<今回のまとめ>
・何年経っても、好きなものを好きでいたい。ほぼ不可能だけど。
アルコールは合法のドラッグなので僕は躊躇なく飲む。それも暴飲する。割と早く酔う方なので、家でガーっと飲んで意識混濁して寝るのが好きだ。今まさに泥酔している。これをしないと生きていけない。僕みたいなクズにはドラッグが必要だ。
今日は酔った状態で、僕の大好きな『限りなく透明に近いブルー』の話をする。
村上龍のデビュー作だ。いわゆる純文学というやつで、ストーリーは特に起伏が在るわけではない。
簡単に言うと、横田基地の周辺に住む青年たちが、米国人たちとセックスやドラッグにまみれる話だ。こう言うとつまらなそうだがこれが本当に面白い。最高なので読んでみてほしい(まあ読みにくいし万人向けではないが…才能は溢れている)。
で、その『限りなく透明に近いブルー』の一番好きなシーンの話をしよう。主人公リュウはそういった乱れは生活をしながらも、何故か熱くなれずに生きてる生活をしている青年。そういう主人公に、ヘロイン中毒の友人オキナワが話しかける。
「リュウ、またフルート、吹けよ。俺はヘロインだけじゃあ何か足りない。ヘロインほしいほしいと思っている時に、これだけじゃあダメだなって思う瞬間が在る。ヘロイン飲めば忘れるんだけど、確かにある。昔、お前が俺の誕生日に弾いてくれたフルートが、自分をうれしくさせ、優しい気分にした。お前がうらやましかった。あんな気分にさせるお前が」
要約だが、そんなことを言う。しかしリュウはそれに応えない。
「今は、何もしたくない。やる気みたいのがない。今はカラッポ。今はもうちょっと物事を見ておきたい。ここで見る」
リュウは何にも真剣になれない。何もない。景色を見ることしか出来ない。そしてまたオキナワはヘロインに呑まれる。
「ヘロインが切れると手に入れるためなら人殺しでもする。俺はもうだめさ。からだが腐ってる。頭の肉がブヨブヨ。もうすぐ死ぬ」
しかしこの、クスリのなかで一瞬見えたリュウのサックス。これが真理なんじゃないか。本当に大事なものだったんじゃないか。僕にはそう思えてならない。
僕はどうだろう。これだけ酒を飲んで、前後も分からなくなった今(もう二本の足で立ってもいられない)、それでもアレを求めるという「アレ」があるだろうか。
自信がない。自分にはおれだけ好きな何かが在るか。馬鹿じゃないから、「それでも○○が好きだ!」と明言することはできないかもしれない。僕はリュウではなくオキナワでいたい。せめてオキナワでいたい。
好きなモノはたくさんある。例えば周囲の人たち。僕と一緒でなくてもいいので幸せになってほしい。好きな作家もたくさん居る。詩人だっている。あの絵も好きだ。あの歌だって好きだ。好きなものは数限りない。それだけは大事にしていきたい。もうタイピングが怪しい。さっきから書いては誤字して消して、誤字して消してを繰り返している。何がどうなっても好きなもの。忘れないもの。時流に流されないもの。10年後も50年後も好きなもの。ずっと変わらず好きでいたい。でも本当にそうでいられるか? 自分を信じられないとはそういうことだ。それでも好きだと思うぞ。僕は好きなものが好きだ。それだけは忘れたくない。でも時流に乗って忘れていくのだ。大事なものなど時流に乗って大事ではなくなる。僕から手放す。いつもそうだった。
悔しいけどそういうものなのか。できるだけ抗っていきたい。変わりたくない。日光東照宮のように、完成しないことで完成を迎えるべきなのかもしれない。完成したものは崩壊する運命なのだ。人間関係もそうだし、全てがそうだ。成就したら壊れる。酔った僕に遅いかかるのは覚醒と崩壊だけだ。わかっている。分かっているけど僕は飲む。自分から全てを手放すことを知っていて飲む。
僕から全てがなくなった時(手放した時)、誰かサックスを吹いてください。お願いします。