kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【生き方】 人間が幸福になれるかどうかは、全て運で決まる。

 

幸福になる人間と、不幸になる人間の差は、どこにあるのだろうか。

幸福な人間は、何か特別なことをして、不幸な人間は、それを怠ったのだろうか。

守るべきルールがあるのだろうか。

 

本記事では、そうではない、ということを書く。

人間が幸福になれるかどうかは、「運」だけで決まる。

だから、人生がうまく行っていなくても、自分を卑下することはない、という話をしたい。


---

 

およそ人間の行動はすべて、「幸福になるため」に行われている。

仕事も、勉強も、遊びも、募金も、自殺も、全て「幸福になるため」の行為だ。

 

人間には長期的な思考が可能だから、「先の幸福を見越して今は苦労する」といった行動もとる。
しかしそれも含めて、やはり人間は「幸福になるため」に行動していると言える。


そのため、巷には「幸福になるための生き方」というものがたくさん提唱されている。

 

有名なものをいくつか挙げよう。

 

・受験勉強をして学歴を備えたほうが幸福になれる。

・若いころはよく遊んだほうが幸福になれる。

・若い内に結婚したほうが幸福になれる。

・結婚せずに色んな遊びをしたほうが幸福になれる。

・都会で暮らしたほうが幸福になれる。

・田舎で暮らしたほうが幸福になれる。

・仕事に熱中したほうが幸福になれる。

・趣味に生きたほうが幸福になれる。

・健康に気を使い、長生きした方が幸福になれる。

・好き勝手に生きて、短命な方が幸福になれる。

・ポジティブに生きたほうが幸福になれる。

・ネガティブな発想を持っていたほうが幸福になれる。

・人と関わったほうが幸福になれる。

・一人で生きられる人は幸福になれる。

 

これらはとても有名なので、誰しも聞いた事があるだろう。

そして見れば分かるように、これらは往々にして背反している。

例えば「都会で暮らす」「田舎で暮らす」などは、絶対に両方は達成できない。

 

では、どちらかが間違っているのだろうか。

そして、どれか、本当の正解が在るのだろうか。


実は、そういう訳ではない。

「これをすれば幸福になれる」という絶対的な正解はない。

 

何故なら、幸福になる条件は人によって違うからだ。

スポーツをすると幸福になる者もいるし、恋人が居ると不幸になる人もいる。

他人と同じ方法論を実行したとしても、幸福になれるとは限らない。

だから、万人に適応できる「幸福になる生き方」は、存在しない。*1


言い方を変えるとこうなる。

我々が幸福になるためには、自分に合った「幸福になる生き方」を見つけて、実行しなければならない。

 

---

 

では、自分に合った「幸福になる生き方」はどうやって見つければいいのか。

結論から言うと、これには方法論がない。

我々はこの問題に対し、どうすることも出来ない。

何故かというと、「幸福になる生き方」を2つ以上試すことはできないからだ。

 

先程の例で話そう。

「仕事や勉学に励む」という方法論を試したとする。

しかし、5年経ったところで、あなたは不幸だったとする。

では、今から遊んで暮らすべきか?

そう断言はできない。

何故なら、「5年ではまだ結果が出ていないだけかもしれない」し、

「遊んで暮らしていたらもっと不幸だったかもしれない」し、

そもそも「今の不幸の原因はもっと別の要因によるものかもしれないから」である。

 

ざっくり言うと、人間は同時に2つの人生を生きられないから、比較が出来ないのだ。

比較が出来ないのであれば、最善策を見つけることはできない。


---

 

しかし実際問題、我々は今日まで、幸福を求めて生きてきた。

はっきりしたものでなくても、自分なりの「幸福になる生き方」を実行してきた。

「宿題が面倒だからゲームしよう」という少年も、受験勉強に燃える青年も、仕事を辞めたニートも、熱心な営業マンも、犯罪者も、みんな自分なりの「幸福になる生き方」を実行している。

 

彼らは(我々は)、何故その生き方を選択したのだろうか。

何故、幸福になれるという根拠などないのに、その生き方を選択したのだろうか。

 

それはつまり、「信じているから」である。

理屈や根拠はない。ただ、信じているからだ。

周りの意見を鵜呑みにしているのか、親からの教育か、宗教上の教えかは知らないが、要するに信じているのだ。

 

信じているだけだから、正しいとは限らない。

信じている方法がたまたま自分に合わなければ、人は不幸になる。

信じている方法がたまたま自分に合っていれば、人は幸福になる。

 

不幸な人と幸福な人の違いは、ここだけだ。

要するに、運である。


---

 

最後に、今日、僕が最も書きたかったことを書こう。

 

「不幸である」ということは、ただ運が悪かっただけだ。

だから、自分を卑下することはない。

「ああすれば良かった」などと後悔する必要はない。

本当にそのほうが良かったのかなど誰にも分からないのだ。

 

幸福な人に劣等感を抱く必要もない。

彼らだって、運が良かっただけなのだ。


---

 

僕は多くの人に幸福になってほしい。

でも、事実として、「こうすればいいよ」という指針はない。

自分なりに模索しながら探っていくしかない。

 

でも、だから、せめて自分を卑下したり、驕ったりするのはやめてほしい。

 

良くも悪くも、我々は偶然性の中で生きていくしかない。

人生なんてそんなものだ。

 

 

*1:統計学的には、2つの被験者群に分けて幸福度に"有意な"差が出れば、「幸福になりやすい生き方」が存在することになるが、僕は今までそういう正しい文献を見たことはない