いつまでも別れた恋人に関する話をされると、読んでいる方は不愉快だと思うが、あと数日で治ると思うので我慢されたい。
今回は、そんな日の(単なる)日記である。
今日は特に何をする気も起きず、部屋の掃除やパソコン内の整理をしていた。
こう書くと「別れた辛さゆえの行動」とか「死ぬ前の行動」のようだが、一応僕の中ではそういう意識はない(無意識下は知らない)。
彼女から貰ったものや、写真、旅先のパンフレットの類は一応取ってある。
(この話は別れるときに既にしていて、彼女のほうから「友達に戻るだけだから捨てる必要はない、私は捨てない」と言われたので、僕もそうすることにした)
だが、記念日が刻印されたストラップなんかは流石に身につけてはいられないので、携帯や定期入れから外し、押し入れにしまった。
旅行用のバッグも押し入れにしまった。
パソコン内の整理でも、彼女と出かけた際の写真はバックアップフォルダに移動した。
旅行先や交通費を調べるためのブックマークは削除した。結婚準備もろもろのブックマークも消した。
部屋は大分すっきりした。
日常生活で用いる、今日か明日にでも用いるものばかりが残っている。
それは、長期的なプランのない僕の人生を象徴していた。
この片付いた部屋のように、今の僕の中には特に何もない。
好きな人と結婚する機会は親に潰されたし、就きたい仕事に就く機会は親に潰されたし、自分を大事に想う機会は親に潰されたし、大事に想うべき家族は居なかった。
今の僕には目標がない。プランがない。よって、全てに対してモチベーションがない。
僕は今まで、飢餓状態になるのが怖くて行動してきた。
(大げさだと思うか? 親に頼れず、親が生きているせいで生活保護も受けられない僕にとって、飢餓は遠い存在ではない)
しかし今となっては、飢餓も怖くない。
そこまで辛ければ死ねばいいだけだからだ。
もちろん今すぐは死ねない。今死んだら元恋人が気を病むだろうから、せめてあと一ヶ月は生きるつもりだ。
だが一ヶ月後より先……僕は何を考えて何をして生きているのだろうか?
あまりビジョンが浮かばない。
生まれ変わった先のことを考えるくらい、明瞭としない話だ。
まあ、日々を送っているうちに何か見えてくるだろう。
それとも何も見えず、惰性で生きることに慣れてくるかもしれない。
どうやら後者の可能性が高そうだ。
それはそれで構わない。
なにせ僕は、苦痛に慣れることは、大得意なのだ。