kenpi20の灰色マインドマップ日記

にわか作家志望(某メーカー研究職、新入社員)による、現状把握・思考整理

【創作論】 小説執筆のモチベーション維持方法 ーー頭に浮かんだシーンを好き放題書く

 

最近、また小説を書き、新人賞に応募している。

 


今までも書いてはいたのだが、時間が取れないなどと言い訳をしてあまり進んでいなかった。それをここ数ヶ月でサクサク進め、また出版社に応募し始めた。 

 


「小説を書く」という行為自体は、趣味や同人で何度かやった事があるので、出来ないということはない。

それよりむしろ問題なのは、モチベーションの維持ではないだろうか。特にアマチュアの場合、そちらで悩んでいる人間の方が多いような気がする。 

 


しかも僕の場合、既に働いているので、書かなくても飢えて死ぬ訳ではない。仕事も忙しくなく、家庭や人間関係も問題ない。気分の浮き沈みも、あまり起こらない。現在、特に何かに困ったりしていない。

 

つまり、生活をモチベーションにすることかできない。書かなくても誰も困らない。

 

そうでない人であっても、「小説家を目指す」という道は、明らかに金儲けの手段としては非効率で不確実だ。

小説などというものは、絶対に、生存戦略に勘定してはならない。

 

それでは何の為に書くのか。

 


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書く理由は、いくらでも用意できる。


自己満足。自己顕示。露悪趣味。栄誉のため。書くのが好きだから。

 


どれも正解のようでいて、それほど強い感情ではない。そもそも、自己顕示欲等を満たしたいだけなら別の方法がいくらでもある(起業とか)。

自分かし、特に考えもせず「理由はこれだ! これが俺の原動力なのだ!」と宣言することで悦に入りたくはない。

 

 

 

なぜ小説を書くのだろう?

それを考えているうちに、自分が何をしたいのか、どのような小説を書きたいのか全然分からなくなって、ひどい時には書く手が止まることもあった。

 


では書かないのが良いのかというと、そうでもない。書かずに漫画を読んだりして過ごしても、どこか満たされない。 

 


でも机に向かうと、どんな話を書くのが正解なのか、そんなことばかり考えてしまう。 

 


そんな日々をここ一カ月ほど過ごしていたのだが、一つ解決策が見つかった。 

それは、

 

 

「何も考えず、プロットすら決めずに、好き放題書く」

 

 

という方法だ。 

 

白いワープロ画面(もしくはノート)に向かい、ただ純粋に、僕が今面白そうだと思った場面を文章として記述する。

例えば、小さい女の子がジャンプして、大男を叩きのめすシーン。その際、女の子の名前も経歴も考えなくていい。男の方も正体不明で構わない。もしくは、詳しく書きたいなら書いてもいい。女の子が奴隷で、男が商人なんてどうだろう。ありきたりかな。それなら大統領でもいい。仙人でもいい。場所はどこだろう。寒い日のことだろうか。屋内? 屋外? どこでもいい。どこまで書いてもいいし、書かなくてもいい。 

言ってしまえば、落書きである。

 


むしろ細かく書きすぎないように注意する。先に言うが、この落書きがプロットになる。あまり細かく書いてこのシーンで満足してはいけない。 

 


ひとつのシーンは早く切り上げ、次にどんな展開になるか、どんな展開が面白いかを妄想する。地球が爆発してもいい。宇宙人を出して面白いなら出してもいい。叩きのめした場所が密室で、そこから逃げなくてはならない、なんて設定にしてもいい。 

 


綺麗にまとめようとか、どうすればウケるかとか、そういう事は後で考える。 話の辻褄も、後で考える。

最初の一回は、とにかく頭が発想した方へ、すらすらと書いていく。そして、話を終わらせたら面白いと思った場所で了マークを打つ。

 

 

この方法を試してから、書くのが楽しくて仕方がない。

もう、時間を見つけたらすぐに机に向かうようになった。頭に連想したものをただ文字に落とす作業が、楽しくて仕方がない。 

 


ただし、あまり長時間は出来ない。頭が疲れる。何だか起きたまま強制的に夢を見ているような感覚で、普段使わない脳の機能を使う。でも、これこそが創作だという感じがする。 

 


※もちろん、一度勢いで書ききった後は、落ち着いて清書する時間が必要だ。

最初の状態では、舞台設定も、人物も、何も固まっていないはず。例えば相手への呼び方だとか、部屋の構成とか、そういうものの整合性をとる。伏線を張ったり、物語のスピードの緩急をつけたりしても良い。

話に無理があったら、人物を増やしたり、減らしたりしてもいい。年代や場所を変更してもいい。ここで、物語として成立させる。世間にウケる内容にしたいなら、ここで内容を変更しても良い。そしてそれが出来たら、正しい日本語の文章に書き下す。 

 

※人によっては、この「清書」の作業が難しいかもしれない。これは、自分の考えを他者に分かるようにする作業で、言うならば課題レポートや文書作成に近い。作業なのだ。しかし、物事を理路整然とさせる作業は、快感を伴ないだろうか? 少なくとも僕にとっては苦ではない。むしろ今までの経験(理系院生や技術職)か活かせる作業だと思う。

 

 

 

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この方法は、森博嗣の本に書いてあった執筆方法を、自分流にアレンジしたものだ。 

 


話を聞いただけでは「ふうん、そんな方法もあるんだ」くらいにしか思わないかもしれないが、 

とにかく僕にとっては、この方法の発明が、大変な前進だった。

 


この方法なら、僕はたくさん書ける。 

これからもずっと書けると思う。

そして、書くのが楽しい。

そういう、前向きな気持ちになった。 

 

 

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これは創作に限った話ではないけれど、人生には、何だかどん詰まりのように感じてしまう時がある。 

 


消化不良というか、周囲の何もかもがつまらなく思えて、生きていること全部が無意味に思える時がある。 

 


確かに、全てはつまらなく、無価値なのかもしれない。でも、それはその瞬間の貴方の感じ方でしかない。 

そして感じ方とは、ボタンのかけ違いのように、ほんの些細なことで変えられるのではないだろうか。 

 

 

僕は、もう小説なんて書けないのではないかと思った。そもそも小説なんて書きたくないのかもしれない。興味がないのかも。書いたって良いことなんて何もない。 

世の中には、そういうネガティブな感情を助長する言葉が蔓延っている。

 

 

でも僕の場合、それは単なるボタンのかけ違いだった。 


僕は今、小説を書くのが楽しい。それが全てだ。 

 

 

「単なるちょっとした掛け違いかもしれない」 

そう楽観的に考えて、色々と試す事こそが、最も重要なのかもしれない。