雑文。
よくネットで目にする、
「難しい説明をする奴は馬鹿だ」
とか、
「本当に頭のいい人は分かりやすく説明する」
とかいう言説が嫌いだ、という話。
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「難しく説明する奴は馬鹿だ」
確かに、そういう側面もあるだろう。
よく分かっていない事柄を、マイナーな言葉を使うことで煙にまく連中は確かに存在する。
しかし、「分かりやすく説明できない事柄」も、確実に存在する。
例えば、相対性理論について"分かりやすく"説明できる者は居るだろうか。
もっともっと易しい事柄であっても、例えば対数という概念を"分かりやすく"説明することは可能だろうか?
おそらく不可能だろう。
それは、馬鹿だとか頭が良いとかそういう問題ではない。
以上より、「難しい説明をする奴は馬鹿だ」という言説が偽である*1ことが(容易に)分かる。
なぜこのような誤った言説が根強く支持されているのか。
それは、都合がいいからである。
何か説明を聞いて、それを理解できなかった時、
「難しい説明をする奴は馬鹿だ」
という理屈を用いれば、説明する者が悪いことになり、自分は責任から逃れられる。
そういう人にとっては、理工書も、プログラムの入門書も、銀行の案内パンフレットも、フランス映画も、全てが「馬鹿なのは書いた方」なのだ。
自分は悪くない。
そう思い込みたいがために、根拠もなく「難しい説明をする奴は馬鹿だ」いう言説を絶対視しているのだ。
この論理は、構造から言って最強である。反論を受け入れないからだ。
反論に対して、「分からない。難しく説明しすぎだ。つまり相手が悪い」と考えることで、自分の正しさを常に証明できる。
しかしもちろん、常に証明できるものは、「正しさ」ではありえない。
個人的な意見として、間違った言説を盲信すること自体は、百歩譲って、別にいい。
だが、「自己弁護のために」間違った言説を盲信する者は嫌いだ。
自己弁護のために善悪をねじ曲げ、周囲を悪者に仕立て上げる根性が気に入らない。
でもまあ、これは個人的な感傷なので、論理立てて説明できるものではないし、ましては強制させる気もない。
ただ、何となく自分の感傷をネットに残しておきたかったのである。
*1:例外がある