少し恥ずかしい話だが、数日前に『ソリティア』*1のiPhoneアプリを落とした。
そのアプリには2つのモードがある。
1つは、開始時に、ランダムにカードが配布されるモード。
このモードの場合、並び方によっては、「絶対にクリアできない初期条件」というのが存在する。
もう1つは、開始時に、絶対にクリアできるようにカードが配布されるモード。
つまり、前述の「絶対にクリアできない初期条件」を排したものだ。
2つのモードを何回か試して思ったことだが、
「絶対にクリアできるモード」は、何だか面白くない。
クリアしても、「まあ、そういう風に出来ているからな」と思ってしまう。
そもそもこのゲームは、占いに似た要素もあったようだ。
そう考えると、「絶対にクリアできるモード」は大吉しか出ないおみくじのようなも
ので、なるほどそれは面白く無いだろうなと思う。
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だが、全く違う場面で、逆のことを感じたこともあった。
それは以下に示す、「ランダムで自動生成した音楽が流れるサイト」だ
http://computoser.com/
(※2014/11/19 現在、繋がりにくいかも)
適当にチェックを入れてから「play」ボタンを押すだけで音楽が流れ出す。
これは人が作曲したわけではないので、そこには理論も製作意図も何もない。ひたすらに音が紡がれて、流れる。
僕はこのサイトがなんだかとても苦手だ。
つまり、僕は曲に制作意図を求めているということになる。
ソリティアとは違う。
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そして、そのどちらでもない事象も存在する。
僕は料理を食べる時、もちろん美味しいものが食べたいが、美味しければ料理人の意図があってもなくてもどっちでもいい。
コンピュータが自動で作ってくれてもいいし、人が丹精込めて意図的に作ってもいい。
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ソリティアと、音楽と、料理は、僕の中でどう違うのだろうか?
研究論文ではないので無理に答えを出すことはしないが、少し深く考えてみたら面白い結果が得られるかもしれない。