- はじめに
- 僕のケースについて(簡潔に)
- 具体的な「絶縁」手段
- 金銭面について
- 一人暮らし(各種契約)について
- 一人暮らし(生活能力)について
- 社会的評価について
- 結婚(婚約)について
- 育児について
- 親の介護・生活費援助・借金について
- 次回(精神面について)
-
はじめに
「家族(主に毒親)と上手くいっていない。対決や絶縁も考えてはいるが、実際にやったらどうなるのか?」
そんな風に『家族との絶縁』を考えている人へ、具体的な実例やアドバイスを書こうと思う。
僕は特段、絶縁を推奨している訳ではないが、「絶縁は絶対に悪いことだ」とも思っていない。
この記事が、貴方の判断材料になれば幸いだ。
-
僕のケースについて(簡潔に)
まず自己紹介がてら自分の話を書くと、以下のようになる。
・過干渉な母親に疲れて、就職を機に一人暮らしを始めた。
・ある日、「とある女性と結婚する」と母親に報告し、激昂された。
・「この家庭は不健康だから、一緒にカウンセリングに行って、親子関係を修繕しよう」と提案したが、拒否された。
・結果、親(親族)と縁を切り、結婚し、妻と二人で暮らし始めた。
・三年経った今も、楽しく暮らしている。
※詳細は過去記事参照。
---
まず、家族(主に毒親)と絶縁するとは具体的にどういう行為なのか見ていこう。
-
具体的な「絶縁」手段
まず現代日本において、「絶縁」といえども、親との連絡手段を完全に絶つことは出来ない。
というのも、親子は無条件に住民票を取ることが出来るからだ*1。
黙って引っ越しをしたり、携帯・メール・LINEなんかを着信拒否(ブロック)することは出来るが、逆に言えばそれしか出来ない。
(僕自身もそれしかしていない)
だから、親が本気を出せば家を突き止めることが出来るし、別の電話番号や公衆電話から貴方に電話したり、メールを送ることも出来るだろう。
それに、もしも貴方が全ての連絡手段を絶てたとしても、貴方が仕事等で社会と繋がっている限り、探偵事務所などを使われれば、100%逃げおおせる保証はどこにもない。*2
結局のところ、大事なのは連絡手段の有無ではなく、「連絡を受け付けない、反応もしない」という受け手の心構えなのだと思う。
心構えとして、もし連絡が来たら全て無視する(反論・返信などもしない)。
僕の場合、妻にもそうするようお願いしてあり、もしも家の前に不審者が居た場合には、警察に連絡するよう言ってある。
現実的な判断として、これが今できる「絶縁」の形だと思う。
※もしも貴方が現在、暴行などの具体的な被害を受けて警察沙汰になっている場合、親による住民票の閲覧を禁止できる場合もあるようなので、調べてみると良いかもしれない。
---
-
金銭面について
ここから、絶縁したら何がどうなるのか、具体的な体験を交えて見ていこう。
・絶縁できない理由として、金銭面で悩んでいる人が多いだろう。
だが、結論から言うと、貴方が成人しているのであれば、金銭面のことは気にせず絶縁(一人暮らし)しても良いと考えている。
・実家を出て一人暮らしをする場合を考える。
一般的なアパートで独り暮らしを始めるとした場合、必要な費用は、少なく見積もって30万円くらいだろう。
(家賃6万、敷金礼金12万、引っ越し業者3万、家具家電7万とか?)
しかし現代日本では、もっと安く住める場所はいっぱいあって、
例えば家具付き短期入居物件(レオパレスなど)、シェアハウスなどを考えれば、手金が十万円以下でも生活を始められる。*3
ここまで読んで、もし「そんな変な住まいは怖い」「生活水準を落としたくない」と思うのであれば、その考えは、親の洗脳である可能性が高い。
何故なら、レオパレスやシェアハウスに住む人間なんてごまんとおり、つまり「普通」だからだ。
毒親の下を離れるというのは、こうした「世の中の普通」を知ることだと思う。どうか植え付けられた偏見を捨て、世間を見て、「普通」を知ってほしい。
・また、絶縁がどうこう以前に、「親(家族)が居ないと金銭面で不安」という状態は、生き方として危険だと思う。
自分自身のためにも、金銭的に誰かに依存する生き方は見直すべきだと思う。
上記の話はすべて「成人」の話であって、未成年や、学生の場合は話が違う。
まず未成年については、現代日本は未成年が一人で生きていけるように出来ていない(一人で部屋も借りられない)。
これは善悪というより社会システムの問題なので、大人しく従う(成人するまで家族と暮らす)しかないだろう。
しかしその分、学校や行政によるサポート(相談室・診察・支援など)を活用すべきだ。
・生活費以外の金銭問題として、「学費」「遺産」「借金」などもあるだろう。
「大学費用を親が出しているから絶縁できない」という場合、
一言でいえば、大学を辞めてもいいし、奨学金等で自分で払ってもいいし、実家に留まって親に払って貰ってもいいと思う。
だが個人的には、大学を辞めるのはおすすめしない。現代日本において高卒で働き出すことはリスキーだからだ。
だから大学費用を自分で払うのがおすすめだが、実際問題として払えないケースも多いだろう(家が裕福で奨学金を受けられない、手持ちのお金がない等)
そういう場合には、「ひとまず実家に留まって親に払って貰う」はアリだと思う。
僕個人としては、現代日本においては、大学卒業までは一般的な親の教育義務の範疇だと思うからだ。
ただ法的には、もちろん大学費用は親の義務ではないので、入学後に親の心持ち一つで支払い拒否されたり、大学費用を餌に無理難題を言われる可能性もある。
だからやはり、バイト等をして手銭を掴んでおく方が望ましい。*4
・「親の遺産を貰うかどうか」に関しては、些末な問題だ。
遺産とはそもそも貰えるとは限らないものだ。それをあてにするのは生き方としてリスキーである。
遺産のことを色々考える暇があったら、さっさと一人暮らしをして稼ぐべきだろう。
・「借金を親に肩代わりしてもらっている(又は肩代わりしている)」場合、
これはもはや毒親問題ではないが、
「そもそも借金は他人に肩代わりさせてはいけない」という正論が答えになる。
貴方の借金は、辛くても自分で返すべきだし、親の借金など肩代わりする必要はない。自己破産という手もあるし、結局は本人が何とかするしかない。
※「親の借金は子供が返す義務がある」等と嘘を吹き込まれている子供も居るだろう。それを信じている場合、きちんと自分で物事を調べる習慣をつけた方が良い。
・まとめると、金銭問題は、大きな問題ではあるが、「本質的な問題ではない」と言える。
本当に今すぐ家を出たいなら財政状況に関わらず実家を出られるし、「デメリットを考えたら家を出たくない」というのであれば、それも正しい選択だろう。
ただ、毒親で暮らすことの精神的なダメージは体感以上のものがある。また、絶縁後も影響が残ることがある。それを踏まえて、真剣に考えてほしい。
いずれにせよ、多少の手銭を持っておいた方が良いのは確実だ。
-
一人暮らし(各種契約)について
毒親のつく典型的な嘘として、「人は一人では生きていけない」というものがある。
例えば「部屋を借りるには証人が要る」「勤め先への提出資料に家族の署名が要る」「婚姻届に証人欄が要る」などなど。
これらは全て嘘である。
少し考えれば分かるのだが、両親を亡くした人でも生きているのだから、人間が一人で生きていけないはずがないのだ。
具体的な話をすると、
まず賃借契約について言えば、最近は証人不要の建物も多いし、証人代行サービスを使う手もある。
勤め先への提出書類も同様で、そもそも家族の署名が求められること自体が稀だし、仮に提出出来なかったとして、それで不都合が生じる筈もない(独り身の人間を雇わない会社など社会通念上ありえない)。
婚姻届の証人欄は、法的な意味はないので、知人でも友人でも誰でもいい。推奨はしないが、偽名で出しているケースも多いと聞く。
あとは言うまでもないが、電気ガスネット等の各種契約も、成人であれば親の許可など不要だ。
世の中は、一人で生きていけるように出来ているのだ。
-
一人暮らし(生活能力)について
恥を忍んで書くが、毒親育ち(特に過干渉された子供)は、常識が身に付いていない事が多い。
例えば、成人したのに米の研ぎ方を知らないだとか、部屋の借り方を知らない、電車の乗り方を知らない、買い物の仕方を知らない、銀行口座の作り方を知らないといったことが多くあると思う。
これらについても、僕はそれほど恐れることはないと思っている。
実生活の知識は、基本的には成人後でもネット等で調べ対処することが出来るからだ。
(それこそ、ネクタイの結び方から、タクシーの止め方まで書いてある。)
勿論、常識がないことによる痛手を受けることもあるだろうが、
「分不相応な物を買わされた」「防寒が不十分で体調を崩した」くらいのレベルだろうと想像する。
特に若いうちは、常識がないのが普通なのだ。ある程度は、失敗して、覚えていくしかないだろう。
もし貴方の自己肯定感が低く、「自分が一人暮らしなんて出来るはずない」と感じるのであれば、それも親の洗脳である可能性が高い。
世の中は、貴方が思っているほど敷居が高くない。常識のない人間なんてごまんと居るし、そういう人でも生きていけるように出来ている。
-
社会的評価について
親と絶縁したことによって、社会的評価が下がることはない。
理由は二つあり、
「親と絶縁しているかなんて分からない」し、
「親と絶縁することなんて、珍しくも何ともない」からだ。
まず、会社の上司や同僚、友人に関しては、「親との関係性」なんて話題に上がることはない。
もし何か訊かれたとしても、「いやあ、最近実家に帰れてないですね」などと適当に言っておけばいい。
・また、仮に話の流れで「絶縁してる(連絡を絶ってる)」と言ったところで、
それを強く非難するような人間はまず居ない。
今日、「親子問題(毒親)」はもはやブームと言っていいほど浸透しているし、
そうでなくても、古来より家族というものは関係がこじれるものだからだ。
その上、仲が悪くなくても、親と十年以上会っていない人間なんてざらに居る。
別に「普通」なのだ。
・もし貴方が、「親と絶縁するなんて人間の屑だ!」と憤ってくる第三者を想像し怯えているとしたら、それもまた、親の洗脳の影響と言える。
というか、その第三者は、貴方の親そのものだ。
貴方は結局のところ、第三者ではなく、親に怯えているだけなのだ。
世間の人々は、もっともっと視野が広く、寛容で、多少のことでは驚かないものだ。
・逆に言えば、「親と絶縁するほど酷い目に遭った」と話したところで、第三者が優しくしてくれることもない、という点も覚えておこう。
繰り返すが、親子関係のこじれなど「普通」なのだ。それを特別扱いされることは、良くも悪くも無い。
・むしろ、「親からの被害」を自分から語るのは、控えた方が良いだろう。
それは単純に、訊き手側が楽しくないからだ。
親と絶縁した事実で貴方が謗られることは無いだろうが、「親との絶縁話を聞きたくない」という理由で貴方が避けられる可能性はある。
-
結婚(婚約)について
・ただ、結婚相手とその両親については、ある程度正直に、家族の問題について話しておくべきだと僕は思う。
それは勿論、共同生活をする上で、結婚相手にリスクを背負わせることになるからだ。
※これは僕自身の倫理観による考えでしかない。法的な視点では「婚姻を継続し難い重大な事由」以外は秘匿しておいて良いらしい。
・とはいえ、かなりの高確率で、親との絶縁は、結婚の是非に影響がないと思う。
実際僕の場合、妻も、そのご両親も、僕が親と絶縁している点について、特に何とも思っていないようだった。
特にご両親は、「結婚は君たち二人の自由意志でする行為なんだから、私達にお伺いをたてる必要なんて無いんだよ」と仰ってくださった。
妻は、「嫁姑問題とか考えなくて良いからラッキー」と笑っていた。
・ささやかな結婚式(親族のみ)も開いたが、その際には信頼できる友人達に出席して貰った。
※両親が来ない式は珍しくないらしく、式場側も特に驚きもせず了承してくれた。僕自身も、両親の居ない友人の結婚式に出席したことがある。
・結婚してから三年経ったが、その間も特に問題は起きていない(当然と言えば当然だが)。
・結婚(婚約)は個人的な相手のあることだから、「絶縁してもまったく問題ない!」とは言い切れない。
しかし、上述の通り「親との絶縁なんて珍しくもない」ので、それほど気にしなくてもいいだろう、というのが僕の考えである。
-
育児について
・僕自身にはまだ子供が居ない。
・仮に今後、子供が出来た後のことも、特に心配はしていない。
世間には「祖父母に子育てを手伝って貰うと楽」なんて話もあるが、
それは「親が近くに住んでいる」「親が健康で時間があり、育児に乗り気」「親がまともな人格」といった条件が揃った時のみ可能なオプションのような話だ。子育てにおいて必須という訳ではない。
「そもそも現代日本において、親二人で育児が可能なのか」という社会問題もあるが、それは毒親とは関係のない問題なので、それぞれ判断してほしい。*5
少なくとも、「親と絶縁しているかどうか」は「子供を作れるかどうか」と直接関係はしない。
※「毒親育ちに子育てが出来るのか」については、次回に書こう。
子育てに関しては、世間で色々なことを言ってくる人間が居る(らしい)が、他人というのは無責任に適当なことを言うものなのだ。*6
そんな言葉を気にせず、誰かに頼るのではなく、自分が子供を育てるのだという責任感を持つことが大事だと思う。
-
親の介護・生活費援助・借金について
・上記の通り、親と完全に連絡手段を絶つことは難しい。
そのため、絶縁した後、親から「介護の依頼」「金銭の相談」が来るかもしれない。
これついて、一言で書くと、
『口頭で要請されるだけなら、援助する必要はない。
裁判所の調停まで話が進んだ場合、民法の「親の扶養義務」が焦点となるが、これはとても限定的な内容なので、貴方の生活が脅かされる可能性は低い』
となる。
まず法的な点について見ていこう。
・まず「親の扶養義務」の中身について。
詳細は条文を読んでもらうとして、まとめると、
「親が本当に困窮している場合に」
「(子供自身の生活の)余力の範囲で」
「諸々の事情を加味して義務の度合いを決める」*7
ことになっている。
つまり、子供に親の生活の全ての義務がある訳ではないし、
法的な義務の度合いは、ケースバイケースだということだ。
・では、義務の度合いが決まる(義務の履行)までに、具体的にどのような手順を踏むのか。
まず、口頭で何か要望を言われるだろうが、それを全て飲む必要はない(無視したいなら無視して構わない)。
次に、当事者間の話し合いを場を提案される。
この話し合いで、援助の内容・程度を決める。
(とはいえ、上記の通り「義務の度合いはケースバイケース」なので、素人の話し合いで結論が出るとは限らない。また、話し合いに応じる義務もない)
話し合いで解決しない時、裁判所に持ち込み、調停または審判をしてもらうことになる。*8
当然、その調停結果には従う必要があるが、前述の「(子供自身の生活の)余力の範囲で」という制限があるため、貴方の生活が脅かされる可能性は低い。
あまり怯えなくても良いですよ、というのが僕からのアドバイスだ。
裁判所に馴染みのない人は、裁判所調停などと言うと「何となくおっかない」「時間とお金がかかりそう」「大事になって恥ずかしい」「非現実的だ」
と感じるかもしれない。
しかし、裁判所調停は珍しいことではないし、
調停結果には強制力があるから、
後で有耶無耶にならないためにも、可能であれば裁判所(第三者)を通すのは正しい選択だと思う。*9
・法的な視点の他に、倫理的な視点もある。
「生んで貰った恩はないのか!」「育てて貰った恩はないのか!」「大学まで行かせてやったのに!」「親を殺すのか、薄情者!」「可哀そうじゃないか!」「親の介護は子供の義務だ!」「今まで何もしなかった癖に!」「罰が当たるぞ!」
そんな罵詈雑言が容易に想像できるが、これらは全て、根拠のない虚言である。
・「生んで貰った恩」という概念は、主体のすり替えである。生んだのは親の自由意志だ。そこに子供の責任や義務はない。
・「育てて貰った恩」も欺瞞だ。育児とは、親の義務だ。義務の履行に対して恩義など感じる必要がない。
・「大学まで行かせてやったのに!」については、前述の通り、現代においては大学卒業までが『育児』の範疇だと僕は思う。また、親が子供に与えた苦痛も差し引いて考えたとき、「〇〇してやった」にはあまり意味がない。
・「親を殺すのか!」「可哀そうだ!」は、単に子供に対する甘えである。しつこいようだが問題の主体は親なのだ。仮に生死がかかっていても、人生において、問題は自分自身で解決しなければならない。
・「薄情者!」「罰が当たるぞ!」等は単なる罵声だ。困った人間というのは、思いついたことは何でも口にするものなのだ。鳥の鳴き声と大して変わらない。
以上のように、子供が親の介護・援助をする倫理的な理由は何もないのだ。
まともな親であれば、むしろ「子供に迷惑をかけて申し訳ない」と感じるのではないか。少なくとも、僕はそう思う。
※もちろん、僕は「親の介護・援助をするな」と言っている訳ではない。
貴方が冷静に考えて、「親の介護をしたい」のなら、すればいい。
しかし、倫理的に絶対にしなければならない、というものではない、ということだ。
---
-
次回(精神面について)
長くなったので、今回はひとまずここまで。
近いうちに、続きとして、「精神面」について書いていこうと思う。
(毒親育ちの罪悪感、他者との関わり方、子育てへの不安、孤独感 など)
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
*1:詳細は役所のHPなど参照。
*2:探偵事務所のことはよく知らないので想像で書いているが
*3:行政に頼ったり、(お勧めはしないが)カードローン等も視野に入れれば、元手はゼロでも独り暮らしを始められるかもしれない。
*4:毒親はそれを見越して「バイト禁止、バイトしたら大学辞めさす」などと言うケースもある。そういう場合には黙ってバイトなどの手を考える。
*5:個人的には「親二人で育児は可能」と考えているが。
*6:うちの親は「祖父母が居ない孫なんて可哀そう」なんてよく分からないことを言っていた
*7: 「長兄かどうか」「嫁いでいるかどうか」は関係なく、兄弟全員に扶養義務がある。
*8:一般的には、介護などの行為ではなく、金銭を求められるだけのケースが多いようだ。
*9:勿論それ相応の手間とお金はかかるが。