親と一悶着あった日からちょうど200日が過ぎた。
大学院卒業(一人暮らし)まではあと292日である。
200日はとても長かった。
何度も下血したり、嘔吐したり、カウンセリングに通ったり、精神科で抗うつ剤を処方されたりと色々とあった。
母親はそれらを一切知らず、相変わらず毒を撒き散らしている。
状況はまったく好転していない。問題は何一つ解決しないままで、僕の精神は順調に(母の思惑通りに)蝕まれている。
「慣れて気が楽になった」ということは一切なく、むしろ自殺を試みる頻度は上がっている。
急に人生を悲観的にしか見られなくなり、外を歩いている最中に涙が止まらなくなりトイレに駆け込むということも珍しくない。とある企業の説明会もそれで途中退室した。大学の研究発表も何度か途中退室した。日常生活に支障が出てきている。
200日前、僕は「これから492日間、我慢しよう」と決めた。
あれからまだ折り返し地点にも来ていない。
この事実は、はっきり言って絶望的としか言えない。文字通り血を流して耐えた日数が、まだ半分にも満ちていない。頭がくらくらする。泣いても吐いても血を流しても事態は変わらず、ただ耐える以外に術がない。本当にこの世は地獄である。
また、この200日で学んだこととして、「母親との接触そのものだけが脅威ではない」ということがある。
母親と顔を合わせていない時間でも、今まで母親によって形成されてきた「幸福になることに対する罪悪感」「物事を楽しむポジティブな感情の否定」「自尊心の否定」という自我が脳内で暴れまわり、何をしていても楽しくなく、虚しさで胸がいっぱいになる。
これらは治療によって回復するのかもしれないが、その治療は母親と距離をとってからしか出来ないし、また治癒には時間がかかるだろう。
つまり、あと249日を耐えた所で、すぐに幸福な人生が始まるわけではないのだ。
更に言えば、その後も永遠に幸福な人生が訪れない可能性もある。
今の血を吐くような我慢が何にも繋がらない可能性が大いにある。
死にたい。
「自殺は悪だ」とか「本能的には生きたいはずだ」とか「周囲の迷惑を考えろ」とか、そういう次元の話ではなく、何よりも今この瞬間が憂鬱で、胸が苦しくて、吐き気が消えず、窒息しそうだ。だから死にたい。
そのくせ、前に書いたとおり、首を吊ってから意識が消えるまでの7秒間が怖くて僕は足元の椅子を蹴れずにいる。
「絶望的な(家庭)環境」に対して、安楽死は適応されないのだろうか。精神科の研究者は、一度本気でそのことを視野に入れて欲しい。
まあ、そんな非現実的なことを考えても仕方がない。僕の眼前にあるのはこのどうしようもない現実だ。
「200日前に死ねばよかった」
それが200日我慢した感想である。
249日後にも、おそらく同じことを思ってるだろう。
それなら1日でも早く死ぬべきだ。頭では分かっている。早ければ早いほどいい。
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