先に断っておくが、今日の日記には結論がないのでそのつもりで。
1年ほど前、ギャンブルを止めようと努力している人のブログに、こんなようなことが書いてあった。
「いつもの癖で、買ってもいないのにその日の競馬の結果を見てしまう。そして勝ち馬の倍率を見て、『ああ、このレースを買わないことで俺は○万円も損をした』と嘆くのだ」
※うろ覚え
僕は今までギャンブルをしたことがないので、あまりに斬新な発想で驚いた。
逆に言えば僕らは、ただ生きているだけで、ギャンブルをしていたら負けていたであろう分を得しているとも言える。
なんだか奇妙な考え方だけど、凄く人間臭くて面白い感情だと思う。
捉え方によって情報の意味が変わり、得した気分になったり損した気分になるのは、観測行為によって結果が変化する量子論にも似ている。
結局人間(の感情)は、環境から干渉されるというよりも、捉え方によって変わるのだろうか?
だとすれば、その「捉え方」をどのように制御するのかが課題となるが……しかし、その「捉え方」も元を辿れば環境によって形成されるのではないだろうか?
卵が先か鶏が先か、といった話になってきたが、その輪廻を自覚できれば、意識的にそこから抜け出すこともできそうだ。
まだよく分からないが、この辺りに、幸福に関するヒントがある気がする。