kenpi20の灰色マインドマップ日記

にわか作家志望(某メーカー研究職、新入社員)による、現状把握・思考整理

【創作談義】 処女作は、力みすぎない我慢が大事。 ―― 倉知淳『日曜の夜は出たくない』感想


今日はミステリの話。


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昨日、倉知淳『日曜の夜は出たくない』を読んだ。

本書はミステリ作家・倉知淳の処女作であり、
どこかほんわかした雰囲気が漂うユーモア系ミステリの短篇集だ。


この本には、『オチ』がある。

そしてその『オチ』の先に、更に真相とも言える『大オチ』が用意されている。

 

この『オチ』『大オチ』がかなりの曲者である。
かなり衝撃的な『オチ』なのだが、かなり強引というかアンフェアな代物で、また、相当に後味が悪い。

 

処女作であることもあり、一つ一つの話が読み返すほど面白くはない*1ことも、このオチの不完全さを助長している。


僕は、倉知氏がなぜこのような『オチ』を用意してしまったのか、よく分かる。

 


一言で言うと、「処女作だから、力んでしまった」のだ。

 

おそらく当時の倉知氏は、ミステリ界を一変させるような、スケールの大きい作品を書こうとした。

熟練したミステリマニアもあっと言わせるような、凄まじい作品を書こうとしたのだ。

だから、あのような(良くも悪くも)斜め上の『オチ』を用意したのだろう。

 

だが、倉知氏の持ち味はそこではない。

上述の通り、倉知氏の魅力は『ユーモア・ミステリ』にある。*2

人間味にあふれた可愛らしいキャラクターと、本格ミステリ要素。この二つがうまく融合していることが倉知氏の一番の持ち味、すなわち得意技なのだ。


そして、その『ユーモア』という持ち味を最大限活かすためには、本書のような『オチ』は必要がない。むしろ、持ち味の邪魔をしている。


おそらく倉知氏は、この時点で自らの持ち味をまだはっきりと自覚していなかった。それ故に、思いついた『オチ』を、我慢できずに使ってしまった。

 

それが、このちぐはぐな作品が出来た経緯だと思う。

 

 

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この問題は、決して倉知氏だけの問題ではない。

 

誰であっても、処女作はどうしても力みすぎてしまう。*3

読者の予想を裏切ろうとして、ひねりすぎてしまう。

 

小説を書く(書き始める)者は、この問題に無自覚であってはならないと思う。

 


自分の『長所』を冷静に把握し、それを最大限に活かす。
他の要素(ネタ)を思いついても、詰め込み過ぎない。ぐっと我慢する。

 

とてつもなく難しいことではあるが、意識をする価値はあると思う。

すべては読者のために。

 

 

 

*1:ちなみに後年の倉知淳作品は純粋な名作揃いなので是非読むべし。『猫丸先輩の推測』など。

*2:正式にはコージー・ミステリ

*3:法月綸太郎『密閉教室』、島田荘司占星術殺人事件』、清涼院流水コズミック』などなど……こうして見ると、力んだことが良い効果を発揮していることも多そうだが。