kenpi20の灰色マインドマップ日記

にわか作家志望(某メーカー研究職、新入社員)による、現状把握・思考整理

【演劇感想】『誰も寝てはならぬ』(feblaboプロデュース)

◾️『誰も寝てはならぬ

(feblaboプロデュース)

 

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「演劇を完成するまで帰れません」 

近未来、演劇がとうの昔に廃れた世界。

実験と称し、廃劇場に閉じ込められた素人7人が、演劇の練習を強要させられる。

果たして彼らは演劇を完成させられるのか?

コメディ調メタ演劇。

 

 

 

 

◾️感想
全体の出来としては、偉そうなことを言えば「まあまあ」なのだけど、ラストのオチは好み。こういうの見るために小劇場来てる。

終盤までの芝居ががった芝居とコメディシーンは凡庸だが、それをここであまり求めるのは酷だろうか。 

 


大オチがある物語なのでミステリオタクの立場から読むと、ラストに至る伏線が少なすぎると言える。  

 

メタ演劇ですよと明言する始まりは良いとしても、「演じることに対する違和感、照れ、葛藤」といったシーンをもっと入れてほしい。登場人物がそういう「演技の違和感」を覚えるシーンがあれば、観客も観劇中に「演じること」について考える時間を持てたのではないだろうか。 

 

別の言い方をすると、劇中で彼らは芝居の稽古をする訳だが、その稽古の具体的な進捗や成長が描かれていない点が問題であるように思う。彼らが「演じることを受け入れる(理解する)」シーンがあってこそ、演技と本音の境目が曖昧になるあのラストシーンが映えるのではないか。 

本劇は70分と短い訳だし、もっと時間を割いて彼らの成長(演技の自覚)を描くべきだったと思う。言わずもがな、そういったシナリオを書くのは難しいだろうが。 

 


もしもそうではなく、伏線ゼロの唐突なラストにするのであれば、

何も勘ぐられずに楽しめるように、各コメディシーンはもっと気を使って自然にするべきだろう。しかし、各シーンを違和感なく(ストレスなく)笑って見させるには、世界観があまりにも異質であり難しい。こちらのシナリオも相当難しいと言わざるをえない。

 


他の点。

世界観の説明は、最後まであまりきちんとなされなかった。「演劇という文化が消え失せた近未来」との事だったが、”演劇”という言葉が知られてない程に異世界なのに、仕事やバイト代などはやたらとリアル。深く考えると成立してないように思う。まあ、これで流してしまえるのは演劇のメリットかもしれない。

 


役者さんの演技、演出に関しては特にコメントなし。途中、場面切り替えの暗転と見せかけて、暗いまま夜間のセリフが流れるシーンがあり、あそこは面白かった。 

 

 

 

長々書いたが、やろうとしていること(オチの種類)はかなり好みのタイプで、楽しめた。役者さん達も難しい役に挑戦していたと思う。 

 

この劇団の物はまた見ようと思う。目指している物が面白い以上、いつかは大傑作を作りあげることになるだろう、と思うからだ。今後に大いに期待できる。

 

 

 

 

 

 

 

【演劇感想】『自己紹介読本』(城山羊の会)

◾️演劇『自己紹介読本』

(城山羊の会)

2018年4月17日

 

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駅前の噴水前で待ち合わせをする人々が、意味もなく話を始め、意味もなく相手の人生に干渉し……というブラックコメディ。

 

笑えるけど本当に気まずい。

恋愛、結婚、妊娠、中絶、精神病の全てを茶化しながら「なんで見ず知らずのアンタにそんなこと言われなきゃいけないの?」という気まずさだけで90分もたせたお話。

人間社会ががいかに無意味か、表層的かを見せつけられる恐ろしい演劇。

 


観ててイライラしながらも、何度か声出して笑ってしまった。人間がいかに下品で、自己中心的で、野次馬根性と性欲に溢れているかよく分かる。人間社会がとても無意味で、表層的であるかのように思わされる。まあ実際には、この演劇が表層的な(面を殊更強調している)だけなのだろうが。 

 

 

僕はこの劇団が好きで何度か観に行ってるのだが、毎回かなり似通っていて、「性欲と下世話な好奇心だけの本性が曝け出されていく」というテーマになっている。 

もちろんそれを成立させるだけの演出と演技は素晴らしいものだ、という前提はあるにして、 

はたしてこれらの物語はどれだけ現実的か?(現在を表しているか?)と考えてみる。 

 

そう冷静に考えると、やはり非現実的で、人間のある一部分だけをむやみに拡大しているような歪さを感じる。 

これはもちろん、「愛こそ全て」というような、人間の明るい面だけを拡大したありきたりな物語群へのカウンターなのだろうが、それにしては演劇として完成されすぎていて説得力が強いのが恐ろしい。 

 

とはいえ、上記のような「ありきたりな物語」がそれほど今や世界に蔓延っているとは思えないし、そういう意味では今このカウンターをやること自体にあまり意味はなく、単なる露悪趣味として(これが事実の部分拡大だと大いに理解した上で)観るべきなのだろうか。 

 

だとすれば、かなりの精神強者向けの物語ということになる。 

 

僕は、その間の中途半端な位置から観ることしかできなかった。

何にせよ演出・演技力を楽しむためだけにでもお金と時間を使う価値があるので、また次回も見ることにする。

 

 

 

 

 

 

 

【日記】 結婚は人生や人格の保証にはならない

2か月空いたのでブログを書こうと思う。


入籍した。

前回まで、親との確執の話をさんざん書いたが、もう連絡を絶ったので、そちらでは何の進展もない。
連絡を絶ったまま入籍し、名前を変え、仕事も変え、住居も変えている。


とにかく忙しい。
ライフラインの契約や、住居の契約、荷物の運び出しなどで毎日てんてこ舞いだ。
嬉しいとか、寂しいとか、そういうことを考える暇すらない。
毎日ひたすら作業をしている。  

 

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【家庭問題】 結婚を前に、毒親(?)と"対決"した

 

親との関係に進捗があったので報告。

 

タイトルにある"対決"とは、

「実は今までこんな不満があった」と、毒親と腹を割って話す行為である。

 

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【家庭問題】 婚約した ――自力で生きることと孤独に生きることは違う

 

 近況報告だが、表題の通り。

 

それに関連して、以下の2つのことを書こうと思う。

 

・家族と離れても、人は不自由なく生きていける。

・自立は必要だが、孤独である必要はない。

 

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【家庭問題】毒親(?)のもとに一年ぶりに帰省した

 

久しぶりに親との事を書こうと思う。
以前の日記から日が空いたので、その間の動向を書こう。

 


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まず脱線というか言い訳から。

 

これまで長時間、親との件を書かなかった理由は、「①万が一にも知り合いに見られたくないから」「②思い出したくないから」である。

 

①は、今までは自暴自棄というか、別に人生なんてどうなっても良いと思っていたが、最近になって、そうでもなくなってきたからだ。今後はあまり具体的な話は書けないかもしれない。

 

②は、これも心境の変化であるが、親と別居している今、自分の平穏のために1番良いのは「思い出さないこと」なのだ。だから文字にすることも躊躇っていた。

 

では、それなのに何故書くのかというと、それは「ごく少数の毒親持ちの人が、このブログを見てくれているから」だ。*1


自分もそうだったが、毒親持ちで、似た境遇の人を探している人は多い。
そういう人の為にも、親と離れたあとどうなるか、モデルケースとして書いておきたい。

 


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さて本題。

まずは、久しぶりなので、僕と親の確執についてか過去記事とともに紹介しよう。

 

①2014年、就職活動に関して親と揉める

 

②2015年、一人暮らしをはじめる

 

 

ここから先は、初めて書く内容だ。

③2016年春、仕事の関係で地元に戻る機会があった。
土日と繋がっていたので、規制も兼ねて実家に寝泊まりした。
休日に昼間からテレビか何かを見ていたのだが、母親は虫の居所が悪かったらしく、僕につっかかってきた。


「お前はたまに帰ってくるが、お前が私のことを大嫌いなことくらい分かっているし、老後の面倒も見ないくせに、そんな人間にホテル代わりにされて不愉快だ」


といったことを言われた。


最初は軽く流そうと思っていたのだが、あまりしつこく言われたので流せなくなり、とても辛い気持ちになった。


僕は耐えきれず、
「貴女は僕の事が嫌いなのか」
と聞いた。


すると母は、興奮した様子で、
「息子の態度によっては、親だからといって、どんな子でも愛せる訳ではない」
というようなことを言った。

 

僕はそれを聞いて、涙を流し、荷物を持って家を出た。
後ろでは母が「お前はどうしていつもそうなんだ」と怒鳴っていた。

 

それからはまた仕事生活に戻った。

 

数日後にメールが来ていて、
「お前が何を怒っていたのか全く分からない。今まで通り、いつでも帰って来てほしい」
と言われた。

 


④そのまま時は過ぎて2017年春、

親から「親族の誰それが結婚した」との連絡がきて、ほぼ1年ぶりに連絡をとった。
ここではお互い無難な話しかしなかった。

 

⑤そして2017年8月(今月)、15ヶ月ぶりに帰省した。


最初は無難な話しかしなかったが、祖父母と会ったあたりから堰を切ったように僕を悪く言いだした。


久しぶりに会った祖父母に対して
「この子は私のことが大嫌いだから、年に一回も帰ってこないのだ。この子はそういう子なんだ」
と語気を強めて話したり、
僕の転職先*2を褒めてくれた祖父母に対して、


「あまり褒めるな。この子は権威とか、世間体とか、そういうのばかり気にして就職先を決めたのだ。大学受験の時だってそうだった。そういう底意地の悪い子なんだ」
と言い、僕の方を向いて、


「私は、お前が本当はどんな子か、よく知っていますからね。お前が思っている以上に、よく知っていますからね」
と言った。

 

また、祖父母が居ない時に、
「お前は、祖父母に会いたくて来たというより、自分自身の満足度のためだけに、祖父母に顔を見せに来たのだろう。お前はそういう冷たい人間だ」
ということも言った。

 

あと、これは細かく書けないけれど、僕の友人についても、その出自について悪く言った。

 

僕はこうした言動に対して、とても耐え難い気持ちになったけれど、祖父母の手前で事を荒げたくも無かったので、
何も言わずにじっと堪え、そのまま予定通りの時間に帰路に着いた。

 

その後も気分は晴れず、陰惨な気持ちで仕事をし、今に至る。

 


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それから数日間、気分は晴れなかった。何をしていても暗い気持ちが影をさす。


これはおそらく時間に解決してもらうしかないだろう。
大人しくしていようと思う。

 

今回分かったことは以下のとおり。


・時間が経っても親は変わらない。

・帰省するにしても、あまり長時間居ない方がいい

・やはり離れて暮らすべきだし、たまに会うにしても、言われた内容は早く忘れた方がいい。

 

 

以上。
今後どうするかについては、また今度考え、書こうと思う。

何にせよ、親と関わらず生きることは可能であり、場合によってはその方が随分楽に生きられる。

 

 

*1:毒親の定義や、僕の親が毒親なのかの議論はここではしない。この記事では、毒親という言葉は便宜上使っている、ということにしておいてほしい。

*2:転職先が決まったのだ。

【思考整理】 転職すべきかなんて死ぬまで分からない、だが運任せにせずよく学んで考えてマシな選択をしろ


久しぶりの日記。

 

最近僕は、転職活動をしている。

今までとまったく違う職種で、住むところも違い、もう、完全に違う人生を歩もうかどうか、そういう選択の前に居る。

本格的に転職を検討しだしたのは14ヶ月ほど前で、色々と考えながらここまで来た。

それで結局、転職するべきかどうか、未だに全然分からないし、今後も死ぬまで分からないだろう、ということを書こうと思う。


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なぜ転職したいのか? 

理由はもうごまんとある。適当に言っていいなら何万字でも書ける。
でも、そのひとつひとつが正しいのか分からないし、その重み付けも曖昧だ。

仕事は、拘束時間も長いし、住む場所や生活レベル、健康状態、人間関係にも深く関わってくる問題だから、
仕事の選択とは「どういう人生を生きたいか?」という選択だと言っても過言ではないだろう。

 

だから、自分の人生にとって何が大事なのか、ということをよく理解していないと、仕事は選べない。

(だから本当は、学生時代に答えを出しておくべき問題なのだ。人々がそれを出来ているかは別として)

 

だが実際問題として、「自分の人生にとって何が大事なのか」なんて、そう簡単に分かるものだろうか? 

僕は今まで「これのために生きよう」と確固たるものを感じていた時期もあったが、今は「それも絶対のものではないかもしれない」と思っている。

そもそも、一つのことだけを考えて生きる(その他全てを犠牲にする)には、人生は長すぎると思っている。

 

僕は今までの人生で考え方が変わってきたし、今後も変わっていくだろう。知らないこともたくさんある。

だから、今現在は「転職したい」と思っていて、今見えている転職先も「現職より良いものだろう」と予測を立てているけれど、実際これが正しい選択かどうかなんて分からないし、「正しいかどうか」の捉え方も今後変わっていくだろうと思う。

 

そしてこれは死ぬまで続くだろうと予測している。
つまり、死ぬ瞬間まで「転職して良かったか」なんて分からないだろう。


僕らに出来ることは二つ。
選択する前に、足りない頭でよく考え、よく調べ、どれが最善かを吟味すること。
そして選択後は、決まったことは振り返らず、人生が良くなるようにできることをすることだ。

 

言いたいのは、
「結局最後まで分からない。分からないまま生きるしかない」

ということと、

「だからといって運まかせにするのではなく、よく学んで、ましな選択をするべきだ」

ということである。

 

 

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※この後に、僕の個人的な転職事情を書く予定だったが、
 あまりに内容が下らないし、そんなことをインターネットで公開するのは(自分にとって)得がないな、と思ったので、書かないことにした。
 僕は多分、強くなったのだと思う。