kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 夕暮れの哀愁は刺激的すぎる

 

先日、夕方にバイトが終わった日の話です。

何かのトラブルで電車がとまっていたので、一駅分くらい歩いて帰ることにしました。

 

暑かったのですが、夕暮れ時で空が綺麗だったし、普段「歩く」ということをほとんどしないので、気分転換に歩くことにしたのです。

 

僕の住んでいる街は、都内の住宅街で、新宿や池袋が近すぎるせいで逆に何もない街です。

ひたすら住宅や学校,寂れた酒屋などの個人店などが並んでいて,人通りも少なく,しかし畑や未舗装の道がある訳ではない,中途半端な町並みが広がっています。

 

僕はこの街に15年ほど住んでいるのですが、中学からは電車通学だったし、そもそもあまり外を出歩かないので、あまり街のことをよく知りません。

 

そのせいか、こうしてたまに街を歩くと、なんだかとても懐かしいような、寂しい気持ちになります。

言うならば、数十年ぶりに故郷に帰ってきたような哀愁を感じます。

 

 

人気のない夕暮れの街をひたひたと歩いていると、遊びから家に帰る少年時代に戻ったような気がして、僕はふと缶のファンタが飲みたくなりました。

そしてコンビニに入ったのですが、ペットボトルはたくさんあるものの、缶ジュースが売っていませんでした。

昔から、コンビニに缶ジュースが置いてなかったのでしょうか? それとも、ここ最近のコンビニの戦略?

思い出そうとしても答えは出ませんでした。

 

よく考えたら、僕は子供のころ、「コンビニや自販機でジュースを買う」という行為をほとんどしなかった気がします(お小遣いを飲食に使う、という感覚が無かったのです)。

 

となると、先ほどの「少年時代に戻ったような気がして、缶のファンタが飲みたくなった」というのは何だったのでしょうか。

僕はありもしない思い出を懐かしがっているのでしょうか。

そう考えてみると、この「一駅分の道」自体も、別に子供時代によく歩いた道という訳でもないのです。

別に、懐かしがる要素などひとつもないような気がしてきました。

 

では、僕のこの感慨は何でしょうか。この心象はどこから来ているのでしょうか。

 

とりあえず、僕の個人的な記憶からきている訳ではありません。

ただ単に、この夕暮れの景色が、この町並みが、僕に何らかの感傷を与えたということになります。

 

 

だとすれば……この世界の、何と刺激的なことか。

ただ歩いているだけで胸を締め付けるという、信じられないような刺激に満ち溢れた世界だと言えます。

 

僕があまり外を出歩かないのは、きっと、こういう理由だと思います。

外に出れば、良くも悪くも、心が動かされる出来事がたくさんあります。

そういうことが怖くて、僕は人生の大部分を室内で過ごし、ディスプレイを見て時間を潰すのだと思います。

 

インターネットは、どこまでも安穏ですから。