今日はなんというか、悩んでいることの報告です。なので結論はありません。
また、最近は記事の長文化が深刻なので、短くまとめます。
物事を進めるときに、周囲に「お仲間」が居たほうがいいかどうかという話です。
まず、勉強や研究をする際には、近くに「お仲間」が居たほうがいいだろうなぁというのが僕の実感です(根拠はない)。
例えばですけど、機械を作っている時に
「コードがバラバラになってしまって使いづらいなあ。でもまあそういうものか」
と思っていたとします。
その時、周囲に優しいお仲間が居て、
「コードをまとめる便利な道具があるよ」
と教えてくれる、ということがあります。
これによって作業効率が2倍になったりします(実体験)。
非常にありがたいですね。
しかし、インターネット上ではこのようなことは起きません。
何故なら、「でもまあそういうものか」と思っていることは、自分から検索しないからです。
つまり検索サイトは、知りたいことを教えてくれるだけであり、現状の不備を教えてくれる訳ではないのですね(これは参考書も同じです)。
「お役立ちサイト」等を見ていても、たまたま自分が今困っている「コートをまとめる便利な道具について」の情報に偶然たどり着く可能性なんてほぼゼロですよね。
作業状況などを逐一ネットにアップしていれば、ネット上の親しい友人が教えてくれる可能性はありますが……
それはつまり、「ネット上にしろリアルにしろ、お仲間が近くに居た方がいい」ということになります。
もちろん弊害もあります。人が居ることで気が散る、必要以上に劣等感を負う、ウマが合わない等など……。これらは深刻な問題です。
だからまぁ、「お仲間が居ることはメリットもデメリットもあるよ」、と。
メリットもゼロではないよ、と言いたいわけです。
で、僕の実体験の範囲では、院での研究ではメリットのほうが大きかったよ、と。
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で、ここからが悩みなんですが。
僕は「小説を書く」って行為に関しては、お仲間がほとんど居ないんですよね。
理由としては、まずそもそも「小説を書く」なんて事をしている人が周囲にあまり居なかったという事があります。
大学生(学部生)の時にはサークルの仲間が居たんですけど、彼らとはちょっと書いている内容が違って、それにウマが合わなかったのです。
(要するに性格が悪かった。あちらも同じように想ってるのだろうけど……)
ネット上の知り合いでも、短歌や純文学方面の人達はいるけれど……という感じで、あまり興味がないのです。
そんなわけで、いつも一人で黙々と書いています。
が、上記の話を踏まえると、やっぱり誰か「お仲間」が居たほうがいいのかなぁと。
自分では思いつかないような改善策や方法論があるのかなぁと。
でも、変に「お仲間」を作ると、慣れ合ったりしなきゃいけないのが非常に面倒なんですよね。駄サイクルなんて言葉もあります。
つまりデメリットの方を考えてしまうわけです。
うーん、どうなのかなあ、と悩んでいます。
仕事と趣味の違いというのはあるのかな?
それに、好きすぎるものについては人と共有しないほうがいいという話もあるかと思います。
やっぱり未だに、人との距離の取り方がよく分かっていない感じがありますね。