kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 偉人エピソードなどの「物事の外っ面だけを楽しむ」という習慣


ああ忙しい忙しい、と言う嫌な大人になりつつある自分に気づく。危ない危ない。

今日は「もっと肩の力を抜こう」というコンセプトのもと、結論のない話。



世間の人々や、自分を見ていてよく思うことなのだが、
「物事の外っ面だけを楽しむ」
という悪しき習慣が身に付いている気がする。

例えば、偉人のエピソードなんかがそうだ。

「数学者のガウスは、計算のしすぎで失明さした」

というエピソードは、確かに聞いていて楽しいけれど、数学そのもののの面白さとは関係がない。


ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を見つけた」

という話も、物理学そのものの面白さを反映してはいない。

同様に、将棋の棋士のエピソードや、落語家のエピソード、ミュージシャンの名言集等もそれらの本質を語ってはいない。


これらは、簡単にいえば「人間」に関する話だから面白いのだ。
それ以上の意味はない。

もちろん、これらのエピソードを面白がることが悪いわけではない。

ただ、これらのエピソードを見て、そのジャンル(数学、物理、将棋など)の面白さを知っている気になるのは大きな勘違いだ。

そして、本格的にそれらを勉強したときの面白さのほうが、ずっと上なのではないかという気がする。




僕を含めた多くの人がそれをしないのは、中身にまで踏み込んで勉強するのが非常に億劫だからだ。
それが面倒だから、無意識のうちに専門書を読むことを避け、
何となく分かったような気になって満足するのだ。

非常にもったいないことだと思う。



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僕自身の話をすれば、僕は物理学は大学生までしか勉強していないし、数学に至っては大学受験までしかしていない。

それから先を勉強していないのは、本当に好きな訳ではないからかもしれない。

などと考えて、少し寂しくなっていたりする。