文学フリマ35で買った、鍵括弧文庫さん(百目鬼 祐壱さん)『みりん、キッチンにて沈没』の感想記事です。
※関係者の方へ:
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■感想
A6 120ページの純文学短編集。
表紙が可愛く、立ち読みしたら文章が上手そうだったので購入。
・『家族旅行』
主人公は家族旅行に大喜びする純粋な女の子だが、気まぐれな両親の顔色をいつも伺っている……という話。
こうした機能不全家庭(俗っぽい言い方をすれば毒親)で苦しむ子供というのは、機能不全家庭育ちの僕にとっては、とても興味のあるテーマではあるけれど当然読んでいて辛いものだった。
この手のテーマについて、僕は客観的な感想は書けない。
ただ、話の構成や文章については素晴らしいものがあると思った。
主人公の性格描写と、それを形作るに足る状況設定(家庭環境、友好関係)の描き方は完璧だと思う。
「完全に崩壊した訳ではない機能不全家庭」の設定も良かった。感情移入のハードルをぐっと下げている。
機能不全家庭というのはもはや社会的な病理なのかもしれない。
・みりん、キッチンにて沈没
表題作。
これは面白い。良作だと思う。
文章というか、主人公の語り口が面白い。
作中でも語られている通り、主人公は思考がしっちゃかめっちゃかで飛躍が多い。でも何故か「こういう人いるだろうな」と思わせるリアリティがある。
主人公たち新入社員たちの不安感・絶望感も上手く描かれている。男の子が「良い店知ってるから」と言って皆を連れてきた所が安居酒屋だとか、嫌な『あるある』を見事に付いてくる。
と思いきや、ちょっとリアリティを通り越しているようなエピソード(カラオケ屋に父親が来るなど)も挟まれていて、現実と虚構がごっちゃな感じが面白い。
エンタメとしてみても、カラオケの不審者とか、ニセ警官らしき男とか、「何か起きそう(でも何も起きない)」要素が多くて結構楽しめた。
どこかの純文学の賞で選考に残ってもおかしくない作品だと思う。
強いて難癖をつければ、割と自己愛の強いこの主人公を好きになれるか? は高いハードルかな。
あとラスト、野球場のくだりで主人公が泣くのは、人生(特にこれから始まる社会人生活)に徒労感を覚えているのかと思うが、それを「分かれ」というのも読者には高いハードルかもしれない。
でも僕は好きな話だ。本のタイトルにもしているし、作者もお気に入りなのだろう。このクオリティのものをどんどん出せたら凄い小説家だと思う。
・マッチ
マッチングアプリで出来た「異性の友達」の話。
ライトな短編。ありがちな話ではあるが、不快感もなくするする読めた。
ただ実際問題として、「友達」が「夫婦」より重いはずがない訳で、友達関係を続けることなんて出来ないでしょう。と思ってしまう。僕が歳をとったからかな。
・リフト
熟年離婚を決めた夫婦とその一人息子の伊豆旅行。
爽やかな短篇。全体的に「特に何てことない話」なのだけど、やたら具体的な地名や商品名が登場するからか、知らないのブログを読んでいるかのような実感があった。
僕も大室山に行ったことがあるが、確かに心地いい風が吹いていて良い場所だった。
淡白な話だからこそ、文章の上手さが光る。
短編集の最後にふさわしい後味だと思う。
・全体を通して
本の頭に『家族旅行』のような暗い話を配置したのは、かなりリスキーだと思う。実際、(こういう話が続くのならしんどいな……)という思いもあった。
だがその懸念は杞憂で、後半は爽やかな話が多く、気持ちよく読み終えることが出来た。
作者としては、『家族旅行』とか『みりん』みたいなトリッキーな(技巧を凝らした)話が本領だと思っているのかもしれないが、個人的には『リフト』のようなシンプルな話も好きだ。
とはいえ全体の完成度で言えば、やはり表題作『みりん、キッチンにて沈没』が群を抜いていると思う。
こういう思考がまとまっていない人の思考こそ文章にすべきだし、「就職したけれど不安が募る」というふわふわした状況とも合っている。
上にも書いたが、この短篇は何かの文学賞の選考に引っかかってもおかしくない。
一冊目の同人誌とのことだが、二冊目も出すなら、僕は必ず買わせていただく。
お待ちしているので、ネットにて告知のほどよろしくお願いいたします。