kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 ロボティーチング、公務員試験勉強、興味のない人生


久しぶりに日記をネットにあげたくなったのであげます。

 

特に大きなことがあった訳ではありません。

単なる人生のモデルケースとして考えて頂ければ。

 

 

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■2017/4/10


 仕事が今日も忙しい。

 数ヶ月前から長期出張で現場に来ている。ロボットを生産現場に導入するのだ。

朝のミーティングでは、僕が担当の装置に関しては特に触れられず。ほっとする。装置に問題がない訳ではなく、他の装置に問題がありすぎるのだ。

 

 それを横目に見つつ現場へ。

 今日は装置のティーチングを行った。
 ティーチングとは、簡単に言えば、ロボットに動きを覚えさせる行為だ。

手足を動かして前進させてから、
「これが『歩く』という動作だよ。覚えてね。じゃあ、明日から一人で『歩く』を行ってね」
とロボットに教示する作業を指す。

 基本的な動作はもちろんティーチング済だが、この度特殊な形状の新製品を扱うことになり、その影響で新規の動作が必要になったのだ。つまりその新規の動作のティーチングをしたのである。

 そもそも後から「こんな新製品にも対応してくれ」と言ってくるのはルール違反で、というかルールの取り決めをしてくれない僕の部署の上司に問題があったりするのだが、その話は長くなるので今日は割愛。


 ティーチングはあらかた終了。

 とはいえティーチング作業自体がかなり煩雑で時間がかかった。
 今後もどんどん新製品が追加される可能性を考えると、僕(研究所の人間)ではなく、現場のオペレータがティーチングをする必要性が出てくるだろう。
そうなると、ロボットの運転だけでなく、ティーチング作業そのものも簡易化・標準化する必要があるし、果ては手順書まで必要になるだろう。
 具体的にどのように簡易化するかというと、ハードの改造(例えば変更させる部位をスライドレールで動きやすくしたり)とソフトの改造(例えば変化させる動作の数を減らしたり、ディスプレイの視認性を上げたり)がある。どちらもやれることは多いが、決定打にかける(作業時間を減らせない)。やはりティーチング作業自体をなくしたいが……どうだろう。
 他にも動作自体に関する細かな不具合もまだある。製品を配置する箇所が帯電の関係で若干ズレたり。うーん。
 どれも地味に難しい問題だけれど生産に直結する訳ではない。この段階まで来れたことには素直に達成感を覚えるし、嬉しい。あとは作り込みの領域だ。これは楽しい。

 

 生産ライン内のロボットは一つではない。
 既に二十四時間生産を開始しているロボットが不具合で停止した。僕の担当ではないのだが、研究所の人間だからということで急遽対応を任される。
 把持するべきワーク(製品になる前の物質のこと)を把持できず落としてしまう、とのこと。ロボットのオーバーライド(速度)を落として再現してみると、なるほど確かに持てない。色々原因は考えられるが、ロボットの見た目は変わっていないし、新製品になってからのエラーだというのでワークのほうを疑う。するとワークに空いている穴の位置が従来品と違うことを発見。その穴から(把持に必要な)エアが漏れており、ワークを落としていたのだ。なるほどなるほど、ということで該当のエア配管にブラインドプラグを指して応急処置。治って良かった。
 ※会社の情報なので、かなり抽象的に書いた結果、訳分からなくなったかもしれない。まあいいや。

 

 あとは部品を発注したりなんかしているうちに、18時。普段は23時くらいまで残業しているのだが、今日は18時に帰る気満々。というのは今日は残業時間の集計日……つまり、月に一度の早く帰れる日なのだ。

 

 解説しよう。

 弊社では毎月の残業時間を計上しているが、近年は、毎月の残業時間に上限が設定されている。要するに、月に70時間以上は残業するな、というお達しが出ているのだ。
 ※これはひとえに、某広告会社の過労死問題を受けての対策だろう。実際には70時間を超えている社員はたくさん居るし(僕含む)、計上されないように残業する手もたくさんある(僕も使用)のだが、何にせよルールがあるに越したことはない。

 で、今日は3月分の残業時間の締め日なのだ。だから、「今日は定時で帰らないと残業時間が70を超えてしまうんですよ~」と言えば、よっぽどのことがない限り早く帰れるのだ。

 

 そんな訳で、今日は定時で帰ろうと決めていた。公務員試験の勉強がしたいのだ。
 しかし、データの整理や共有なんかをしていると、先輩Aがやってきて、「装置Xの作業分析を一緒にやろう」と言ってきた。装置Xというのは朝のミーティングで問題になっていた今ホットな装置で、簡単に言うとタクト(動作にかかる時間)がかかりすぎていて他の装置との釣り合いが取れていないのだ。
 作業分析というのは言葉のままで、装置Xの動作(+オペレータの作業)を観察・解析することで、その中の無駄やムラをなくして最適化しようという行為のことである。
 僕の担当の装置じゃないのに……という愚痴は思わないようにする。まだ若手だし、色んな装置の勉強をさせてもらうのは大事なことだ。
 それより僕が気に食わないのは先輩Aで、この人は他人に仕事や責任を押し付ける天才なのだ。早速、まだやるとも言ってない僕に対して「作業分析始まっちゃうよ? 早く準備してよ」と言う始末。要するに、このままズルズルと装置Xに関する仕事をすべて僕に押し付けるつもりなのだろう。
 嫌気が差したので、上述の「残業時間が上限に達してしまうので」という言葉を残して、さっさと帰ることにした。

 

 帰路は、先輩Bと一緒だった。先輩Bは面白いことに、これからタクシーの運転手のCさんと飲むのだそうだ。Cさんは通勤中によくお世話になる間柄なのだが、先輩Bの長期出張が終わるということを聞いて、送迎の飲み会を開くらしい。Cさんは五十代半ばの男性だが、娘たちも家を出て、話し相手を探しているようだ。僕も誘っていただき、随分迷ったが、今日は予定通り公務員試験の勉強を優先することにした。


 そこそこ遠いアパートに帰った後、問題集や参考書を抱えて、最寄りのガストへ。やはり勉強といえばファミレスである(田舎の喫茶店は夜やってないのだ)。
 クリスピーなんとかハンバーグを食べた後、自己模擬テストを行う。自己模擬テストというのは、問題集の問題を、本番のテストの同じ時間で解く、自己流の模擬テストもどきのことである。もちろんそのためには、本番のテストの問題数とか、ジャンルとかを把握しておく必要がある。
 僕が今やっているのは教養試験というやつで、広ジャンルのマーク式テストである。センター試験みたいなものと思ってもらえれば分かりやすいかもしれない。文章把握、英文、数的処理、判断推理(パズルみたいなもの)、資料読解、政治経済、物理、化学、時事問題など本当に様々なジャンルが出る。それを本番と同じ2時間半で同じように解こう、という試みである。今日で九回目。

 

 で、とりあえず解き終わった。答え合わせは途中。感触はそんなに悪くない。ただ本番で何があるか分からないので合格点ギリギリではなくもっと上を目指したい。

 

 ガストで公務員試験に格闘していると、職場の先輩Dさんに遭遇してびびる。流石に公務員を目指していることは隠しているのだ。
 しかし幸いにもDさんは「何、資格の勉強?」と聞くだけで、内容まではバレなかったようだ。結果オーライだけれどドキドキする。

 

 Dさんは四十代半ばの独身男性だ。このガストによく来るという話は聞いていた。職場の先輩ではあるが他部署で、仕事で話すのも二ヶ月に一回くらい。プライベートな話などしたこともなかった。

 Dさんについて、職場の人との会話にあがったことがあった。プライベートが謎めいていて、やたらとガストに通いつめているという噂。「普段何をしてるんでしょうね~」と僕が言うと、他の先輩は「まあ、あまり興味ないけどね」と言っていたのが印象的だった。世間一般には、四十代男性のプライベートには興味がないのだろうか。まあ僕も強くある訳ではないけれど、その言い方が何故かとても悲しくてよく覚えていた。

 

 勉強が一段落してから、ドリンクバーを取りに行くついでに、Dさんに話しかけた。Dさんはポテトを食べながら文庫本を読んでいた。太田忠司の『僕の殺人』だった。僕はミステリが好きなので興味をひかれた。

「Dさん、太田忠司読むんですか。渋いですね」なんて言って話しかけた。

 Dさんは自分の読書形式について教えてくれた。まず、ミステリが特別に好きな訳ではないらしい。特に好きな作家が居るわけでもない。月に一度、本屋に行って、あらすじが気になった文庫本を六、七冊買うのだそうだ。それをガスト等で読む、ということらしい。二年ほど前からそれにハマって、ずっと本を読んでいるのだそうだ。

 僕は少なからず驚いた。僕が本を買うときには、明確に『あの本が欲しい』と思って買うからだ。でも駅の本屋なんかではDさんのように何の気なしに本を買うことを推奨しているようにも思える。

 何にせよDさんの面白い一面が見えた。おすすめを聞いたら、原田マハ『本日は、お日柄もよく』を教えてくださった。しかも貸してくれるとのこと。ありがたくお借りすることにした。

 

 区切りの良いところまで勉強してから、自転車で帰宅。何となく、Dさんのプライベートに「興味がない」と言っていた某先輩の言葉を思い出す。

 Dさんは読書家だ。おそらく純粋に、自分が楽しむために読んでいる。それは自分にとっては有意義なのだろう。僕にとってはどうか。僕にとっても、そんなDさんの生活は割と面白いものだと思う。

 でも世間一般には、無価値なのだろうか。

 じゃあ、世間にとって価値がある話題って何だろう。最近の例で言うと、佐々木希の結婚とかか。みんな、ああいう美人には関心があるのだ。

 

 では、僕の人生はどうか。
 やっぱり、みんなあまり関心がないだろう。
 僕は一時期、毎日ブログを書いていた。実生活において人とのつながりが希薄すぎて、「インターネットで誰かが見てくれるといいな」と思っていたのだ。
 でも、今となっては、「インターネットで誰かが見てくれる」というのはあまりに薄すぎるように感じている。数は増えるかもしれないが、関係性が薄い。無為に思えてしまい、毎日更新は一年ほどで止めてしまった。その分実生活で人と繋がろうとしていたように思う。今日、Dさんに話しかけたのもおそらくそういう行為のひとつだ。

 その結果かどうかは知らないが、僕は今、仕事でもプライベートでも、特別孤独という訳ではない。長年やっているtwitterも徐々に遠のこうと考えている。その先に何があるのかはまだ分からない(つまり繋がりに関して明確なビジョンがある訳ではない)けれど、とにかく、ネットからは離れて生きていこうと思っているのだ。

 

 Dさんはどう思っているのだろうか、人との繋がりとか、そんなことは、考えていないのかもしれないな。

 そんな風に、Dさんに対してゆるゆると想像しながら自転車を漕いでいたが、これ以上思いを巡らせるのはDさんに失礼かもしれないな、と思い考えるのをやめた。

 

 先輩Aさんにも、出張を終える先輩Bさんにも、タクシーの運転手のCさんにも、Dさんにも人生がある。僕はやはりそこに貴賎はないと思う。

 つまり、全てに価値がある。

 別に何かがあった訳ではないけれど、僕はそう強く感じた。

 とにかく、Dさんに貸して頂ける本が楽しみだ。

 

 今日は中々有意義であった。寝るとしよう。