久しぶりに日記をネットにあげたくなったのであげます。
特に大きなことがあった訳ではありません。
単なる人生のモデルケースとして考えて頂ければ。
続きを読む
ちょっとお久しぶりです。
ここ数ヶ月ブログを書かなかったのは、落ち込んでいたからというよりも単に仕事で忙しかったからだ。
今までさんざん、陰鬱なことを書いてきたけど、
ここにきて幸福になれそうな道筋が見えてきた(詳細は今はまだ書けない)。
僕は今、「このままいけば死ぬまで幸福でいられるな」という線上に居て、
今度はその線を踏み外さないことに注力して生きていく。
線が見当たらなかった頃とは大違いだ。
だが、おそらく今の状態が、一般的な人生なのかもしれない。
---
僕の状況がどうして好転したのかというと、やはりこれは、運としか言えないと思う。
「善行の見返り」だとか「努力は報われる」とか、そういう言葉は信じない。
僕が不幸だったことにも、幸福であることにも、特に意味はなく、何物とも因果関係はないと思う。
---
状況はほぼ問題ないのだが、それでもたまに気分が落ち込む日がある。
それはもう、何の原因もないのだろうと感じている。
今まで陰鬱な気分に対して「寂しいから」「自信がないから」などと色々な原因を仮定してみた。
それらは、陰鬱な性格が発現した原因ではあるかもしれないが、"今、自分が陰鬱な気分であること"の理由ではない。
"今、自分が陰鬱な気分である"ことは、単純なホルモンバランスというか、単なる周期的なものだ。
それも治せる方法はあるのかもしれないが、とりあえず、日々の短期間内の気分の浮き沈みをわざわざ観察したり、考察する行為はやめようと思う。
---
今後、また人生が暗転することもあるだろう。というか、そうなる可能性が高い。
その時にどうするかは考えられていない。
考えてどうにかなる問題でもないと思う。
また何か模索するかもしれないし、今度こそ死ぬかもしれない。
(要するに、今回状況が変わったことで、生き方そのものに対して新しい知見を得たわけではないということだ)
何にせよ、僕は元々大事なものを何一つ持っていなかったのだから、
今後どんな最悪な状況に堕ちても、
「なんで自分がこんな目に」とか「僕の人生がこんな不幸なはずがない」なんてことは思わないだろう。
その点では気楽である。
暖かい布団で寝たい。
休日はゆっくり美術館にでも行きたい。
平日も日付が変わる前には帰って寝たい。
栄養のあるものが食べたい。
これらは僕には叶わない。
僕は転勤族で、長期出張中で、関わっている案件が既に半年以上のスケジュール遅延を起こしている。
明日引っ越しを命じられるかもしれない。
次の休みがいつか分からない。
明日、昼勤なのか夜勤なのかも分からないので、気が休まらない。
会社にあてがわれた部屋は狭く、布団は薄い。
突然田舎に引っ越してきたので友人は居ない。映画館も美術館もない。
物はコンビニかイオンで買うしかないが、明日引っ越すかもしれない事を考えると、あまり荷物を増やす気にもなれない。
平日は日付が変わってから帰ってきて、急いでコンビニ弁当を食べて急いで入浴して睡眠時間を確保する。
給料は、決して高くはないが、まぁ家を買わなければ一人で生きてはいける額だ。お金に困っている訳ではない。
ただひたすらに自由がない。
いつまでこんな生活が続くのかを考えると、絶望的な気持ちになる。
まず、転勤族はやめられない。『明日引っ越しかもしれない』という状況はあと40年ほど続く。
会社の上司達は、4月に入ってから内示を受けて慌てて子供の保育園転入願いを出したりしていると聞く。
不規則な仕事のせいで子供のイベントには常に行けず、単身赴任がほとんど、たまに自分の建てた家に帰っても子供に怯えられるという。
誇張抜きで、幸福な人間が社内に一人も居ない。
じゃあ転職すればいいのかというと、そう簡単ではない。
転職自体は可能だろう。しかしまた大企業に勤めれば転勤族は避けられない。
中小企業に入ればそのリスクは減らせるかも知れないが、今度は貧困に喘いでいる大学の同期の声が聞こえてくる。
いっそのこと全く関係ない仕事を……と思うが、しかし僕の周りに幸福そうな人はあまり居ない。
顔なじみのタクシー運転手は一日16時間働いて、休みは月に2日だそうだ。
知り合いの助産婦は昨日も今日も明日も夜勤、血を見すぎて憂鬱だと話していた。
僕の知っている限り、幸福になっているのは二種類。
ひとつは、他人(親や配偶者)の金で生きている人間。
もうひとつは、自分は幸福だと無理に言い聞かせている人間だ。
僕はどちらにもなれそうにない。
もうどうしたらいいか全然分からない。
僕は前に小説家になりたいと書いたけれど、ちゃんと突き詰めて想像してみると、おそらく小説家になったって幸福にはなれない。
転職したって幸福にはなれない。
結婚したって幸福にはなれない。
幸福になる具体的なビジョンが見えない。
はっきりしているのは、明日からまた仕事が始まり、日付が変わるまで食事もとれずに働かされるという事だけだ。
「体壊す前に辞めれば」なんてことを言う人も居るが、じゃあ辞めたら幸福になれるのか?
貯金を崩しながら生活して再就職してまた体を壊すか?
実家に戻ってまた親と暮らして下血して精神も病むか?
もう手詰まりだ。生きられない。
「人生に問題がありすぎて気分が晴れない」
という状態で、試行錯誤していたけれど、ここ数日ついに光明が見えてきたのでメモ。
長くなりそうなので結論から書こう。
人生の選択において、満足ではない結論を下して、「これでいいはずだ」と自分を納得させる事もあるだろう。
しかし僕の場合、その時に抱いた『心残り』は十年経っても消えることはなく、むしろ増大していた。
そういう時に、「そもそも自分が下したかった結論が何なのか」もよく分からなくなる場合もある。
だから、「何故か気分が晴れない」時は、
あらためて色々なものを見て、色々な可能性を考えて、「こうしてみたらどうか」を1個づつ想像してみて欲しい。
その中で、心が軽くなる想像があれば、その実現に向けて少し動き出してみてほしい。
(この際、後戻りが出来るように、今の生活も捨てないことが重要)
上手く行かなければ、戻ればいい。そしてまた別のものを探す。
そうしている内に、当初とは全く異なる方向で解決策が見つかり、
「ああ、本当はこれがしたかったんだ」
と気付くかもしれない。
続きを読む
『本当に危ないところを見つけてしまった・・・』(通称・本危スレ、蓋スレ)のあらすじを、どこよりも短くまとめました。
■このページの意義
『蓋スレ』とは、
2ちゃんねるオカルト板において、主に2004~2007年に書き込まれたスレッド。
スレ民達によって綴られた、ひとつのノンフィクションの物語と言える。
いわゆる『怪談』というよりは、スレ民による心理戦を楽しむ読み物である。
かなり知名度のあるスレなのだが、
紹介サイトのまとめがどれも長く、非常に敷居が高い。
なのでこのページでは、『蓋スレ』のあらすじと顛末を、とにかく短くまとめて書いた。
その結果、面白さの大部分は損なわれるとは思うが、
まあ一種のネタバレサイトだということでお楽しみ頂きたい。
■ごく簡単な概要(ネタバレなし)
「肝試し中、友人が行方不明になった。その場所を探してほしい」
そんな書き込みからスレは始まった。
該当場所の近隣住民だという面々が、捜索を開始。
しかし何やら様子がおかしい。該当場所で姿を消す者、写真だけ撮り帰宅する者、該当場所に辿りつけない者、合流するはずが合流できない者……。
どうやら誰かが嘘をついている。そして、誰かと誰かは同一人物のようだ。スレ主の偽物等も登場、情報は錯綜し、真相は藪の中……。
混沌とした状態のまま時は過ぎ、2年5ヶ月を経て、ついに物語は完結する。
■登場人物(最小限)
①HINA(◆PhwWyNAAxY)
スレ主。
「肝試しに行った友人の一人が行方不明になった。探して欲しい」としてスレを立ち上げた。
②黒帯(◆tGLUbl280s)
最初の捜索者。
HINAの書き込みを見て、該当場所の蓋("HINAの蓋")を見つけて中に入るが、同日深夜に消息を断つ。
③区らしき市民(◆34uqqSkMzs)
二人目の捜索者。
このスレで最も重要な『蓋の写真』("区らしきの蓋")を撮った人物。
④566(◆JKHlRH77ms)
三人目の捜索者。
初日から終盤まで、熱心に捜索を行った人物。
(※その後、数えきれないほどの捜索者が登場。)
⑤青(◆uk69Rl52bw)
最後の捜索者。
■ごく簡単な流れ(ネタバレ含)
<第一幕>
ある晩、『HINA』という人物が、
「倉敷で肝試し中、山奥にある廃墟の扉に入っていった友人が行方不明になった。探して欲しい」として2ちゃんねるにスレを立てる。
(この扉は後に、"HINAの蓋"と呼ばれる)
2時間後、スレにて近隣住民を名乗る『黒帯』『区らしき市民』『566』の三人が、それぞれバラバラに現場の捜索を開始。
『黒帯』は、ほどなく現場に到着。蓋を発見、中に入り探索する。
蓋を出た後、他のメンバーと合流を図るが失敗し、深夜に突如書き込みが途絶える。
『区らしき市民』も、ほどなく現場付近に到着。不審な人物を見る。
他のメンバーと合流できないまま帰宅し、スレに"蓋"の写真をアップする("区らしきの蓋")。
『566』も同様に現場に向かうが、彼は現場には辿りつけず、合流も出来ないまま帰宅する。
次の日より連日、『566』を筆頭に、10名以上の捜索者が該当場所を探す。
彼らは合流したり出来なかったりしながら"蓋"を探すが、どうしても見つからない。
この時点で、スレでは
「黒帯・区らしき市民は本当に"HINAの蓋"を見つけたのか?」
「"区らしきの蓋"(写真)は本当に"HINAの蓋"なのか?」
「そもそもHINAの話は本当なのか?」
といった、多くの疑惑が生まれる。
捜索者の中にも嘘つきが現れたり、心霊写真、謎の女性の声が報告されるなど事態は二転三転。
そんな中、スレに『HINA』が再登場し、「行方不明というのは嘘だ」と言い残しスレを去る。
これにより、"HINAの蓋"は架空の物だったとされ、スレ民の興味は『"区らしきの蓋"(写真の場所)は何処にあるのか?』へと移行する。
それに応える形で、『区らしき市民』は"区らしきの蓋"のヒントを出したり、現場に封筒を残す。騙る者、捜索する者、そして黒幕を名乗る者まで登場し、更にスレは混沌へ。
そして7日目、依然として蓋が見つからない中、『区らしき市民』が
「"区らしきの蓋"は実は倉敷ではなく、福山にある」とネタばらし。
捜索隊の捜索は全て無駄だったと判明する。
『566』に代表されるスレ民は"区らしきの蓋"の詳細情報を求めるが、『区らしき市民』はそれを無視。
そしてスレは……『区らしき市民』の書き込み「おしまい。」により、一度、幕を閉じる。
<第二幕>
2年4ヶ月後。
『566』は密かに"区らしきの蓋"探しを続けていたが、成果は出なかった。
そんな中、"区らしきの蓋"を本気で探すという者が登場。
邪魔が入りながらも捜索は進み、ついに捜索者の一人『青』が、福山の山中にある"区らしきの蓋"に似た蓋の写真をアップ。
数年ぶりにスレに現れていた『区らしき市民』は、「正解 オメ」と言い残す。
そして『青』により"区らしきの蓋"の詳細な場所(住所)が公表され、
蓋スレは本当に幕を閉じた。
■個人的感想(蛇足)
まとめてしまうと、これだけの話である。
これだけを読んでもつまらないのは、短くまとめすぎているからだ。
本スレは68スレ(つまり68000の書き込み)に渡る大長編であり、魅力を知るためには、やはりそれらを読まなければならない。
一番分かりにくいのは「なぜスレ民たちが必死に"区らしきの蓋"を探しているか」だろう。
"区らしきの蓋"はただ『区らしき市民』が近所で撮影しただけの蓋であり、いわくつきの物でも何でもない。
しかし、スレを読み進めていると、何故スレ民達がその何でもない蓋を探しまわっているかよく分かる。
要するに、何度も捜索をしたり、何日もスレに貼り付いているうちに、何でもないはずの"区らしきの蓋"を特別視してしまっているのだ。
読み進めていくうち、読者は『区らしき市民』の本気なのかネタなのかよく分からないやり口にハマっていく。『566』の、真面目すぎて逆に疑わしい言動にハマっていく。その他にも、省略した多くの登場人物たちは皆どこか欠けていて、人間らしい。
彼らの人間性が一番の魅力だろう、と思う。
---
だが、以下の点を納得できない方には読破はおすすめしない。
・まず、全体的に陰湿すぎる点
昔のインターネット特有の空気だけれど、嘘をつくことにあまりにも抵抗がない。そして裏では陰険な恨み合いなどがあるようだ。よく分からないにしろ、読んでいて気持ちのいいものではない。
・物語は一応の解決を見るけれど、結局多くの謎は放置されている点
"HINAの蓋"は実在するのか? 『黒帯』は本当に"HINAの蓋"へ行ったのか? そもそも『黒帯』とは何者なのか? 後に彼らを名乗る人物も登場するが、どこまで本当なのか?
それらは結局分からずじまいである。匿名掲示板での出来事なので、当然といえば当然だが。*1
・長過ぎる点
捜索の報告がグダグダで不明瞭なのが本作の魅力でもある。
これらの点は、当時のインターネットを象徴するものでもある。
こうしたアングラ感を楽しめるかどうか、それがハマれるかどうかの分岐点だろう。
■このページの意義(本心)
正直に言おう。僕はこの物語が、陰険すぎて完全に好きにはなれなかった。
続きが気になるあまり全て読みはしたが、どっと疲れた。
達成感はそこまでなかった。何か、騙されたような気持ちになった。
なので、僕みたいな人間が気軽に(短時間で)ネタバレを見れるように、このページを書いた。
誰かの役に立てば幸いである。
*1:まあ状況から言って、HINAの蓋は存在せず、黒帯はHINAの自作自演だと考えるのが妥当だろう。