kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】『はじめての構造主義』感想、1日家から出ない 他

 

◾︎『はじめての構造主義』感想

 

 


構造主義が何たるかは何となく分かったと思う。

 

構造主義は、従来の「人間は理性を推し進めることで、理性的な文化(真理)に辿り着ける」という考えとは異なり、「理性を突き詰めたところで人間が理性的な文化(真理)に近づいている訳ではない。人間の文化にはいくつかの規則(構造)があり、それを繰り返しているにすぎない」と示した。

 

この考えの威力は、あらゆる教典の文脈を無視するところにある。聖書や資本論等について、その内容ではなく要素に注目して「この考え方は◯◯という構造に分類できる(絶対唯一のものではない)」と説明してしまう。
これにより、人間は何かを絶対的なものとして妄信することが出来なくなった。

 

更に、実存主義の「人に生まれながらの意味はない、実際に何をしたか(実存)で価値が決まる」という主張についても、「各々の行いは大きな変化を産まない(意味がない)。何をしたところで、大きな構造を繰り返すだけだ」と反論した。

 

ということらしい。

 

 

ただ、ここで構造主義が言っていることは、僕には正直当たり前のことのように思える。
人間が進歩しているとは思えないし、何か正しい一意の思想があるとも思えない。

 

それは、僕がそもそも西欧の考え方に染まっていないから?
それとも本書が出てから30年経った故のギャップ?
もしくは僕のニヒリズム的な考えによるもの?

 

 

もうひとつ分からないのは、構造主義的な分析が、具体的にどう役に立つかだ。構造主義とは「方法論」であるようなのだが、この考え方を使うことで何がどう良くなるのか分からない。

言語にしても神話研究にしても、その大元の理論らしいものが分かったとして、それが何の役に立つのか。
それとも、何か法則性(それこそ物理)が分かること自体が目的なのだろうか。

 




本書を読んだきっかけは、「人間関係の悩みなどについて、構造主義的な考えを適用できないか」と考えたからだ。

その意味で言えば、構造主義は、方法論ではあるものの、まず多くの具体的データを揃えないと使いようがない。
だから、利用にあたっては「人間関係について構造主義的に分析した本(論文)」を見つける必要があるだろう。

 

望み薄だけど、もうちょっと探してみようと思う。

 

 


◾︎今日の出来事

 

 

『【生活】コジマ×ビックカメラカード(コジマポイントカード・WAON一体型)解約手順まとめ』というよく分からない記事をアップしました。

 

【生活】コジマ×ビックカメラカード(コジマポイントカード・WAON一体型)解約手順まとめ - kenpi20の灰色マインドマップ日記

 

 

 

・『はじめての構造主義』をずっと読んでました。
面白かったし勉強になったけれど、何かすっきりしない箇所もあり。
 それはまた考えて書きます。

 

 


・今日はなんと一歩も外に出ませんでした。あぁついに。毎日健康のために少しは出ようと思っていたのですが。ついに。

 

 


・離乳食のために、おかゆではなく軟飯(柔らかいご飯。そのまんまですね)を作ろうとしたのですが、思ったより硬くなりました。0.5合で水200で炊飯モード。なぜ駄目だったのかなー。

 


・奥さんがyoutubeで見た「おこげパスタ」を作ってくれました。本人曰く「やや失敗」とのこと。美味しかったけどな。

 

 


・娘は僕が作ったバナナパンケーキをぶん投げます。手掴み食べの道は険しい。  

 

 


・掴まり立ちに熱心なのですが、今日も後ろにぶっ倒れて頭を打ってました。大丈夫なのか。

 

 


・そういえば5日ぶりに娘が深夜に泣いてミルク。

 

 


・娘のひっかき傷はかさぶたに。一応良かった。けど明日病院行こう。 

 

 


・仕事復帰準備の一環として、労働基本法などについて調べました。今更ですが、今後管理職になったら、知らないでは済まされないな……と思ったので。

 

 

 

■『はじめての構造主義』内容まとめメモ(3) 

 

 

P.103〜最後

※読みながら内容をまとめたメモです。いずれちゃんとまとめを書きます。


※前回→

https://kenpi20.hatenablog.com/entry/2023/01/07/080000


・神話をメッセージのある物語として読み解こうとすると、「何が言いたいのかさっぱり分からない」となる。

そこでストロースは、「神話を束にする」「神話を要素に分割」「要素を対立軸で分類」→これを表にまとめることで、神話というものの「構造」が分かる とした。
言い換えれば、神話の要素しか見ず、物語の内容(文脈、テキスト)や「作者の言いたいこと」を無視した。

これにより、聖書の内容に依存してきた西欧の文化や、資本論の内容に依存してきたマルクス主義を解体する形となった。


◾︎3章

ヨーロッパの学問を支えてきたテキスト、人間個人主体の考え方、真理の存在 を構造主義は否定した。
真理は制度でしかないとした。構造とは数学の中に隠れていた真理だ。

ヨーロッパでは、ユークリッド幾何の発明などにより、数学的論証(理性)が真理に到達できると信じられていた。
カントの批判哲学も、ユークリッド幾何が「生まれ持って備わった公理」ーーすなわち真理に近づけるという考えを後押しした。

しかし非ユークリッド幾何が発明されたことで、ユークリッド幾何は公理(真理)ではなく、人間によって信じられているだけの規約であると示された。

更に、相対性理論量子力学の登場が、ニュートン力学の絶対性を崩壊させたことで、ユークリッド幾何も今一度「単なる規約である」ことが示された。

これによりヨーロッパの精神観も変わっていき、「何が正しいかは、公理をどう設定するか、つまり考え方しだいで変わっていくんじゃないの」という疑問が産まれた。
この疑問を明確にしたのが「構造主義」。


・数学における「構造とは何か?」

まず遠近法から説明する。
(歴史的にも、遠近法→射影幾何→形式主義構造主義)と進んできた。

遠近法(絵画)は、
//絵の中の像(2次元)を、頭の中で実物(3次元)に変換している。
目に見えるものだけが存在しているのではないか、そして見る主体は特権的階級なのではないか という考え方の現れである。
更に言えば、皆が個別の視点を持つことも認めた。

遠近法の技法(3次元を2次元に映しとる)に沿って、「平行線は無限遠点で交わる」という公理などに基づいた幾何学が、射影幾何学である。

射影幾何学では、斜めから見た(射影した)図形も同じものとして捉える。そのため、正方形は(斜めから見たら)台形だったり、平行四辺形だったりするので、これらは同じものとみなす。
これらの共通項といえば、「四角形」であること。
このような共通項(射影変換に対して不変な性質)のことを「構造」と呼ぶ。

「構造」だけで出来ている図形はないし、「構造」は目に見えない。

「構造」を共有する対象たちの群れを「変換群」と呼ぶ。

見方を変えれば、「四角形」「円」などではなく「閉曲線」という群でくくることも可能。

代数における演算方法(たとえば「大きい数から小さい数を引くルールなど」)も「構造」である。


・20世紀の数学とストロークのつながり

数学では、ヒルベルトニコラ・ブルバキ学派により、構造を核に、数学の統一像を描こうとした。
ニコラ・ブルバキの一人がストロースに手を貸した。

ストロースが発見したカリエラ型婚姻クラスは、抽象代数の群「クラインの四元群」と同じ構造。

つまりオーストラリアの原住民は、大昔から「クラインの四元群」を知らないうちに活用していた。
人間は進歩しているのではなく、あらかじめ決まっている思考レパートリーを並び替えているだけなのかもしれない。

具体的な神話構造の調べ方
まず神話を沢山あつめ、それを要素に分け、どう交換されているかを確認。交換をしても変わらないものが『構造』=本質 である。

構造主義の意義は「主体の喪失」にある。遠近法では主体(どこから見るか)が重要だったが、射影幾何学においては「どこから見たとしても同じ群にあるもの」として扱うのだから、主体は無関係となった。
これを神話学に置き換えた結果、
主体の思考(ひとりひとりが責任を持つ、理性的で自覚的な思考)の彼方に、集合体な思考(大勢の人々をとらえる無自覚な思考)の領域が存在することを示した。それが神話である。
神話は、構造(各要素・時系列を交換しても変わらない骨組みのようなもの)を持っている。この構造は直接見ることはできない。

 

構造主義の転用
文学批評。作品を完結した「宇宙」だと過程して、その内部で数学的な操作を行なって「構造」をとりだす批評。
斬新ではあるがワンパターンでもある。


ポスト構造主義に入門するなら
『構造と力』有名。実力派向き。
現代思想の冒険』初心者向け。
記号論社会学』大学程度の教科書・入門書。

巷では「ポスト構造主義」が流行っている。しかし構造主義への批判はむしろ前時代的な思考だったりするし、構造主義ほど新しいモデルを構築している訳でもない。一体を含めて「構造主義」と捉えてもいいかもしれない。