医学や福祉学の用語で、『廃用症候群』というものがある。
平たく言うと、
「体の調子が悪い」 → 「体を使わなくなる」 → 「体使わないので更に体調が悪くなる」 → 「体調が悪いので更に体を使わなくなる」 → 「使わないので更に更に……
という悪循環のことだ。
典型的な例として、車椅子がある。
足が少し弱っている人が車椅子を使うと、普段以上に足を使わなくなるので、症状がどんどん悪くなってしまう。
このような悪循環は、悪いものとして認識されており、福祉の分野では「解決すべき問題」とされることが多い。
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しかし、廃用症候群が悪なのかを深く考えると、実はかなり難しい問題でもある。
廃用症候群の予防"のみ"を考えた場合、車椅子は使うべきではないので、「弱っている自分の足で歩くべきだ」という結論が出る。
しかしそれでは日常生活に支障が出るし、何より辛い。
「自転車を使って、少しだけ足を使う」などの妥協案も同じだ。少しでも自分の体を使う場合、多少なりとも作業効率は下がるし、辛い。
つまりトレードオフの関係になっているのだ。
車椅子は、効率は良いが体は弱る。
自分の体を使う場合、健康には良いが効率は悪い。
どちらが良いのか? 廃用症候群はどれだけ重視すべきなのか?
それは哲学の領域の問題であり、答えは簡単には出ない。
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で、ここからは僕の意見だけれど。
医学、福祉工学がすべきことは、この問題に答えを出すことではないと思う。
そうではなく、患者の方々が、どちらの道も選べる環境を作れることではないだろうか。
つまり、「車椅子を使え!」「いや、自分の足で歩け!」と指示するのではなく、
「車椅子を使いたいのなら、こんな素晴らしい車椅子があるよ」
「自分の足を使いたいのなら、こんな安全装具があるよ」
といった提案をすべきだ。
その上で、患者の方々がどちらを選ぶかは、その方の考え方を尊重すべきだろう。
何故なら、人は皆、自分の好きなように生きる権利があるからだ。
選択肢がある、ということは、おそらく強い希望となる。