kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

小説の新人賞は、優れた小説を選ぶ場ではない。 ーー新人賞は就職活動の会場

文芸新人賞について、ネットで少し騒ぎが起きている。

下読みを担当している某文芸評論家が、「他の賞で落ちた小説の再投稿は落とされる」といった旨のツイートをしたのだ。


騒動の詳細はともかく、この「新人賞の再投稿可否問題」(より広く言えば、新人賞選考プロセスへの不満)は大昔から何度も取り沙汰されている。


僕はこうした問題に対して、かなり明確な答えを持っている。

一言で言うと、この問題の本質は、
新人賞が「作家になるための就職活動である」という事実に、投稿者達が気付いていない というところにある。


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再応募禁止(=小説が審査される機会が一度しかないこと)に不満を抱く人々は、
新人賞のことを「素晴らしい小説を選ぶ品評会」だと思っているのではないだろうか。

はっきり言っておくが、それは違う。
新人賞は「素晴らしい小説を選ぶ場」ではない。
新人賞は「会社の利益になりそうな物書きを探す場」(=それなり以上の小説を量産できる人を探す場)なのだ。


言うまでもなく出版社は、利益を生むために存在している。

利益という意味で言えば、
「100万部売れる本を1冊出す作家」より、
「1万部売れる本を120冊出す作家」が欲しい。

だから、仮に面白くても、新作を出せない小説家を受賞させる訳にはいかない。

新作小説を連発出来る人でないと、商業的な価値は低い。

そういう理由で、「他の賞で落ちた小説の再投稿は落とされる」のだ。


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こういう価値基準に対し、不快感を持つ人は多いだろう。

デビューの場が「素晴らしい小説を選ぶ場」で無いなんて、おかしいじゃないか!
そう思う感覚は、間違ってないと思う。僕にも同じ感覚はある。

ただ、それば現実として理解しなければならない制度なのだと思う。
逆に言えば、「新人賞なんてそんなもの」と理解するしかないだろう。

新人賞なんて、所詮は就職活動の場なのだ。
受賞しようが落選しようが、小説の質や価値が決まる訳ではない。

単に「縁が無かった」だけだ。


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もっと言えば、新人賞を受賞するということには、それほど価値がないのかもしれない。

受賞してもらえるお金なんて(サラリーマンの生涯賃金からすれば)たかが知れている。その後も、楽して暮らしていける訳でもない。

もし貴方が『売上が何だ、お金なんて不純だ』と本気で思うなら、受賞する(=金になると思われる)ことなんて、嬉しくもないはずだ。

そして何より、受賞したからといって、小説を質が保証される訳でもない。

結局のところ、新人賞の選考に不満を述べている人達は、新人賞を美化しすぎているのだと思う。


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ネットがこれだけ活発になり、同人活動自費出版もやりやすくなった今、小説を評価するのは新人賞(=出版社の就活)だけではない。

だから、別に新人賞の専攻にいちいち目くじらを立てることはないだろう。あまり考えこまず、自分が面白いと思うものをのびのびと書いていけば良いのではないか。


そういう現状を踏まえて、それでも新人賞を取りたいというのなら、現状のルールに則って賞レースを戦うしかない。



※一応書いておくが、僕は業界関係者でもなく、ただの小説投稿者です。あしからず。