久しぶりに研究の話をしようと思う。
「大学院生という存在は、学術界においてどのような立場か」という話だ。
大学院生という存在は、部外者からするとおそらく謎めいた存在だと思う。
学生なのか研究者なのかもはっきりしないし、毎日何をしているのか、どれだけ凄いことをしているのか分かりづらい。
ネット等で院生が発言しているのを見ても、どこまでが本当なのかよく分からない。
という訳で今日は、大学院生が、学術界にどれだけ貢献しているのかを正直に述べたい。
特に今回取り上げるのは、僕のような、博士課程に進まない院生である。
つまり二年足らずで研究分野から足を洗う院生ということだ。
最初にわかり易く説明すると、院生の立場は以下のようになる。
①最低限、自分でテーマを見つけて研究をすることが求められる。
②研究がうまく行けば、それを国内外の学会で発表することができる。
③研究がもっとうまく行けば、研究室の連中がその研究を引き継ぐ可能性がある。
②の「学会参加」は、一見すると凄いことのように思える。
しかし正直に言ってしまうと、院生の学会参加は、「経歴に残る」以上の意味はない。
つまり、院生の論文を誰かが引用したり、何かの製品に繋がるといったことは基本的にない。
院生の研究は、誰かを救うことはないし、人類の知に影響を及ぼさない。
③の「研究継続」が起きるケースは、非常に稀である。
というのも、そこまで有能な学生は、博士課程に進学するケースが多いからだ。
もし優秀だとしても、2年でそれほどの結果を出すことは絶望的に難しい(倫理申請など、時間のかかる処理がいくつもあるため)。
以上をまとめると、こういうことになる。
「大学院生は、曲がりなりにも研究をしている。学会にも参加する。しかしその研究が人類に影響を及ぼすことは無く、自身の経歴としてしか意味を持たない」
これが大学院生の現実である。
僕は卒業前にそのことに気付いてしまった。
周囲の院生たちは、良くも悪くもあまりそのことに気づいていない。本気で何かを為せると想っているようだ。よく言うと意識が高い。しかしそれは悲しい勘違いでしかない。
研究は大変だが面白い。しかし無意味だ。
僕はもはや自分の研究に何も期待していない。あと半年、何とかやりすごそうと考えている。