kenpi20の灰色マインドマップ日記

都内で暮らす会社員のライフログ、現状把握、自己分析

【日記】 主観的な願望を捨て、社会が求める通りの価値観で生きたほうが楽そう

 
そろそろ、また学業に力を入れなくてはならない。
 
 
僕は工学部の修士2年なのだが、最近は落ち込んだりしていたせいであまり研究をしていない。
 
で、もうすぐ秋季の発表などが始まるので、何かしら進捗を出さなくてはならない。
 
最近は、恋人と別れたし、バイトもそれほど入っていないので、研究に割く時間的余裕はかなりある。
 
だが、モチベーションが上がらない。
 
 
 
「したくないこと」に対するモチベーションの保ち方を、すっかり忘れてしまった。
こんなことは6歳とか7歳のうちに身につけておくべきだよなあ、と他人事のように思う。
 
このまま発表直前まで作業しない場合、留年ということはほぼ無いが、色んな先生たちにこっぴどく怒られる。これは由々しき事態である。
 
だから作業をしたほうが良い。頭では、嫌というほど分かっている。
 
 
 
最適化を図ると、疲れるのは、何故だろう?
 
「一般的にどうすべきか」は、大体分かる。
飲み会では他人を持ち上げつつ自然に聞き役に廻ればいい。
休日は友人とスポーツでもすればいい。
研究はさくさくと進め、発表練習に時間を割いて小綺麗にまとめればいい。
「死にたい」なんて言わない方がいい。いつもニコニコして、皆の意見に同調すればいい。
そうすれば人生はうまくいく。
 
 
そこまで分かっているのに、それを心の底から望めないのは何故だろう? 
最適な人生に疲れを感じてしまうのは何故だろう?
 
 
僕はもう、自分の中の主観性というやつを捨て去りたい。
客観的な、社会的な善悪だけを心に留めて最適化を図りたい。
 
主観なんてものがあるから、自分なんてものがあるから、行動選択に迷いが生じる。
自分が今どう感じているか、何がしたいのかなど、全て失くしてしまいたい。
 
 
前に友人が、「性欲を満たす上で愛は障害でしかない」と言っていた。
今の僕にはその意味が分かる。
 
人と同じレールの上で人と同じゴールを目指した方が、考えなくて良いぶん遥かに楽だ。
 
まあ、実際には4日前に書いたとおり、人は主観的にしか生きられないので、上記の生き方は不可能だ。
だが、もしかしたらその客観的な価値観こそが「社会性」というやつかもしれない。
 
 
 
※2014/09/09追記
この記事について、私は9月9日現在「内容が破綻している」と考えています。その点について、以下の記事にまとめました。
 
 
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