kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 「難しい説明をする奴は馬鹿だ」という言説の反例


雑文。


よくネットで目にする、

「難しい説明をする奴は馬鹿だ」

とか、

「本当に頭のいい人は分かりやすく説明する」

とかいう言説が嫌いだ、という話。

 

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「難しく説明する奴は馬鹿だ」

確かに、そういう側面もあるだろう。
よく分かっていない事柄を、マイナーな言葉を使うことで煙にまく連中は確かに存在する。

 

しかし、「分かりやすく説明できない事柄」も、確実に存在する。

 

例えば、相対性理論について"分かりやすく"説明できる者は居るだろうか。

もっともっと易しい事柄であっても、例えば対数という概念を"分かりやすく"説明することは可能だろうか?

 

おそらく不可能だろう。

それは、馬鹿だとか頭が良いとかそういう問題ではない。

 

以上より、「難しい説明をする奴は馬鹿だ」という言説が偽である*1ことが(容易に)分かる。

 

なぜこのような誤った言説が根強く支持されているのか。

それは、都合がいいからである。

 


何か説明を聞いて、それを理解できなかった時、

「難しい説明をする奴は馬鹿だ」

という理屈を用いれば、説明する者が悪いことになり、自分は責任から逃れられる。

 

そういう人にとっては、理工書も、プログラムの入門書も、銀行の案内パンフレットも、フランス映画も、全てが「馬鹿なのは書いた方」なのだ。

自分は悪くない。

そう思い込みたいがために、根拠もなく「難しい説明をする奴は馬鹿だ」いう言説を絶対視しているのだ。

 

この論理は、構造から言って最強である。反論を受け入れないからだ。

反論に対して、「分からない。難しく説明しすぎだ。つまり相手が悪い」と考えることで、自分の正しさを常に証明できる。

しかしもちろん、常に証明できるものは、「正しさ」ではありえない。

 

 

個人的な意見として、間違った言説を盲信すること自体は、百歩譲って、別にいい。

だが、「自己弁護のために」間違った言説を盲信する者は嫌いだ。

 

自己弁護のために善悪をねじ曲げ、周囲を悪者に仕立て上げる根性が気に入らない。

でもまあ、これは個人的な感傷なので、論理立てて説明できるものではないし、ましては強制させる気もない。

 


ただ、何となく自分の感傷をネットに残しておきたかったのである。

 

 

 

*1:例外がある