kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【演劇感想その1】『糸、あと、音。』(制作:『時々、かたつむり』) ――SF門外漢が描く,それ故にちょっとユニークなディストピア物

 

f:id:kenpi20:20150905152348p:plain

 

 

【会場】小劇場 楽園
【出演】二ツ森恵美、高橋綾乃、吉田のゆり、高橋実友、三村萌緒、森原彩夏、他
【脚本・演出】菅原達也
【舞台監督】 小川陽子
【演出部】 イサカトモフミ、小川鮎化
【音響】 イサカトモフミ
【照明】 古橋瞳
【宣伝美術】 小川原可菜
【制作】 小林美穂、島崎雅大
【公開年】2015年

 

【視聴時】2015年
【レビュー執筆時】2015年

 

 

■この演劇を観た理由

ポスターに惹かれて。
お盆に東京に帰ることになり、何か演劇を見たくなったので。

ちなみに、僕は演劇関係者ではない。スタッフの知人でもない。
また、観客としても初心者である*1

 

■あらすじ
時は近未来。舞台は、天候を管理する目的で建てられた超高層タワー。
タワーの運営を司る思念体は、タワーの中に生活の全てを用意することで、人類を幸福へ導こうとしていた。
そしてその計画は順調に進み、飲食店・商業施設など全てが揃ったタワーの中で、人類の大部分が過ごすようになる。

しかしそんな刺激のない人生に満足するほど、人類は単純ではなかった。
タワーの外の世界に戻りたがる女性。タワーの中で占い師として生きる女性。タワー外の生活を捨て、アナウンサーとして活躍する女性。思念体によって作られ、業務を実行する女性。そして、頑なにタワーの中で入ろうとしない女性。

彼女たちの思惑が交錯する中、大洪水が巻き起こる。

 


■感想

※あくまで正直に書くので、批判的なことも書きます。すべて個人の感想です。ご了承下さい。

 

現代演劇には珍しく、SFで、しかもディストピア物である。
とはいえ、「作られた理想郷(とその闇)」という設定は、SFとしてはかなりベタだ。
火の鳥未来編やパラノイアなど。タイムマシンなども広い意味ではそうか)

少し特殊なのは、占い師という非科学的な商売が存在していたり、アナウンサーを未だに人間がやっていたりする部分だろうか。
要するに、まだそこまでガチガチの理想郷が出来ていない世界な訳だ。

勝手な想像だが、この「微妙な理想郷」という設定は、狙ってやった訳ではなく、脚本家がSFをあまりよく知らない*2ため生じたのではないかと思う。が、まあ、そこがユニークな点なので結果としては良かったかなと思う。

 

もう一点、いわゆるSF作品と違い特殊なのは、設定の説明をあまりしないという点だ。
タワーを管理する思念体の正体も不明だし*3、思念体が作った少女二人の正体も不明だ。
そもそもタワーの構造(高さや収納人数)もよく分からないし、どのように管理されているのかも不明。
これも脚本家がSFに詳しくないからだろう。
こうした要素を説明しなくても成り立つのは、演劇という媒体ならではだろう。
私見だが、演劇は「説明しないまま進む」という脚本に強いと思う。最後まで説明しなくてもいい。劇場で「よく分からないこと」を肌で感じるのが楽しいのだ。SF小説SF映画ではそうはいかない。*4
この点が最も楽しかった。

 

だが、「脚本家がSFに詳しくない」故に良くない点もあった。
ラストである。
この話のラストは、(ネタバレ反転→)「結局タワーの理想は否定され、人の繋がりの重要性が説かれ皆が救われる」(反転ここまで)という物だが、これはあまりにもベタだ。そしてそこに至るまでの犠牲も少なすぎる。曲がりなりにもディストピア物を描くのなら、過去の作品とは違う結末か、ベタな結末を補う展開・演出が必要となるだろう。
一言で言うと、安易にSFに手を出してしまったのでは、と感じた。

 

*

 

他の点についていくつか。

前述の「説明しないまま進む」という話と被るが、
最初10分ほど、場所も時代も説明せずに話が進んでいくところがとても好きだった。
人造人間らしき女性二人が詩のようなものを読み上げている冒頭などはかなり好き。
物語とはあまり関係なく挿入された、可愛らしいダンスも結構好き。女性たちが真顔で、ニワトリの真似のような振付を踊るのは単純に可愛らしい。この話に必要なのかは全く分からないが。

 

逆に言うと、開始10分くらいで、堰を切ったように「タワーが作られた理由」などが説明されたが、ああした説明はもっと後でもいいかもしれないと思った。すなわち、30分とか45分くらい、状況説明なしで女性たちの会話を聴かせるのだ。
その方が僕好みだが、しかし、その後のキャラクター描写が少なすぎると感情移入出来ないかもしれない。難しいところだ。

 

最後に役者さんについて。若い女性ばかりを用いるというのは、商業的なあざとさは感じるけれど、確かに見栄えはする。若い女性ばかり出てくる割には、脚本もまあ無理は無かったと思う。演技については特にコメントはない。

占い師役の吉田のゆりさんが綺麗だった。今後に期待。*5

 

最後の最後に、今回の開催地『小劇場 楽園』について。
地下の劇場なのだが、なんと観客席が二方向に分かれている。劇場を囲う四方向のうち、二方向が観客席なのだ。"第四の壁"も何もあったものではない。
これは、いかにも演技しにくいだろうなあ。この形状を利用した演劇……というのもあまり思いつかない。しかしユニークなのは良い事だと思う。多分。

 

*

 

感想は以上。

「安易にSFに手を出したな~」というネガティブな部分と、「SFをよく知らないが故にこう出来たのか」というポジティブな部分がある演劇だった。

 

またこの脚本家の作品を見ることがあったら、おそらく今度はSFではないだろう。
それを見たら、またこの作品に対する感じ方も変わってくるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

*1:まだ演劇を5つしか見ていない。

*2:インタビューで仰っていた

*3:後のトークで少し語っていたが作中では言及なし。

*4:完全な私見で、根拠はありません。

*5:演技がどうとかではなく単純に好みの話だ。……下世話な感想でごめんなさい

【アニメ感想その1】 『機動戦士ガンダム』 (富野由悠季監督) ――人間の成長を丁寧に描く,物語としての傑作

 

 

【公開年】1979年-1980年
【視聴時】2015年
【レビュー執筆時】2015年

 


■このアニメを見た理由
初見。
まず、僕はテレビアニメに詳しくない。全話見たアニメはエヴァハルヒ苺ましまろくらいだ。*1
で、ガンダムという作品名はもちろん知っていたのだけど、何分古い作品なので見ていなかった。
そんな中、友人にガンダムオタクが多く興味があった事と、
有料チャンネルで同監督の『伝説巨神イデオン』(映画版)を見て、非常に面白かったので、今更ガンダムも見てみることにした。
少年に戻ったかのようなワクワク感を期待して。


■あらすじ
人類が宇宙に移住を始めて80年。宇宙移民と地球在住民(支配階級)の間には、歪んだ選民思想の下に軋轢が生じていた。
そんな中、地球から離れたコロニーにおいて独立国家「ジオン公国*2が発足され、地球連邦軍独立戦争を仕掛ける。

戦争に関心を示さず気ままに過ごしていた少年アムロ・レイは、突如戦火に巻き込まれ、偶然にも地球連邦軍の試作兵器「ガンダム」を発見、生き延びるためにこれに乗り込む。
これを契機とし、他の民間人やパイロット候補生達とともに、地球連邦軍の一員として戦争に参加する。

只の我儘な少年であったアムロは、戦場における仲間たちとの関わりや、シャア・アズナブルを始めとするジオン公国の軍人たちとの戦いを経て、人間として成長していく。

 


■感想
色々な点で、予想していたものと違った。

 

まず全体を通して話が重い。戦争をテーマにしているから当然といえば当然だが、明るいロボットアニメだと思っていた僕は少し驚いた。

もちろん、重い話が嫌いなわけではない。が、普段テレビアニメを見ない僕としては、重い話を30分×43話見るのは割と心にきた。

キャラクターが死ぬ描写も、一人ひとりちゃんと描かれているので*3、本当に悲しい。逆に言えばかなり緊迫感があった。

 

また、予想外に楽しめた点として、巧みな設定群がある。世間のガンダムオタクが設定に拘っているが、僕自身は興味を持てないだろう……と思っていたのだが、あまりにリアリティのある設定群に夢中になってしまった。
具体例をあげると、「ザクは陸空海で使えるため汎用性が高いが、それ故に地上戦には限界がある。そこで開発されたのがグフである。そんな経緯があるため、グフは地上戦では強いが宇宙では使えない」*4といった理屈っぽい設定に痺れた。自分の中で、物語を見る新しい価値観に気付かされた。

 

もうひとつ予想外だったのが、作中後半において人間に対する哲学が語られる部分だ。主にニュータイプという概念に絡めて述べられるのだが、「(宇宙へ出た人類の進化の果てに)人と人は分かり合えるのか」といった問いが描かれているのが衝撃的で、面白かった。
後年のロボット物であるエヴァは「哲学的すぎる」として賛否両論あったそうだが、ガンダムの時点で既にここまで哲学しているではないか、というのが僕の感想である。
(ただガンダムは、戦争の終結を物語のラストに持ってきている点がエヴァと違って親切である。それに希望のあるラストだ)
(こうした要素をメインに持ってきたのがイデオンなのだろう。あれには絶望しかないが)

 

それに関連してだが、この物語のテーマは「アムロの人間的成長」で一貫している。

前半は、ただの民間の少年であったアムロが、上司に殴られ、仲間の死を見て、また敵の死に様に心打たれ、社会性を身に着けていく。

そして後半はニュータイプとして覚醒することで、軍人としての自我を超えて、人類そのものの未来を考えるようになる。

 

このような主人公の成長を、時間をかけてしっかりと描けている物語はそうそう無いと思う。*5

おそらくこれは富野監督の手腕だ。

人間は成長し得る、ということに、何だかひどく感動してしまった。

 


■個人的な思い入れ(物語として)

ガンダムは、物語として凄いと思った。

メカ描写とか、ロボットアニメとしての新規性とかは詳しくないのでよく分からないが、

僕は「物語として骨格が太い」というようなことを感じた。

 

要するに、人間の成長というテーマの掲げ方と、それをじっくりと視聴者に説得していく手法が、とてもストレートで、「ちゃんとしている」のだ。

監督に伝えたい事が明確にある、ということが心地良い。

創作にあたっては、技術や才能ももちろん必要だけれど、それ以前に「伝えたいこと」をしっかり持つことが大事なのではないか。

ガンダムから、そんなことを感じた。

 

アニメ好きというよりも、物語創作を志す人におすすめしたい。物語としての傑作である。

 

 

 

 

 

*1:後年この記事を見た人のために書いておくと,2015年現在ハルヒは既にブームが完全に収束しており、パチンコ化もされている状況だ。2015年はそのくらいの時代である。

*2:発足当時はジオン共和国

*3:これは倫理の面から言ってとても良いことだ。

*4:曖昧な知識です。

*5:逆に言えば、僕が今まで何となく敬遠していたテレビアニメ(の長い尺)には、そういうメリットがあることも知った

【日記】今後ここに映画や演劇等の感想を書いていきたい、その理由



まず近況報告。
どこまで話しただろう?

僕は某メーカーに技術系就職した1年目で、
メーカーによくあることだが、数ヶ月の工場研修に来ている。

現場の空気を知るため、工場の新人として働くのだ。
(この文章も、田舎の工場の休憩室で書いている)


僕は今、中国地方の工場で働いている。
1勤務12時間のシフトで、昼勤と夜勤が入り混じっている。

正直言ってかなりきつい。
期間限定でなかったら辞めているところだ。
工場は地元の人々(地元の学校を出て働いている人々だ)ばかりで、それも僕には新鮮だった。

何にせよ、肉体的なキツさで毎日てんてこ舞いである。

そして、工場研修が終わったあとも、別に薔薇色の生活が待っている訳ではない、という所も問題である。

工場研修後は北陸に行くのだが、そこでの仕事も別にワクワクするようなものではない。*1
また、そこには友人も居ない。
それに最近の僕は人付き合いに疲れていて、新しく人と関わりたいという気持ちも薄い。

このまま一人で孤独に生きていくのだろうな、と思っている。


*

 だから、そんな訳で、観たものや読んだものの感想を書いていこうと思っている。

 要するに、孤独に生きているのは嫌なので、ネット上に少しでも生きた証を残しておこう、ということだ。

 作品の感想を残す行為は、文化にとって非常に価値がある。
 これは「文芸ジャンキーパラダイス」というサイトの受け売りだが、
ベートーヴェンの曲だって、それを正しく評価した人が居たから残ったのだ。
感想を書くことで、才能のない者でも文化に貢献することが出来る。

 また、もっと直接に、作者へと感謝の言葉を捧げたい、ということもある。
 特に演劇などは、視聴者が非常に少ないから、製作者への反応の数も少ないと思われる。
 作ったからには反応が欲しいだろう。感謝の言葉を書きたい。そういう理由でも、感想を書いていきたい。


更に言えば、エゴサーチしているのは演劇製作者や作家だけではないだろう。
たとえば今日僕はキムラヤ(パン屋)の新商品「エビグラタンパン」を食べたのだが、あれにだって企画者がいて、反応を欲しがっているはずなのだ。*2
だからそういうことも書いていきたい。


まあ偉そうに書いたが、要するに、もう少し他者と繋がりたいのだ。
僕がここに生きていることを、少しでも残したい。そして文化に貢献したい。
そういう訳で、色々なものの感想を書いていく。
個人情報だだ漏れになるが、多少は仕方ない。できる限り続けていきたい。

飽きなければ、だけど。


*

感想を書く上で気をつけたいことが3つ。「正直」「前向き」「主観的」だ。

「正直」は、まあ匿名だし、正直に書こうかなと思う。
他のハンドルネームでやっているSNSでは、基本的に面白かったものしか取り上げないようにしている。でも今回は、そうでないものについても述べたい。

しかし一方で、「前向き」であろうとも思う。
作品がつまらなくても、ただ貶すのではなく、「こうすれば良かったのでは?」とか「ここは良かった」みたいな事を書いていきたい。

「主観的」は、まあ感想だから当たり前なのだが、それ以上に「これは子供の頃読んで怖かった」とか、そういう事も積極的に書いていきたい。

僕は人間で、その人間が、作品に触れたのだということを述べたい。


*

さて、こんな事で本当に文化と繋がれるのだろうか? 生きている証は残せるのか?
分からないが、とにかく手当たり次第やってみよう。

何しろ僕は、文化が、他者が好きなのだ。多分。


*1:工場よりずっとマシだが

*2:エビグラタンパン、とても美味しかったです

【生き方】 人間が幸福になれるかどうかは、全て運で決まる。

 

幸福になる人間と、不幸になる人間の差は、どこにあるのだろうか。

幸福な人間は、何か特別なことをして、不幸な人間は、それを怠ったのだろうか。

守るべきルールがあるのだろうか。

 

本記事では、そうではない、ということを書く。

人間が幸福になれるかどうかは、「運」だけで決まる。

だから、人生がうまく行っていなくても、自分を卑下することはない、という話をしたい。


---

 

およそ人間の行動はすべて、「幸福になるため」に行われている。

仕事も、勉強も、遊びも、募金も、自殺も、全て「幸福になるため」の行為だ。

 

人間には長期的な思考が可能だから、「先の幸福を見越して今は苦労する」といった行動もとる。
しかしそれも含めて、やはり人間は「幸福になるため」に行動していると言える。


そのため、巷には「幸福になるための生き方」というものがたくさん提唱されている。

 

有名なものをいくつか挙げよう。

 

・受験勉強をして学歴を備えたほうが幸福になれる。

・若いころはよく遊んだほうが幸福になれる。

・若い内に結婚したほうが幸福になれる。

・結婚せずに色んな遊びをしたほうが幸福になれる。

・都会で暮らしたほうが幸福になれる。

・田舎で暮らしたほうが幸福になれる。

・仕事に熱中したほうが幸福になれる。

・趣味に生きたほうが幸福になれる。

・健康に気を使い、長生きした方が幸福になれる。

・好き勝手に生きて、短命な方が幸福になれる。

・ポジティブに生きたほうが幸福になれる。

・ネガティブな発想を持っていたほうが幸福になれる。

・人と関わったほうが幸福になれる。

・一人で生きられる人は幸福になれる。

 

これらはとても有名なので、誰しも聞いた事があるだろう。

そして見れば分かるように、これらは往々にして背反している。

例えば「都会で暮らす」「田舎で暮らす」などは、絶対に両方は達成できない。

 

では、どちらかが間違っているのだろうか。

そして、どれか、本当の正解が在るのだろうか。


実は、そういう訳ではない。

「これをすれば幸福になれる」という絶対的な正解はない。

 

何故なら、幸福になる条件は人によって違うからだ。

スポーツをすると幸福になる者もいるし、恋人が居ると不幸になる人もいる。

他人と同じ方法論を実行したとしても、幸福になれるとは限らない。

だから、万人に適応できる「幸福になる生き方」は、存在しない。*1


言い方を変えるとこうなる。

我々が幸福になるためには、自分に合った「幸福になる生き方」を見つけて、実行しなければならない。

 

---

 

では、自分に合った「幸福になる生き方」はどうやって見つければいいのか。

結論から言うと、これには方法論がない。

我々はこの問題に対し、どうすることも出来ない。

何故かというと、「幸福になる生き方」を2つ以上試すことはできないからだ。

 

先程の例で話そう。

「仕事や勉学に励む」という方法論を試したとする。

しかし、5年経ったところで、あなたは不幸だったとする。

では、今から遊んで暮らすべきか?

そう断言はできない。

何故なら、「5年ではまだ結果が出ていないだけかもしれない」し、

「遊んで暮らしていたらもっと不幸だったかもしれない」し、

そもそも「今の不幸の原因はもっと別の要因によるものかもしれないから」である。

 

ざっくり言うと、人間は同時に2つの人生を生きられないから、比較が出来ないのだ。

比較が出来ないのであれば、最善策を見つけることはできない。


---

 

しかし実際問題、我々は今日まで、幸福を求めて生きてきた。

はっきりしたものでなくても、自分なりの「幸福になる生き方」を実行してきた。

「宿題が面倒だからゲームしよう」という少年も、受験勉強に燃える青年も、仕事を辞めたニートも、熱心な営業マンも、犯罪者も、みんな自分なりの「幸福になる生き方」を実行している。

 

彼らは(我々は)、何故その生き方を選択したのだろうか。

何故、幸福になれるという根拠などないのに、その生き方を選択したのだろうか。

 

それはつまり、「信じているから」である。

理屈や根拠はない。ただ、信じているからだ。

周りの意見を鵜呑みにしているのか、親からの教育か、宗教上の教えかは知らないが、要するに信じているのだ。

 

信じているだけだから、正しいとは限らない。

信じている方法がたまたま自分に合わなければ、人は不幸になる。

信じている方法がたまたま自分に合っていれば、人は幸福になる。

 

不幸な人と幸福な人の違いは、ここだけだ。

要するに、運である。


---

 

最後に、今日、僕が最も書きたかったことを書こう。

 

「不幸である」ということは、ただ運が悪かっただけだ。

だから、自分を卑下することはない。

「ああすれば良かった」などと後悔する必要はない。

本当にそのほうが良かったのかなど誰にも分からないのだ。

 

幸福な人に劣等感を抱く必要もない。

彼らだって、運が良かっただけなのだ。


---

 

僕は多くの人に幸福になってほしい。

でも、事実として、「こうすればいいよ」という指針はない。

自分なりに模索しながら探っていくしかない。

 

でも、だから、せめて自分を卑下したり、驕ったりするのはやめてほしい。

 

良くも悪くも、我々は偶然性の中で生きていくしかない。

人生なんてそんなものだ。

 

 

*1:統計学的には、2つの被験者群に分けて幸福度に"有意な"差が出れば、「幸福になりやすい生き方」が存在することになるが、僕は今までそういう正しい文献を見たことはない

【日記】 お金を少し使うことで前向きになった。 ―― 想定したものと全く違う解決法


最近は、結構、ポジティブに生きている。

その理由は、「多少は自由にお金を使えるようになったから」ではないかと思うので、そのことを書こうと思う。

 

前書いたとおり、4月から会社員になり、最近は期間限定で地方都市で一人暮らししている。

知り合いは居ないし、東京ほど開けていないからつまらないだろうな、と思っていたが、意外とそんなことはなかった。


今、一番の楽しみは、外食だ。
ネット等で美味しそうなお店を探し、夕食を食べる。これが楽しい。

食べるのは昔から好きだったが、今までは倹約生活をしていたので、外食という趣味に気付かなかった。なかなか良い。


あとは、本屋さんで好きな本を買って読んでいる。
今まで(倹約生活)と違い、図書館等になくても買ってしまうことにした。
当然だがこれも楽しい。


まとめると、「お金を使うことを覚えたので楽しくなった」という事か。
お金を使うこと自体も、ストレス解消になっている気がする。


---


僕は実家で学生として暮らしている時、かなり辛かった。

親子関係に問題があったし、その関係で倹約をしていたからだ。

しかしその時にはかなり考え方が麻痺していて、
「何にも興味が持てない」「一人暮らしは大変ではないか」「僕は生きるに値しない人間なのではないか」「どうせ結婚なども出来ない」などと、それ以外の問題も感じていた。

悩んでいる最中には、どれが本当の問題なのか分からなくなる。
どれも重要な問題に思えてくる。これが怖い。

 

とりあえず今の僕は、社会人になって、ある程度のお金を手に入れることで多少は楽になった。

この解決策は、ほとんど念頭になかったので、驚きだ。

まあ、このままずっと幸福でいけるとは思っていないが、とりあえずの気休めにはなっている。

 


何かで悩んでいる人は、試してみるといいかもしれない。

自分が想定しているのとは全く違う方法で、解決できる、ということもある。

 

【日記】 最近の悩み事一覧(結婚、趣味、仕事、勤務地)


久しぶりにこのブログを更新しておく。
最近更新していなかったのは、忙しかったのもあるが、
相変わらず「人生において何が大事なのか」が分からなくて、何を書くべきか分からなかったからだ。

しかし今日は少し考えが違う。
人生のどれが大事なのかよく分からないので、それぞれについて全て書いておこうと思うのだ。
そういう訳で、これから思いついたときに思いついたことを書く。
なので、それを読んでも「今はこれが重要なのだな」とは思わないでほしい。
命の危険に晒されていても、昨日見た雲の形について書くかもしれない。そういうことで。


今日はひとまず、今関心があることを以下に羅列してみる。

・結婚について。
 最近、結婚したいなと思っている。しかし結婚したから全てが解決する訳でもないだろうな、とも。
 お金待ちや会社のお偉いさんは羨ましいとは思わない。しかし奥さんと仲良くしている人は羨ましい。
 これは本心か? 単なる現実逃避か? 幻想か?

・元彼女さんについて。
 別れてから9ヶ月ぶりくらいに連絡した。夏には会う約束もした。あはは。
 彼女との経緯は去年の記事を参照してもらうとして、さて、彼女は僕にとってどれだけ重要な存在か。

・ミステリ・映画・演劇について。
 ミステリ(推理小説)が好きだけど、最近はガチガチのミステリじゃない方が好みかも? という話。
 映画は僕の中でまだまだ面白い。感想をここに書くのも良いか。
 演劇は最近できた趣味で、めちゃくちゃ面白い。しかし東京か大阪に居ないと実際観るのは難しい。

・自作小説について。
 趣味で小説を書くのは楽しい気がする。でもしんどい。さて?

・勤務地について。
 僕は東京出身だが、今は期間限定で中国地方に居て、数ヶ月で北陸に戻る。
 北陸には数年間居て、それ以降は関東が有力だが、まあ、全国のどこになるか分からない。
 上記(趣味、勤務地、結婚、元恋人)を踏まえた上で、これは瑣末な問題か? それとも重要な問題か?

・仕事について。
 僕は新卒時に「絶対に潰れない会社」を狙った。その狙いは非常に上手くいった。今の会社は絶対に潰れない。
 しかし上記(趣味、勤務地、結婚、元恋人)を踏まえた上で、「絶対に潰れない」ことは本当に重要か?
 給料も労働条件も別にそんなに良くない。仕事内容は……まぁ楽しくは全然ないが、ストレスで死にはしないと思う。
もし 転職するなら、今度は何を大事にするか?

・人付き合いについて。
 仕事が始まり、思ったよりも人付き合いが苦手な自分に気付いた。
 会社の言うように、人付き合いを大事にすべきか?
 研究室では薄い関係性でも上手くいったが、社会は違うのか?
 そもそも、人生において、もう少し人付き合いした方がいいか? しなくていいのか?


 まあこんな所か。
 どれも重要な気もするし、どうでもいい気もする。

はっきりしているのは、「現状は辛い」という事だけだ。
限られた時間の中で模索していこう。
詳細はおいおい。


【日記】 一人暮らしが確定した。

現状報告。

勤務地が決まった。北陸地方になった。
僕は生まれてからずっと関東に住んでいたので、とてもイレギュラーな決定だと言える。ただ、一生そこにいる訳ではなく、数年で関東に帰るらしい。

それまでは当然、親とは離れて暮らすことになる。
母親はその報告以降、連日泣いているが、僕はこの家庭に色々と問題があったと思っているので、一人暮らしは素直に嬉しい。

ただ、北陸という知らない場所での生活にはやはり不安もある。不便もあるだろう。今までの友人にもあまり会えない。それは残念だ。

決定した直後は、それらについて感傷的な気分になったりもしたが、もう決定してしまったから仕方ない。
なるようになるだろう。

数年後、関東に帰ってきた時のことも、良くも悪くもあまり考えていない。


まあ当面は、北陸と関東を行ったり来たりするらしい。
感傷的になる暇もないだろう。それはそれでも良い。今はそう思っている。


明らかに、鈍感になっている。
タフになっている。
もしかして、大人になっているのだろうか?
どうでもいい。


人生にどうでもよくないことなどあるのだろうか。

僕は死亡保険に入らなかった。受け取らせたい他者が居ないからだ。

これ以上「どうでもいい」なんて言いたくない。
こんな精神も一人暮らしすることで改善するかもしれない。
それがひとまず今の唯一の望みだ。