以外の関係に気づけない。

だから僕は、「自力で生きる」=「孤独に生きる」と勘違いし、

「それならやはり、家族に恵まれない人は、誰も信用できない不幸な人生を送るしかないのだ」と思い詰めていた。

 

しかしそれは違った。

婚約者はもちろん、数少ない友人にも良い人は居るし、もっと言えば会社にだって良い人は居る。

どんな関係であれ、近くにいるだけで前向きな気分にさせてくれる人は居る。
依存なんてしなくても、人間関係は築ける。

 

だから、自力で生きることは孤独ではない。

むしろ、自力で生きられる人だけが、健全な人間関係を築くことが出来る。

 


---


以上。
今回の記事は、主に家族関係に困っている人に向けて書いた。

 

・家族と離れても、人は不自由なく生きていける。
 → そのためには、経済的に、精神的に自立する必要がある。

 

・自立は必要だが、孤独である必要はない。

 → むしろ、自立した人間のほうが、健全な関係を築ける。

 

 

この2つは、自分の中でも大切にしたい。

 

*1:要するに、親との問題は何も解決していない。うちの親はおそらく病気だから、きちんと治療しないと解決しないだろう、と思っている。

*2:逆に言えば、親も、子供がいなくても生きていけるだろう。

*3:死亡リスクが高いし、精神を病むリスクが高い。