kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 人生に「すべきこと」は1つもなく、だから主観的な喜びを追い求めるしかないのでは

 

今日は、話の終着点を決めずに日記を書き始めます。

ただの日記です。

 

最近は、目標を達成することよりも日々を楽しむ(自分に甘くする)ことのほうを優先させようと考えいて、結構日々が楽しい。

 

落語を見に行ったり、小説を書いたり、映画を観たり、本を読んだり、漫画を読んだりしている。

夏休みだったこともあり、遠出をすることを楽しみにしている人も多いと思うけれど、僕は創作物に触れているだけでも凄く楽しい。

 

好きなことばかりしていると時間が過ぎるのが早い。24時間では足りない。

で、このブログを書くのも少々煩わしいというか、時間の無駄かな、という気もした。

このブログは「アクセスが増えて嬉しい」とかそういう楽しみというよりも、自分の考えを文章化することでまとめていこうという趣旨で、そういう意味では決して無駄ではない。

でも、他にすべきことがあるならそちらをすべきなのかもしれない。

 

そうなってくると、「すべきこと」とは何だ? ということになる。

ブログ以外のことで言うと、読書も落語も小説創作も、別に「すべきこと」ではない。

そもそも生きている意味が判然としないのだから、「すべきこと」なんて無いのだ。

 

 

食べ物にお金をかけるのは無駄だ、という友人がいる。

健康に気を遣わないやつは馬鹿だ、という友人がいる。

途上国に学校を建てることを人生の目標にしている友人がいる。

 

自分の指針がはっきりしているのは素晴らしいことだと思うけれど、その指針が正しいという合理的な説明はおそらくない(主観的な説明はあるだろうが)。

なぜなら、そもそも人生というものが合理的な説明がなされていないからだ。

(人助けは良いことだ、という価値観すら、アプリオリではない)

 

それなら、主観的に生きるしかない。

したがって、本人が楽しいのであれば、その生き方を間違いと断ずることは出来ない。

 

 

 

※続きの記事

【日記】 主観的な価値観というものが一個人の中に複数あり、それらは背反しうる - けんぴの灰色マインドマップ日記

 

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