kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【地理】東京23区 各区の特徴まとめ

 

■この資料について


仕事の関係で、東京23区について知っておく必要が出たので、各区の特徴(主な町名、地形や住民の傾向など)を簡単にまとめました。

ほとんどがwikipediaの情報をそのまま抜粋したものです。

 

 

 

千代田区

人口7万人弱(昼は多い)

面積11.66km2


区名は江戸城の別名である「千代田城」に由来する。港区・中央区とともに「都心3区」と呼ばれる。
皇居、国会議事堂、内閣総理大臣官邸、最高裁判所、東京駅、秋葉原、など。

日本国の中心機関があるといえる。

 

 

 

中央区

 

人口17万人(都心回帰で増えてきた)(ワースト2
面積10.21km2(ワースト2


オフィス街・商業地の日本橋や、銀座、八重洲・京橋・築地、晴海など。

 

江戸城(現在の皇居、千代田区)の東側に位置するいわゆる「城東」エリアに属し、江戸時代から続く下町(町人町)エリアと東京湾臨海部の埋立地エリアで構成される。地上駅舎がまったく存在しないのは東京特別区ではこの区のみである。

 

 


■ 港区

 

人口: 24.31万
面積: 20.37 km2

 


「城南地区」。副都心、お台場。東京タワー、虎ノ門や新橋・汐留、六本木、赤坂、芝、青山、白金台など。


明治維新後に大名屋敷跡地を各国政府に提供した歴史的経緯や政府主要機関へのアクセスのよさから、現在日本に存在する約150の駐日大使館のうち半数以上が港区に集積している。


大使館の他にも外資系企業も多数立地しているため、区の人口の約1割が外国人居住者という国際色豊かな街である。区の一人あたりの平均年収は1000万円を超え、東京都23区内では最も高い。


高低差の大きい地形(坂が多い)。


企業や富裕な住民が多いことから税収が多く、都の普通交付金の対象外とされるほど財政的に豊か。

 

 

 


■ 新宿区


人口30万人


都庁所在地。渋谷や池袋とともに東京の三大副都心の一角。新宿、歌舞伎町、落合、高田馬場


新宿区は都内で最も外国人が多い区である。外国人のなかでもとりわけ、中国人と韓国人が多数居住している。特に大久保、大久保駅新大久保駅周辺から職安通りにはコリアタウンをはじめとする、アジア系の外国人コミュニティが形成されている。新宿区の人口の1割が外国人とされる。


商業地と住宅地、歴史ある地名と再開発地域、多国籍といった、まさに大都市の光景を縮図にした性格を新宿区はもっている。

 

 


■文京区


11.29km2
24万人


皇居の北。学問・教育の街。
東大、東京ドーム、全体としては住宅街。椿山荘。


目黒区、世田谷区、および練馬区と共に、JRの駅が一つも存在しない。

 


台東区

10km2
21万人


上野公園、浅草。
面積は23区の中で最も小さい。
区は全般的に商業地で、住宅地は少ない。

 

 


墨田区


13.77km2
27.5万人
川に囲まれ海抜が低い。両国国技館スカイツリー隅田川花火大会、本所。

 

近年では、これら工場跡地にマンションを建てるなどの開発が進められ、特に2000年(平成12年)以降は人口が大きく増加(回復)している。

 
一部地区は戦後に建てられた古くからの木造建築が多く、また建物の密度が高い。
 
 

 

 

江東区


面積 40.16km2
総人口 529,520人

 

夢の島東陽町など。


区名は隅田川の東に位置することによる。隅田川と荒川にはさまれた江東デルタの南部を占め、東京湾に面する。
 
現在の江東区の区域は、古くは海面と散在する小島があるだけであった。江戸時代に入ると埋め立てられて新田開発が進み、特に深川地区は明暦の大火(1657年)後に江戸幕府の開発によって武家屋敷や社寺が移されて発展した。
 
青海・有明地区は東京臨海副都心として開発され発展が著しく、台場地区と連続した近代的計画都市となっている。
 
豊洲地区や夢の島地区には子供向け施設が充実し、近年は都心からの近さゆえ都心回帰の影響で大型マンション建設が相次ぎ人口が増加しているが、区による少子化に伴った小学校の統廃合が行われた後の人口増加のため、統廃合が行われた小学校では生徒の受け入れが困難な状況である。
 
臨海副都心の大半が江東区で、下町情緒と近代的な再開発地域の同居する街並み。
 

 

 


■品川区


総人口 419,261人 


品川、大崎、五反田、目黒駅、大井町、荏原(えばら)など。

 

ビルと商店街。

東京23区の中で各区住民による総合満足度ナンバーワン。

目黒川は河口付近では古くは「品川」(しながわ)といい、湾岸開発が進む以前は河口付近で流路が湾曲していて流れが緩やかであったため、古くは湊(みなと。cf. 品川湊)として使われ、品の行き交っていた川であった。これが地名「品川」の起こりとされる。
 
 
 


■目黒区


面積 14.67km2
総人口 284,788人


目黒駅の庭園美術館側。
駒場、自由が丘など。


東京23区の中で鉄道駅の数が最も少ない。高級住宅街、地震に強い。
 
 


大田区


面積 60.83km2
総人口 740,823人

 

羽田空港が面積の1/3。高級住宅地の田園調布もあり。
大森貝塚東工大大岡山キャンバス、令和島の一部。


区の政治・経済・鉄道交通は蒲田に一極集中している。住宅都市であると同時に臨海部は京浜工業地帯に含まれる工業都市でもあり、町工場が集積する日本を代表をする「中小企業の街」である。
 
区域に存在するほとんどの源泉は独特の香りがある「黒湯」と呼ばれる褐色の冷鉱泉である。場所により色の濃淡がある。
 
 

 


■世田谷区


面積 58.05km2
総人口 938,288人

 


区内には二子玉川三軒茶屋・下北沢などの商業地があるが、区内の地目別土地面積の9割以上は閑静な住宅地区。台地と低地から成っている。

人口と世帯数は東京23区の中で第1位。
 
区内には、カーナビゲーション開発の実験地に選ばれたほど、区画整理されずに細かく細い道が続く住宅街がある。一方、東急電鉄や東京信託会社などによる早期の沿線開発により一区画100m2内外を一軒とした大規模な住宅街区も点在する。
 
昼夜比は0.897倍と昼間に約1割減少するベッドタウン型の日内変動がある。
 
全国と比べた年齢別の人口比率では、大学生辺りの年齢から40歳代半ばまでの比率が大きい
東京都内で最も犯罪認知件数が多い自治体。車上荒らし、ひったくり、振り込め詐欺など。
 
区では環八通り(東京都道311号環状八号線)に沿う鉄道「エイトライナー」の構想を持っており、環八通りの沿線区とともに計画を推進しているが、着工の目処は立っていない。
道路工事の構想もあるが、反対運動のため目途は立っていない。
※このように都市計画が進んでいないことから、住宅地・農地が非計画的に拡大している?
 
 


■渋谷区

 

面積 15.11km2
総人口 242,538人


区内全域が武蔵野台地上の高台。
 
区内には明治神宮や代々木公園といった広大な緑地が存在し、周辺には松濤や代々木上原、代官山といった山の手の高級住宅街も点在している。
 
区北部(幡ヶ谷や笹塚)は下町情緒あふれる庶民的な商店街が数多く存在するなど、新宿区や中野区のターミナル駅周辺以外のエリアに近い雰囲気を持つ地域である。しかし、地域内に存在する緑道や水道道路の再整備が計画されているほか、駅周辺でも大規模な再開発が行われており、近い将来に街の様子が変貌する可能性がある。


1970年辺りまでは、「若者の街」「若者文化の流行の発信地」といえば、新宿であった[4]。しかし、1973年にで渋谷パルコの開店があり、日本における若者文化の歴史が大きく変化した。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」(つまり原宿、表参道、代官山、裏原宿方面も)と移り変わっていくこととなる。
 
街の中心に位置する渋谷駅は山手線南西部のターミナル駅であり、新宿駅に次ぐ世界2位の利用者数を誇る(直通人員を含める)。
IT企業が集積している地区としても知られる
 

 

■中野区


面積 15.59km2
総人口 344,050人 [編集]


 
道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。
大きな川はなく、公園や緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。
区内全域にわたり戸建住宅や集合住宅が密集して広がっている。低層建築物がほとんどを占めているが、主要道路に面した地域には中層〜高層マンションが多い。区内には木造住宅密集地域(木密地域)が多く、また賃貸住宅の比率が高いため、人口の流動性が高い。建蔽率が高く、隣家との間隔が1m未満の場合であることも珍しくない。緊急車両の進入が困難な狭隘道路が網の目のように存在する。
地震の際には火災危険度が非常に高いとされる。そういった地域は家賃が安く交通が便利なことから、20〜30歳代の若年層の居住がきわめて多く、子供が少ない。
 
昼は夜の0.920倍の人口になる。
 
 
 
 


■杉並区


人口 56万人
面積 34km2


自然が豊富な、閑静な住宅地域。昼は夜の0.841倍の人口になる。
江戸時代は武蔵国の一部であり、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。
甲州街道に沿って玉川上水が設置された。 
 


江戸時代の初期、成宗・田端両村の領主が青梅街道沿いに植えた杉並木があったことに始まる。この杉並木は明治前になくなった。その後「杉並」の名は村名として採用され、町名、さらに区名となって現在に至る。

 

 

■豊島区


面積 13.01km2
総人口 302,972人


東京23区の北西部に位置する。交通・経済・行政の中心は池袋。
 
おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨、高級住宅街・文教エリアの目白、多くの著名人が眠る雑司ヶ谷霊園や慈眼寺、染井霊園など。
2010年の調査で再び人口密度日本一。
 
2014年に若い女性の減少を理由に「消滅可能都市」に選定されたことから、対策を開始。
「女性にやさしいまちづくり」「地方との共生」「高齢化への対応」「日本の推進力」の四つの方針を柱とし、安全・安心なまちづくり、文化の多様性を活かした国際アート・カルチャー都市づくりなど、持続発展都市を目指した取組みを進めている。
2020年には東京の自治体として初めて内閣府より「SDGs未来都市」「自治SDGsモデル事業」の両方に選定された。
 
かつては「豊島」という地域はより広かった。
豊島という町名が豊島区ではなく北区にあったり、同じく「としまえん」(2020年に閉園。豊島氏の城の一つ練馬城の跡地)が練馬区にあったりしたのはそのためである。
 

 

■北区


面積 20.61km2
総人口 355,458人

 


赤羽、王子、十条、豊島など。


滝野川反射炉(大砲工場)への用水の供給を目的に掘削された、王子分水の水力が利用できることから、王子地区に鹿島紡績所、王子製紙が明治初期に開設され、この出来事が昭和中期までに紙業・食品製造業などの消費財生産業が発達する先駆けとなった。

 


荒川区


面積 10.16km2
総人口 217,776人


荒川、日暮里、南千住など。
 
元は下町(江戸城から見て鬼門だったため主要な建物がなかった?)。
現在は工場跡地を活用した大規模な再開発や公園整備が行われている。特に南千住地区の再開発は延面積で東京都第1位の再開発規模である。
これに伴い、大規模なマンションの建設ラッシュが続いているため、ファミリー層を中心とした人口流入が見られる。
1990年代まで減少していた区全体の人口も増加に転じた。加えて、地価も急上昇し、近年の住宅地地価の上昇率は東京都第1位となっている。
 
 日暮里繊維街は生地織物に関する多くの店舗が連なる。

2015年(平成27年)度も共働き子育てしやすい街ランキングで全国1位。
 

 


板橋区


武蔵野台地の北端と東京低地の境目にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。北で荒川、北西で白子川によって埼玉県と接する。


・区内は東京の市街地で、住宅地・商業地のほか、北部には工場が多い。
・地盤は強固で、首都直下地震が起きた場合23区で最も安全と言われている。
・設立当時は、現在の練馬区も含む広大な地域であり、田畑地が多く、「東京の満州」とも呼ばれていた。
・製造業が多く町工場が多い。
 

 

 


練馬区


面積 48.08km2
総人口 751,169人


東京23区の中で唯一、特別区を規定した地方自治法の施行後、すなわち、他の22区が東京都の行政区から特別区へ移行した後に、板橋区から分区して新設された区である。
 
「学生街として知られる江古田」などのエリアが存在
 
練馬区は緑の多い閑静な住宅街であり、最低居住面積水準未満の世帯率は東京23区で最も低い。練馬区民の男性の平均寿命は81.2歳で全国で第5位、東京23区で第1位である。また刑法犯認知件数は、人口が60万人以上のほぼ同規模の特別区[注釈 1]の中で大田区に次いで少ない。人口は約70万人で、23区の中で世田谷区に次いで多い。近年は副都心線大江戸線などの開通に伴って、マンション建設ラッシュに沸いている。
 
「練馬」が都内最高気温であったと報じられることについては、気象庁アメダス観測所の配置[1]にも留意する必要がある。
春、秋は、都心の区と比べて、日中と夜の寒暖差が大きい。これを生かし、キャベツの栽培が盛んにおこなわれている。


光が丘は都内有数の集合住宅が集まったエリア、光ヶ丘団地光が丘パークタウンとして有名。また、練馬区内には都営住宅が多く点在している。
 
1947年(昭和22年) - 板橋区から分区し、23番目の区として誕生
1973年(昭和48年) - アメリカ軍からグラントハイツ(光が丘)が返還される。


・住宅都市としての性格から、木造住宅の密集地帯が多く、道路も細く曲がったものが多い。そのため地震が起きたときに火災が広がりやすく、災害弱者の人などが逃げ遅れる危険性が高くなっている。
・農地面積 - 342haで、23区内では最大となる
・小工場が圧倒的に多く従業者数が1 - 3人の工場が全体の約53%を占める。

 
 


■足立区


面積 53.25km2
総人口 693,664人


東京23区最北端、北千住駅ターミナル駅)、舎人など。


・平たんで川が多い。
・区民の平均寿命が短く、糖尿病や子どもの肥満が増加傾向にあることから、施策として食育推進を行っている。
・かつて刑法犯罪の認知件数が東京都内で連続ワーストワンとなっていた時期があった。これは23区でもトップレベルの人口や区域面積によるものである。2010年、2012年に都内ワースト1位から脱却し
・鉄道は8路線が通る。中央部を東武伊勢崎線東武スカイツリーライン)、東部をつくばエクスプレスがそれぞれ南北に縦断し、南東部を常磐線 (上野東京ライン)が葛飾区との境界部を掠める。
 
 

 


葛飾


かつては工業が盛んな地域で住宅地の中に小さな町工場が点在し、荒川の土手に上がると無数の煙突が黒い煙を吐き出しているのが見える典型的な下町の風景であった。現在では工場跡地が集合住宅や商業施設に変わり、山の手の住宅街の風景とあまり変わらない街に変わりつつある。
区域全体が荒川の外側にある唯一の区である。区の西部は海抜ゼロメートル地帯で、海抜マイナス1mかそれよりも低い場所がある。一方、区の東部は海抜1 - 2.5mまでの範囲となっている。都内で唯一埼玉県と千葉県の両方に隣接する。
 
柴又、亀有など。

 

 

江戸川区


都心部へのアクセスの良さや公園の多さ、子育て世代への支援の充実などから若い世帯の多いベッドタウンとして発展し、2019年には人口が70万人を超えた。

合計特殊出生率中央区に次いで23区で2番目に高い。公園総面積は23区で最大であるが、加えて水辺の特色ある公園が多く、古川親水公園は日本初の親水公園である。

また、葛西海浜公園は都内唯一のラムサール条約登録地である。


江戸川区は小松菜発祥の地としても知られる。小松川江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の鷹狩の際に献上され、地名から小松菜と命名されたと伝わる[10]。現在でも都内の小松菜生産の約4割を担い、農業産出額は23区最大である。

 

江戸川区は在日インド人のコミュニティがあることで知られている。特に西葛西地区への集住が顕著である。彼らの多くはIT技術者である。

23区内では4番目の広さである。区民1人当たりの公園面積は23区内で1位である。
 
土地が低いうえに三方を大河と海に囲まれているため、ひとたび大規模水害が発生すると浸水が長期化することが懸念され、江東五区(江戸川区江東区墨田区葛飾区、足立区)で大規模水害や広域避難の協議会を設けている

 

 

都心部へのアクセスの良さや公園の多さ(葛西臨海公園)、子育て世代への支援の充実などから若い世帯の多いベッドタウンとして発展し、2019年には人口が70万人を超えた。合計特殊出生率中央区に次いで23区で2番目に高い。公園総面積は23区で最大であるが、加えて水辺の特色ある公園が多い。
小松川江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の鷹狩の際に献上され、地名から小松菜と命名されたと伝わる[10]。現在でも都内の小松菜生産の約4割を担い、農業産出額は23区最大である。
在日インド人のコミュニティがあることで知られている。特に西葛西地区への集住が顕著である。彼らの多くはIT技術者である。インド出身の議員も存在した。
23区内では4番目の広さである。区民1人当たりの公園面積は23区内で1位である。
土地が低いうえに三方を大河と海に囲まれているため、ひとたび大規模水害が発生すると浸水が長期化することが懸念され、江東五区(江戸川区江東区墨田区葛飾区、足立区)で大規模水害や広域避難の協議会を設けている。

 

 

■おわりに

 

以上です。

概説ではありますが、こうして23区集めてみると結構な分量ですね。

元のWikipediaページはおそらく別々の方が書かれたものかと思います。ネットの集合知というやつでしょうか(意味違う?)。

 

何かの参考になれば幸いです。