「どうしようもない人間には、距離をとるしかない」という
僕なりに前向きな日記です。
最初に例え話をしましょう。
ある日、自分の部屋で、一週間ほど放置してしまったコンビニ弁当を見つけたとしましょう。
もちろん、中身は完全に腐っています。
さて、どうするのが正解でしょうか。
・食べますか?
まさか食べられるはずがありません。
・中身がどう腐っているか、つぶさに観察しますか?
おそらく、胸糞悪くなるだけでしょう。
・もとの状態に戻すために努力しますか?
魔法でも使わない限り、不可能です。
・弁当を他のことに使いますか?
腐った弁当が何の役に立つというのでしょうか。畑の肥料にだって、もっと良いものを使うべきです。
・怒りにまかせて床に叩きつけますか?
言うまでもなく、そんな事をしても被害が拡大するだけです。
※「原因を探る」「再発防止案を練る」というのは、大事なことではありますが、「目の前の弁当をどうするか」という問いの答えにはなっていません。
では結局のところ、どうすればいいのでしょうか。
簡単です。腐った弁当は捨ててしまうしかないのです。
その際、できるだけ目を背けながら、匂いや汁が漏れないようにラップしたりビニール袋で包んだほうがいいでしょう。
そして蓋付きのゴミ箱に入れて、生ごみとして出すべきです。
この対策は、腐り始めて1日目でも、30日目でも変わりません。
その存在から出来るだけ距離をとって、捨ててしまうのが最善の処理方法です。
ここからようやく本題。
この腐った弁当の喩え話は、人間関係にも適応できます。
例えば、人種や性別に対して謂れのない差別を繰り返す人。
非論理的な言動で相手を罵倒する人。
罵倒自体が目的になっていて、意味もなく攻撃的な人。
現実世界にも、インターネット上にも、こういう人はたくさん居ますね。
こういう人たちに対して、反論したり、改心を試みたり、屈服させたりしたくなるのが人情というものです。
しかしそれらは無意味です。無意味どころか、あなたに不快感すら残します。
腐ったコンビニ弁当のように、煮ても焼いても食えない人間というのは存在します。
なぜ彼らが変われないのかと言うと、彼らが非論理的だからです。
論理を信用しない人間は、主観で生きている訳ですから、外からは絶対に説得できません。
これは悲観的な想像ではなく、事実です。
では、そういう困った人はどうすればいいのでしょうか。
答えは簡単。
コンビニ弁当と同じく、ラップに包んで捨ててしまうしかないのです。
じっくり見てはいけない。
反応してはいけない。
改心させようなんて考えてはいけない。
何をしてもこちらが不快になるだけです。
さっさと、自分から距離をとるしかありません。
それも、出来れば早い方がいい。
感想を抱いたり、直視したりして不快感を抱く前に、すぐに距離をとる。それがあなたにとって最善の策です。
具体的な対策は、以下のようになります。
①非論理的で攻撃的な人を見かけた場合
その人との接触回数を可能な限り減らしましょう。
②既に、そうした人のせいで思い悩んでいる場合
頭の中で「その話題にラップをかけて捨てる」というイメージをしましょう。
そしてその後はそれについて考えないようにしましょう。
世の中には、もう、どうにもならない事というのがあります。
それは、改善させたり、消滅したりはできません。
僕らはその事実を認めなければなりません。
我々に出来ることは、それらの悪臭が漂ってくる前に(既に漂っていたとしても)、ラップをかけて捨てることだけです。
あなたが、悪臭にやられて体調を崩さないように祈っています。