「その親が、親としていかに間違っているか(or正しいか)」
という趣旨で語られることが多い。
一見するとこれは当然のことのように思えるが、この時点で少し論点がずれているように思う。
ほとんどの毒親は、「親として」以前に、人格に問題がある。
極端な例を出せば、幼児に暴力をふるう母親は、「母親失格」である以前に、人間として大きな欠落がある。
それと同様に、家庭で大きな問題を起こす親は、そもそも人格や精神に大きな問題がある。
そうしたパーソナルな問題が、家庭内の問題として表面化しているに過ぎないのだ。
だから、家庭内の出来事であっても、問題の原因は家庭にはない。原因は親の人格にある。
この認識は、子供にとっては重要である。
「自分が悪いのかもしれない」
「相性が悪いのかもしれない」
「産んでもらってこんな事を考えるのは悪いことかもしれない」
こうした認識は誤りである。
なぜなら、子供が生まれる前から親はそうした人格の持ち主だからだ。
親を「単なる一人の人間」として認識し、それの言動を正確に判断することが重要である。
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ここまで読んで、「そんなの当たり前じゃないか」という人も多いだろう。
しかし、毒親育ちの人間にとって、これは当たり前ではないのだ。
何故なら、「私は親で、お前はその子供だ」という価値観の植え付けこそが、毒親の戦略のメインの1つだからだ。
「私とお前は、親子だ。親の言動に疑問を持つことは悪だ。だから平等ではない」
という価値観を植え付け、服従させることが毒親の基本戦略である。
だから、毒親育ちの子供は、親を「一人の人間」として見たり、評価することが絶望的に苦手だ。
(逆に言えば、家庭という場所が「私とお前は平等ではない」という意見を通すのに最適な場所だからこそ、家庭内で問題が生じる、とも言える)
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僕は専門家でも何でもないのだが、この考え方は毒親育ちの治療法としてかなり有用なのではないかと思っている。*2
客観視してみよう。親を客観視することは悪ではない。
そして客観視した結果、親の人格に問題があれば、距離を取ればいい。
「親と子」の問題ではなく、「人と人」との問題だと思うことで、見えてくるものがあると思う。