うちの研究室は、いくつか部屋を持っているのだが、
その中に『助教授の部屋』がある。
本来は、別に助教授専用の部屋という訳ではない。
ゼミ生なら誰でも使っていい、会議のための部屋だ。
しかし実際には、そこに助教授の本がたくさん置かれて(積まれて)おり、助教授の書斎と化しているのだ。
だから、『助教授の部屋』と呼ばれている。
助教授の蔵書は、偏っている。
研究室の部屋なので理工書ばかりなのは当然だが、カオス理論とか、神経学とか、そういう物理学の中でも未解明な分野のものが多い。
こういった分野を突き詰めると、「生命とは何か」「この世の理である相互作用とは何か」といった哲学じみた問題に行き当たる(そういうタイトルの本もたくさん転がっている)。
僕らの専門は「工学」なので、それらは直接は関係がない。
しかし無関係ではない。そうした理論抜きでは工学システムの評価が出来ないし、そもそも仮説も立てられないからだ。
つまり助教授の蔵書からは、彼が理論寄りの工学者であることが伺える。
僕は助教授のそういう所が凄く好きだ。
理論を突き詰めるだけで満足している訳ではなく、また役に立ちそうな装置を作るだけで満足している訳でもない。
理論のプロセスを踏んだ上で、確実に社会に還元していく。
そういう心づもりが、あの蔵書からは感じられる。
僕が助教授と会話をする機会はほとんどない。
立場が違いすぎるし、分野も離れているので会話をする必要がないのだ。*1
そして何より、助教授は寡黙な人なので、無意味な会話はほとんどしない。
でも、研究発表会では毎回僕に質問を投げかける。
その質問はとてもシャープで、答えに窮するようなものだかりだけど、僕はそれが凄く嬉しい。
なぜなら助教授は、つまらない研究の発表は聞いていないし、質問もしないからだ。
つまり、僕の研究に少しは興味を持ってくれているということになる。
それが嬉しい。
もしかしたら助教授は僕の名前すら知らないかもしれない。
でも、僕の研究内容は知っている。
そして多分、助教授はそれをいつまでも忘れない。
それが嬉しい。
僕が助教授を尊敬していることなんて、誰も知らないだろう。
だけど僕は、密かに誇りに思っているのだ。
僕の研究が、助教授の脳内の蔵書に入っていることを。
*1:もちろん同じ研究室なので、広い意味では似た分野なのだが