自分でも良くないことだと思うが、
何をしても自由な休日よりも、そこそこ忙しい日のほうが生きるのが楽に感じる。
というのは、忙しい日というのは、
「これをしている間は、僕に何の罪も犯していない」
と思うからだ。
何をしても良い時間になると、僕は何をすればいいのか分からない。
例えば映画を見るとしても、「本当に最良の選択だろうか」と思い悩んでしまう。
本を読もうとしても、「この本を読むことに本当に意味があるのか」と不安になってしまう。
昼まで寝ていると、用事がない日でも自己嫌悪に陥る。
つまり、僕の中に「意味のないことは罪悪」という規定があって、
常に自分の中の小人に「お前は駄目な人間だ」と罵られることを怖がっているのだ。
これが間違っていることは、頭では分かっている。
休日は何をしてもいいし、自分が楽しいのなら無意味でもないし罪悪でもない。
人生の目的なんてものは自分勝手に決めればいい。
頭ではちゃんと分かっているのに、どうしても頭の中の小人が暴れだす。
※これも、言ってしまえば毒親の教育の賜物だろう。
僕が「小人」と呼んでいるものは、おそらく僕に理不尽な罪悪感を植えつけた母親の幻影なのだ。仮説ではあるが。
そんな訳で僕は、忙しい日のほうが心が穏やかだ。
忙しい日というのは、やることが決まっているのだから「小人」に怒られる心配はない。
自分で行動を選択する必要がないから、責任も発生しないし、人生とか無駄なことを考えることもない。
更に言えば、その忙しさには強制力があった方がいい。
大学の単位がかかっているとか、給料が絡んでいるとか、そういう重みがあればあるほど、僕の行動選択の責任は薄らぐからだ。
だから、僕は早く正社員になりたい。
「給料のためだから」という、誰がどう聞いても納得できる言葉を用いて、自分の中の小人を納得させたい。
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何度も書くが、僕はこの状況がかなり危険なものだと気付いている。
何とかしないといけない。
何とかしないといけないなあと思いつつ、今日のところは、小人をなだめることに注力したい。